美術時評 2018年8月
by Masaaki Kambara
by Masaaki Kambara
2018年6月13日(水)〜10月14日(日)
2018/8/26
プラド美術館の重厚なコレクションが、壁面から迫ってくる。ベラスケスをメインテーマとしながら17世紀にターゲットを絞り、スペイン絵画の黄金期を紹介する。スペイン絵画というからには、ゴヤも混じっていて良いはずだが、次回の楽しみと言わんばかりに外されている。フェリペ4世のコレクションということで、王宮を飾った大作が、王の威厳を保とうとして、堂々として今に伝えられている。兵庫県立美術館の展示室に大作が並び、プラド美術館を仮装して、いつもよりも天井が高く見える。
当時はスペインよりも、スペインの統治下にあったフランドルの方が、格調は高く、特にルーベンスの信頼度は抜群で、自国の画家を差し置いてまでも、コレクションに加えざるを得ない。確かにルーベンスが混じると華やかさが違う。穏やかな物腰が、田舎の宮廷に都会的なセンスを加える。ベラスケスだけでなく、宮廷に出入りしたスペイン画家が、ルーベンスの様式を経て、洗練度を上げていったのだとわかる。
ベラスケスとスルバランに比べると、ムリーリョの点数が少ないのが気になるが、宮廷コレクションを下敷きにしてプラド美術館が成立しているからには、仕方のないことかもしれない。甘美なのに世俗にまみれて、ポピュラリティを獲得した国民的画家である。ラファエロのもつ誰にでも愛される柔軟さは認められるものの、宮廷絵画の格式とは性格を異にしている。大衆性とは一線を画していた王室コレクションの異質な嗜好にはそぐわなかったのだろうか。
厳しい肖像画に同調しながら、裸体画の優美が混じりこむ。時にぞくっとするようなエロスを感じさせるものもある。宮廷内に特別な部屋を用意して、そうした絵画群だけを集めて、来賓を案内したようだ。それは驚異に満ちた秘密の部屋といってよいが、ブンダーカマーというドイツ語に対応するものだっただろう。マーベラスという英語に翻訳される好奇心に満ちたフェリペ二世や四世というコレクターの嗜好が、今日では国家財産としてプラド美術館に継承されている。
フェリペ二世がそんな珍品の極め付けとして収蔵したのが、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」だった。祭壇画の形式を持つとはいえ、裸体の氾濫する異色の造形が、カトリックに裏打ちされた厳格な王宮内の公式の場に置かれたものとは考え難い。しかし権力者の欲望は、こうした作品の登場に対応するように、秘密の部屋の建造に駆り立てられていったのだろう。フェリペ二世は必死になって、当時フランドルにあったこのボスの名作を、何とか手に入れようと策を弄している。今日の研究では、「快楽の園」自体もまた、フランドルの宮廷内の秘密の部屋に置かれるために、ボスに制作依頼されたものではないかと、推定されている。
今回のテーマには少し先立つ16世紀のフェリペ二世統治下での話だが、プラド美術館展としては、最大の企画になるだろう。ベラスケスを展覧会名に掲げて、代表作をよくぞここまで貸し出してくれたと思うが、「ラス・メニナス」の来日は不可能だった。このことを考えると、日本がプラド美術館と今以上の良好な関係を保ったとしても、「快楽の園」の来日は夢だろうと思う。しかし、繰り返されていくであろう、今後のプラド美術館展の最終目標であるに違いない。ミュージアムショップには来ていもしない「快楽の園」のグッズコーナーがあったし、会期に合わせて近年制作されて話題になったボスのドキュメンタリー映画の上映会も行なわれる。
2018年8月4日(土)~9月30日(日)
2018/8/23
明治美術の多様性を語るのにふさわしい地の利を生かして、これまでは江戸に焦点が当てられていたポピュラリティを奪い取ろうとする。洋画を基調にしながらも、横浜に岡倉天心が育ったという因縁は、その後の展開に影を宿すことになる。西洋と日本のせめぎ合いが、この地を舞台に美術品を鍛え上げていくのだ。
