第259回 2023年8月24日
ロバート・ゼメキス監督作品、トム・ハンクス主演、アメリカ映画、原題はForrest Gump。アカデミー作品賞はじめ6部門を受賞。小さいときから背骨が曲がっていたため、補助具をつけないと歩けない子どもが、ハンディを克服してヒーローになるまでのサクセスストーリー。名をフォレスト・ガンプといい、知能も遅れていたようで、IQの数値からは養護学校をすすめられたが、しっかりものの母親ががんとして普通学校に入れることを主張した。スクールバスでの登校の日、座席が空いているのにいじわるをされ、座らせてくれないなか、ひとりの少女が隣の席に導いてくれた。ジェニーといったが、その日からふたりは仲のいい友だちになった。
歩けないことをからかわれて、追いかけられ、逃げるなかで、走ることができるのに気づく。しかもおそろしく速い。それから走り続ける日々がはじまった。アメフトの試合にまぎれこんだとき、その走りがスカウトされて、大学に入学することができた。選手としての成功は全米の代表にまで選抜され、ケネディ大統領から表彰を受けている。成長記録がアメリカの現代史と歩みをともにしていく。
母とふたりで暮らしていたが、ふたりで住むには大きな家だった。ホテルがわりに利用されて、多くの出入りがあった。ギターをかついだ若者が泊まったとき、不自由な脚で踊ったのを、おもしろがったのは、エルビス・プレスリーが騒がれた時代に同調している。その後、ジョンレノンとテレビで対談したり、ベトナム戦争やウォーターゲート事件と続き、大物政治家の暗殺事件を対応させながら、ガンプの行動記録が綴られていく。
初恋の相手ジェニーのことはいつも気にかかっていた。同じ大学生活を送るが、彼女は学生運動にのめりこみ、まったくちがう世界に生きていた。ジョーンバエズをあこがれて、フォーク歌手をめざしたが、実際に舞台に立っていたのは、裸体でのギター演奏で、酔っ払いの男たちの目にさらされていた。ガンプが有名人になっていくのと、対比をなし、転落していったようにみえる。
ガンプがフットボールで大学を卒業したとき、声をかけられたのがアメリカ陸軍だった。ベトナムに派兵され、そこで黒人の親友と責任感のある頼もしい隊長に出会う。ここでは敬礼をするなという。上官であることを知られないためだというので、なるほどと思う。黒人はエビ漁をすることを将来計画にしていて、漁船の船長になるので、いっしょに船に乗ろうと誘っている。ふたりは敵の襲撃にあって負傷するが、ガンプが抱きかかえて安全な場所まで運んだ。このふたりだけではなく何人もの負傷兵をかついで往復した。部隊は全滅したが、隊長は助かることを望まず、長い間ガンプを憎むことになる。親友の黒人は味方の救助まで間に合わず、命を落とした。このときガンプはエビ漁のあとを継ごうと決意している。
帰国後、救出活動が称えられ名誉勲章をもらうことになる。隊長は両脚を切断していきながらえた。ガンプも尻に銃弾を受けて、野戦病院で隊長と病床をともにしていた。隊長はそんな姿で生き続けたくはなかった。自暴自棄となってアルコールに溺れるのと対比的に、ガンプは大統領から二度目の表彰を受けている。カメラの前で負傷した尻をはぐってみせ、大統領は苦笑した。ケネディもニクソンもジョンレノンもほんもので、そこにガンプがいて、握手をしたり会話を交わしたりしている。何気なく挿入されたコンピュータ技術の進化に驚かされる。
表彰式でワシントンを訪れたとき、ベトナム戦争に反対する集会に紛れ込んでしまう。軍服での参加が目を引き、壇上で戦争について話を求められると、遠くの聴衆から声が上がり、ジェニーが池を渡って駆け出してきた。ふたりは駆け寄って抱き合い、ガンプにとって忘れがたい思い出になった。ジェニーは反戦運動のリーダーと行動をともにしており、ガンプとは相容れない溝があった。バスに乗り込む彼女を、何も言わずに見送るしかなかった。
