美術時評 2018年5月
by Masaaki Kambara
by Masaaki Kambara
2018年5月12日(土)~2018年6月17日(日)
倉敷市立美術館
2018/5/29
鳥越烟村と吉嗣拝山の山水図が面白い(上図)。このところ山水画でごつごつとした岩が出てくると、すぐに人の横顔を思い浮かべてしまう。きっかけは堂本印象からだったが、今回も妄想は広がった。顔に見えたのは岩山だけではない。水辺の輪郭も横顔に見えるし、高台から突き出た岩の輪郭が人の頭部に見えてきた。遥か彼方を見渡している人物の後ろ姿に見え始めると、それ以外には見えなくなってしまうから不思議だ。
実はこの二つはヒエロニムス・ボスのダブルイメージの中でも登場するものだ。500年も前の絵だが、人の妄想は今も昔も、日本も西洋も大差ないということか。日本のルーツは中国の水墨画にあるが、北宋の山水画でごつごつとした奇岩には、人の顔をしたものも多い。これは画家のイマジネーションだけではなくて、中国では大河を遡った実景でもあるようだ。
何を見ても人間の存在を見つけ出そうとするのは、太古から人類に埋め込まれた遺伝子なのかもしれない。それほど似てもいない岩の輪郭を人の顔に描き起こしてきた物的証拠は、16世紀マニエリスムの西洋絵画には山のようにある。
東洋の水墨画からの影響がどの程度あるかは、興味深い研究テーマでもあるし、宋元絵画は幻想絵画の宝庫なのだ。これは高名な美術史家バルトルシャイティスが注目していたことでもある。モンゴル帝国のヨーロッパ進出に合わせて山水画は西洋に入り込んだはずだ。モナリザの背景の山々は水墨画のぼかしのように見える。レオナルド独特の筆さばきを、今ではスフマートの名で呼ぶが、ルーツは東洋画の技法の内にあったかもしれない。そして16世紀にマニエリスムがレオナルドを受け継いで面白がることになり、神秘から怪奇へと移行する。じつに壮大なイメージの東西交流史が綴れそうに思った。
和の装いと題した本展、点数は少ないが美術館での収蔵にふさわしい屏風や襖絵の大作が、ガラスケースに収められ、堂々とした風格を見せている。知名度からすると円山応挙の「松鶴図」と鈴木其一の「百合図」だろうか。前者では骨太の狩野派、元信や永徳にはない新しい時代の空気感があるし、後者は扇面状の小品ながら琳派の華やかさを伝えている。バーナード・リーチの鉄釉大鉢は、民芸の持ち味を遺憾なく発揮して、場を引き締めている。
清水比庵の書「四季の詩」も大胆かつ奔放で、大らかな童心に戻った気分を味合わせてくれた。字ととらえない西洋の現代絵画の理念は、そこに抽象世界を楽しんだに違いない。くずし文字を解さない現代の日本人もまた西洋的見方のできる人種であり、和の装いは東西交流にふさわしいテーマでもあったようだ。他の書もネット検索をしてみたが襖絵も多い(下図)。型破りの暴走に優しさが潜んでいる。
清水比庵の書