明治の超絶技巧として今日の流行りの一角をなす宮川香山から展示ははじまる。デコレーション過多の造形は、日本文化の情趣を逸脱しているが、西洋の目を楽しませるためには、ここまてゴテゴテした粘着力がいるということだ。万国博覧会を通じて、日本の異国性が誤解されていく。原色の神秘は錦絵の強烈な赤の強調とも共鳴しあって、江戸の太平を維新の血で洗い染めてしまう。流血と暗殺で彩られた幕末の殺伐が、浮世絵の誤解を加速させてしまった。
冊子になった浮世絵帖が、閉じられたまま完全なる色彩の保存をめざす。今回の展示も薄暗い照明の中で、江戸の鮮烈が浮上する。横浜絵の名で呼ばれるが、外国人の持ち帰る土産物として繁盛したというのなら、江戸の浮世絵とは随分と異なる世界観だったのだろう。浮世絵が終末を迎えるのは、時代が変わったからで、もはや浮世ではないということだ。天下泰平の怖いもの知らずが、世界に目覚めた。長崎では針の穴から世界をのぞいていたが、横浜では西洋人がかっぼして、ウエルカムへと方向転換がされる。開国の証しが造形にも変化をもたらしていく。
五姓田派のコレクションが、この館での充実の目玉だ。母の死相を冷徹に捉えた五姓田義松の油絵がある。物と化してゆく命の有り様を目を見開いて絵にする。真実から目を背けないという姿勢が、明治という時代を象徴し、江戸との対比を鮮明にする。このことを宮川香山の場合でいえば、しっかりと見開かれた猫の目と、江戸の名工が彫りだした眠り猫と対比をすればいいだろう。太平の安眠をむさぼる時代ではなくなっていたということだ。ともに芸術以前の科学の目が、方向を間違って芸術には向かわずに、工学へと舵を切ったふうに見える。殖産興業に奉仕し、富国強兵を合い言葉にする方針下では、芸術を切り出す芽も育たなかっただろう。そんなせわしなく加速する追いつけ追い越せの西洋化路線に、当然の苛立ちとなって岡倉天心を人格化していったとすれば、それも横浜という地のなせる技だっただろうか。
天心が奥原晴湖という女流画家に学んだということは知っていたが、今回はじめてこの南画家の絵に出くわした。つくね芋山水として南画を排斥にかかるその後の天心の行動を考えた時、興味ある経歴だったのだが、ひょろひょろとした手慰みで描いた絵とは対極にある骨太の筆さばきに驚いた。女性が描いたものとは思えない気迫に満ちた山水画だ。
晴湖の肖像写真が残っていて、堂々とした体格が見え、この絵にぴったりと対応している。天心は幼心にこの画家に母性を感じたとすると、理解がいく。そこにその後妻になる基子の面影や母性としてのインドに向けての想いを重ね合わせると、天心の思想と行動を読み解くキーワードになるのではないかと思う。太っ腹の女性の呪縛から逃れるのも行動パターンの一つだっただろう。天心は幼くして母を亡くしているが、母の亡霊のようなものに取り憑かれ、それからの逃避行が天心の生涯だったかもしれない。母の死を冷徹に見つめる五姓田義松の目とは明らかに異なっている。
2018年7月21日(土)~10月8日(月)
2018/8/22
奇妙なタイトルの展覧会なので、気になっていた。食文化と美術を結びつける現代の興味に対応させると、時機を得た企画に見えていた。いったい何を並べるのだろうというのが、単純な関心事だった。来てみると、参加型の展覧会だったのが予想外で、夏休みの子どもたちをターゲットにしたシーズンものと言ってよいか。
夏休みと弁当とは相容れないぞと切り返してみる。秋に入って食の季節になれば、お弁当というキーワードが占める奥深さは、モノを通してもっと切実に伝わるはずだ。アートの領域確保にこだわらず、遊び心に流されずに、博物学的興味に徹すればよかったのにと思う。佐倉の歴博や千里の民博でも扱えるテーマでもあるが、美術館としてできるアイデンティティとは何だろうか。観客が参加するという試みも一つの方法だが、もっと感動的な切り口があるように思う。だからこそ期待してやってきたのだ。