負傷した病院でやりはじめた卓球が、次の興味の的になる。外すことなく高速度の打ち返しが続いている。負傷者たちがみごとなラケットさばきに見惚れている。ここでもCG技術が使われるが、超人的な能力を発揮して、中国に対抗するアメリカンヒーローとなる。退役命令が出て故郷に戻るが、そこで卓球はストップした。母が迎えてくれ、部屋にはファンからのプレゼントが届いていた。そのなかで靴のメーカーからの支援金を元手に、戦友の黒人家族にも声をかけ、船を購入してエビ漁に乗り出す。船名はジェニーと名づけた。
隊長がエビ漁のようすを見にきた。以前から手伝うとの約束をしていた。車椅子だったが、二人して船に乗り込むが、簡単には水揚げがされない。暴風雨が起こって多くの船が座礁するなか、この船だけが生き延びた。これをきっかけにエビの大漁が続き、会社は大きくなっていった。このとき隊長も生きがいを見い出しており、まだ言ってなかったと詫びて、助けてくれたお礼を述べた。
ここで隊長に仕事をまかせてガンプは故郷に戻る。母からの病気の知らせがあった。ガンであったが、最後の日々を母子はともに過ごすことができた。庭の芝刈りに余念がなかったが、ある日ジェニーが訪ねてくる。詳しい事情は聞かないまま、ガンプの家にとどまった。廃屋になっていた実家にも訪れて、石を投げつけた。父親を嫌っていて幸せな思い出の残る場所ではなかった。ガンプは結婚をほのめかすが、ジェニーは答えなかった。滞在中に肉体の結びつきがあったが、翌日理由も告げずにジェニーは去った。
ガンプは幸せな日々を夢見たが、我に返ったように再び走ることを決意、家を出てアメリカを横断して走り続ける。髪も伸び放題になり、そのようすは報道されることになる。信者のように、あとに続いて走る人たちが現れ出す。西海岸の突端までたどり着くと、Uターンして引き返し、大平原の一本道を走り続けている。何十人もの人たちが続くなか、突然足を止め、故郷に帰ると言い放った。懐かしい家に落ち着くことになる。ジェニーからの手紙が来て、会いたいといって、住所を知らせてあった。
バスでやってきたようで、降りてベンチに座っていると、一枚の羽根が風に吹かれて、足もとに落ちた。ガンプは拾ってアタッシュケースに収めた。膝にはジェニーに渡すチョコレートの箱を置いている。母がチョコレートの箱になぞらえて、よく教訓を語っていた。スーツを着ているが、汚れた運動靴を履いている。靴はガンプを象徴する重要なアイテムだった。バスを待つ人に、自分の生い立ちを語りはじめている。真新しい履き心地の良さそうなスニーカーをほめている。相手は頭がおかしい人と思って、怪訝そうな顔をしている。バスが来てまたちがう相手に続きの話をはじめている。実はこれが映画のオープニングの場面である。主人公は不安げな顔をしているが、はじめにはその理由はわからない。
彼女の家はそこから歩いてすぐの場所にある。なぜすぐに向かわなかったのか。彼女のこれまでの謎めいた行動を思い起こしながら、不吉な何かを感じていたからだろう。それを恐れて先延ばしにして、これまでの自分の半生を振り返っていた。めどをつけたように立ち上がり彼女の新居に向かった。ドアを開くと彼女はひとりいて、いつものように笑顔で迎えてくれた。生活感のある部屋だった。子どもを連れた女性が入ってきて、子どもを置いて去って行った。私たちはガンプとともに悲しみの予感を味わうことになる。彼女は私の子どもだと言って紹介したあと、父と同じフォレストという名をつけたと付け加えた。フォレストはテレビを見ているフォレストの部屋に入っていった。
彼女が打ち明けたのは、ウイルス感染をしていて、死期が近いということだった。母親は胸を張って、この子は頭がよくて成績は一番だと言った。子どもをつれて結婚式が開かれた。隊長が車椅子ではなく、義足をつけて、歩いてお祝いにやってきた。かたわらには東洋人のフィアンセがいた。妻の墓は、かつてふたりで登って遊んだ大木の下に設けた。ジェニー・ガンプという墓碑銘が読めた。彼女の悲しみの残る旧家は取り除かれた。子どもの登校を見送る父の姿があった。スクールバスがやってきて、乗り込んでゆく息子の姿は、かつてガンプ自身が目にしたものだった。親子ふたりの生活が、数十年のときを隔てて繰り返されている。