江戸時代の弁当箱を並べるというのは、それなりの意味はある。それだけで美術品に違いないし、工芸品として食器を展示するのに対応している。問題は現代である。現代アートとしての弁当箱という視点をひねり出すことが、ここでの課題だ。海外のアーティストが、日本の重箱を見て、レイヤーという語で説明していたのが印象的で、層を重ねているという解釈は、これまでの日本人の発想にはない。食の達人魯山人には弁当箱はなかっただろうか。旅の達人もきっといい弁当箱をもっていたはずだ。
重ねたものを広げて並べるというパフォーマンスで、弁当箱が成り立っているとすれば、日本文化を「折りたたむ」というアクションでひもとく適例にもなるはずだ。畳(たたみ)という生活様式を読み解くきっかけにもなるだろうし、折り紙という遊戯形式とも連動している。
2018年7月14日~9月9日
2018/8/22
102歳まで生きたのだから、当然作品数は多いはずだが、80歳を超えてからの墨摺が、サイズも大きく迫力があるのに驚く。しかも制作地はアメリカである。大らかな太い黒が、力強く、木目に打ち付けられて、影となって存在感を際立たせる。最終的には白黒の、版画の王道に立ち返るが、多色摺の木版画が風景描写に叙情を加えて、香り豊かな浮世絵の系譜を伝えてくれる。関東大震災後の東京風景がいい。お寺の灯籠がひっくり返っている。昭和10年前後の多色摺りの木版画もいい。夕空が明るく、街並みが薄暗くなっていく色彩風景が旅情をかき立ててくる。
恥ずかしながらはじめて出会う感動に、これまで何を見てきたのだと、自責の念に駆られる。「木版画の神様」というサブタイトルに誘われて、千葉まで足を伸ばした。作品数の多さは、木版画一筋に掛けた情念を伝えるに十分で、展示された300点の全てが千葉市美術館にある。「壮大な生ける木版画史(西山純子)」と評される通り、浮世絵版画を継承し、自刻自印の創作版画運動から50年代の版画ブームを経験し、アメリカでの国際的地位の確立という栄光を手にした。
私自身、創作版画の色彩感覚に魅せられた時期もあったが、平塚運一という名はインプットされていなかった。その後の版画ブームでも棟方志功や池田満寿夫などのポピュラリティの前で、隠れてしまっていたようだ。1962年には渡米してしまっていて、日本のアートシーンからは消えてしまっている。1、2年で帰国するつもりが、居心地が良かったのか、30年以上を過ごした。
版画ではなかなか身を立てるのは難しい。支援の手は限られていたはずで、それにもかかわらず生涯を通じて、制作を続けることができたということは、一途な思いとともに、アメリカでの制作環境が幸運を呼び込んだということだろう。そのあたりの事情は気にはなるが、プライベートを根掘り葉掘りほじくってみる気はない。旺盛な作品群が、何よりの生命感を伝えているのだから、それで十分だと思う。漆黒の深みは、消すことのできない版画独特の存在感を主張している。塗られた黒ではなくて、押し込まれ染み込んだ黒なのだ。墨という東洋の神秘を、アメリカは十分に知っていたはずで、平塚運一の版画を受け入れた。
ポスターになったロサンゼルスの住宅街に続く歩道と街路樹に、アメリカの平和がひしひしと伝えられる。街はずれからは遠くに安定感のある家並が見える。街灯も等間隔に並んでいて、何気ない平和のしるしを描き加えることで、渡米した年の制作が、希望に満ちたものであったことを伝えている。構図の中心には、カリフォルニアの風土を象徴するようにヤシの木がそびえている。前途の輝きを暗示するように、四方に広がりを発散している。人は誰もいない。それは作者だけが目にし、作者だけに対峙した世界だからだろう。
2018年7月13日(金)-9月2日(日)
2018/8/22
以前「戦国自衛隊」という角川映画があった。鎧兜の戦国武将と戦車に乗った自衛隊が激突するというタイムスリップしたシーンが、強く記憶に残っている。その時の違和感がここでも蘇ってくる。現代と過去の奇妙な出会いだが、SFという区切りで理解し納得してきた理性が崩壊する。鎧兜を身につけた現代人という、映画の世界では当たり前の約束事が、彫刻という分野に持ち込まれることで、化学反応を起こし、鑑賞者にこれまでにない体験をしいる。
使い古された鎧兜と、疲れ切った現代人という組み合わせは、シュールな光景だが、同じ周波をもつ通信回路のように共鳴しあっている。背伸びをしてハートを描く戦国武将にユーモアとパロディを感じ取るが、死にゆく者が見せる愛の希求と取れば、ペーソスに満ちた人の世の悲哀が漂い始める。戦闘服に身を固めたソルジャーなら、プラモデルの量産によって、馴染んできたものなのだが、鎧兜に置き換えられることで、この美術品とも工芸品とも言える美の伝統に、目が向かう。
使い古されたということは、それを身につけていた兵士が、もはやこの世にはいないのだという連想を生む。つまりは遺品であって、血の匂いさえ染み込んでいるものだ。刀剣が攻撃の象徴だとすれば、鎧兜は防御を意味する。相手を威圧するために築かれた城とも等しい。落城して石垣だけが残された姿が、ここで描き出された鎧兜に対応する。五百年の時を超えて亡霊のように、乱世の夢が現代人に取り憑いている。
肩を落として背が語る兵士たちの表情は暗い。思わず顔をのぞきこみたくなるほど、身につけた鎧兜が語るメッセージは、多様で豊かなものがある。ミニチュアサイズが多数を占めるが、それらは撮影され、映像やポスターで拡大されることで、威力を発揮する。
2018年7月14日(土)~2018年9月9日(日)
東京ステーションギャラリー
2018/8/22
絵本作家や童画家という肩書きを否定するように「絵描きです」と自己表明をする。確かに絵本とはいえ、一枚一枚の原画が輝きを放つ。それぞれの人物が独自の表情を持っているが、必ずしもそれは顔だけではない。少年少女の目は黒く塗りつぶされている場合が多く、そこでは身体全体が表情を持っている。カーテンに隠れて顔だけをのぞかせる子どもも、全身の輪郭がシルエットになって浮かび上がっていて、隠れながら隠れきれないでいる子どもの特徴を見事にとらえている。
「怖いもの見たさ」という語が、絵に託される。それは赤ちゃんが帰ってくるのを待つ幼い姉の姿であったし、雨の日に留守番をする子どもの心の動きでもあった。そして同時に戦争に向ける子どもの表情にも反映している。「戦火の中の子どもたち」の鋭い視線と警戒心は、身近に迫る恐怖に対する姿勢であり、見事な描写だと思う。それまで黒目だけであった目の点描に、視点が加わる。白目が恐怖のありかを伝えている。
言い換えれば黒目は、全てを受け入れる平和の象徴であって、屈託のない純粋無垢を表明するものだ。黒は全てを吸収する色であるからこそ、反発をするとき日本語では、白目をむくと言うのだ。先にブルーナの描く目の黒い一点のことを論じたが、ちひろの場合も、この一見すると表情を欠いた目の描写に、創作の秘密があるのだと思う。
滲むような水彩のぼかしは、書道を学んだ幼い頃の発見であっただろうし、その時に目を墨で塗りつぶすという禅的表現の発想は、さかのぼれるのではないだろうか。風景がぼかしによって歪むのは、涙のせいでもあって、悲しみを伝えるのに、涙を見せない方法論を模索する中での発見だったと思う。最晩年に「ぽちのきたうみ」で描いた海のぼかしが素晴らしい。人物は小さく、海は悲しみでにじんでいる。荒海を同じアングルでとらえた墨一色の描写もある。風景に心象を託すのは、日本文化の奥深さであり、和歌や俳句の美意識にも連動して、絵本という簡潔な言葉を見つける作業に導いていったのだろう。
2018年7月31日(火)~2018年10月8日(月)
2018/8/22
藤田の全貌を伝える網羅的な展覧会だった。それを通して揺れ動く魂の叫びを聞きつけた思いがする。戦後の活動はこれまであまり評価をしなかったが、宗教的主題を含めて、画力の冴えを何気なく披露する自然なスタンスに感銘を覚える。西洋に憧れ日本を離れ、栄光を携えての帰国は、侵略する日本の孤立にとっては大した名誉にもならなかった。時代の寵児への妬みもあっただろうし、時代の巡り合わせの悪さがなせるワザでもあった。
藤田は幸運の画家ではあったが、不運の画家でもあった。時代の寵児としてもてはやされるが、それはただの人気だけではなくて、実力の上に立つものだったということは、作品を前にしてわかることだ。色彩感覚よりも線の描写に長けた人だったように思う。配色の難から逃れて、白にたどり着いた。当然、線描はくっきりと引き立つ。白の代わりに金を用いても成功した。ともに色彩を否定するものだ。金はやがては宗教画に回帰するが、西洋人のアナクロニズムも、東洋人にとっては新鮮で神聖なチャレンジだった。
戦後の藤田は生まれ変わった。日本に帰ることで生まれ変わることができたのだろう。それは決別を意味している。薄暗い絵の具の脂の中で、線だけが神経質にうごめく戦争画とともに、日本人の藤田は死んだはずだ。レオナールフジタとなるためには、かつて捨てたはずの日本の地を踏むことが必要だった。長らく戦争画は自身の手で封印してきた。そのために見えなかった戦争画前後の絵画の展開が、今回の展示構成によってはっきりとしたようだ。ポスターになったパリジェンヌのメランコリアは、戦前の小生意気な目つきの鋭い少女や猫の、改悛後の姿だったように見える。
2018年8月24日(金)~10月1日(月)
2018/8/21
漫画というと、質の悪い紙の上に印刷された世俗にまみれた猥雑さが命だが、絵画として額縁に入れて見てほしいという願望はあるはずだ。画力がある作家であればなおさらで、この想いの集大成とも取れる展覧会だった。JoJoというシリーズの総発行部数が、1000万部というのだから純文学をめざす芥川賞候補などには気の遠くなる数字だろう。
それもひとえに絵の力ということになり、ミケランジェロをはじめとしたイタリアルネサンスから学んだことも多いようだ。正面を向いてポーズしてみせるキャラクターが随所に登場するが、ミケランジェロを思わせるコピーも少なくない。そこにはマニエリスムを掲げた16世紀後半の技巧派の流れを踏襲しているとも取れる。
漫画を構成する四つの要素を、荒木はキャラクター、ストーリー、世界観、テーマとしているが、それらを支える大前提となるのが画力ということになる。ヘタウマ文化論とは対極にある本格派の伝統を堅持しているようだ。一枚一枚の絵に対するこだわりは、原画の展示によって明らかになる。それらは額装され彩色された中で開花する。ポーズを取って見せるギャラクターたちは、大衆演劇によって支えられている昔懐かしい響きを携えている。
大衆文化を味方につけてのし上がってきたのだから、それは欠くことのできないメディアの特性であって、そうしたざらついた粗悪な紙質を脱して、美術館の舞台に躍り出たということになるのだろう。しかもこれまで美術館を支えてきた公開のあり方を覆そうともしていて、完全予約制というチャレンジに踏み切る。コンサートでチケットが取れないという悪しき誇りを引き継ごうということか。
出版社に出された原稿は、冊子よりも一回り大きい。絵だけでなく文字を伴っている。目につくのはドドドドドドドドやオレオレオレオレオレなど、不必要に繰り返される文字列で、書体も太く絵を損ねている。言葉を獲得する以前の人類の原点を探る視覚のように見え、その中で絵の力が浮上する。この貼り付けられた文字のコラージュは、完成に至る必要悪ではあるが、出版社名の残るゴム印の跡とともに、オリジナリティを加速している。
それは書籍の挿絵を切り抜いて額装したのではないのだという表示ではあるのだが、画家が神経質なまでに完成へと至る細部のこだわりとは対極にあるものだ。このデリカシーのない文字列が大衆文化の基盤には違いないだけに、そこに漫画家のジレンマがあり、願わくばタブロー作家への変身を遂げようとする。このことは次に行くいわさきちひろ展の場合も言えることだろう。
2018年8月14日(火)-10月14日(日)
2018/8/21
影絵や幻燈という昔懐かしい響きを持った語について考え、写真のルーツと、現代のプロジェクションマッピングに展開する系譜をたどる。ここでの主役は、撮影機材ではなくて、投影機器である。初期のシンプルな幻灯機から、重厚なプロジェクターへの進化は、芸術そのものではないが、それを支える重要な要素だ。マジックランタンの歴史は、現代の芸術表現でも、すたれることなく継承されている。
今日の隆盛を誇るプロジェクトマッピングが、長い歴史的系譜をたどって今日に至るのだという確認は必要だ。先を見誤らない手立てでもある。影絵としてまだ機材もない時代から、思いつかれた映像への想いは、ロウソクの火から電球を発明させ、影を写し出すという方法を思いつかせる。電球を箱に詰め込んで、小穴を開けて光を透過させる。レンズの発明は明度を増し、強い光を壁面に透過する。耐熱と耐火を確保するために重厚な金属で映写機をおおう。展示された映写機のそれぞれが戦地に向かう勇者のように見える。時に発火して焼け落ちることもあっただろう。そう思うと戦闘機の開発を競う技術史のようにも見えるし、ポータブルとして持ち運ぶためのデザイン史としても読めてくる。
会場内の壁面ではルミエール兄弟のシネマトグラフィとメリエスの月世界旅行がエンドレスで流れていた。どこまで時代考証があるかに、興味はあるが、おそらくはこんなにも明るい画面ではなかっただろう。合わせて現代のマジックランタンとしての新作を一室用意してあったが、機材の不具合でしばらくお待ちくださいとのこと、何とも不細工な話ではあるが、始まって間もないマジックランタンの頃の現実をシミュレートしているようで面白かった。結局は時間がなくて見られなかったが、それが一瞬にして消える映像の本質を語るように思えて、かえって興味深い。どんな映像だったのだろうという幻影が脳裏に浮かんでいる。目録によると小金沢健人「よびつぎうつし」ヴィデオ・インスタレーション60分とある。
2018年7月24日(火)~9月24日(月)
2018/8/21
写真をアートとしてニューヨークに学んだ日本人の草分け的存在である。多くが透過の実験に終始しているように見えるのは、写真というメディアの特性にこだわり続けた結果だろう。一貫して前衛的気質が感じ取れるが、写真の本質から逸脱しないしっかりとした技術の上に立ったもので、日本の美術教育にはない造形思考のありかを伝えている。
初期のフォトグラムですでに、自然の再現をめざす写実絵画の系譜からは逃れていたようだ。二重写しになった画像の重なりや歪みは、光の処理に興味を移し、レントゲン写真のような透過性を用いたインスタレーションから、シルエットによるネガポジの逆転劇へと至る。影絵による輪郭の強調が、人物の特性を際立たせる。村上隆を写した影は、本人以上にほんものらしさを獲得している。
写真はすべてを犠牲にしてほんものらしさを追求するのだとすると、犠牲にされたのは写実力ということになる。確かに写実を超えて、モノそのものを「写す」のではなくて「移す」のだと言うと、はっきりとしてくる。電気服という、関西の前衛美術集団である具体のメンバーによっても試みられた「うつくしい実験」は、パフォーマンスでありながら、写真に引き伸ばされて、しっかりと記憶に刻み込まれている。
早くから日本を去り、海外で評価されたものの、日本では知られないままの作家は少なくない。そうした埋もれた傑作の洗い直しは、これからの作業だろうが、展覧会を通じて新鮮な気持ちで受け入れられるのはありがたい。写真や映像という分野が今日のような隆盛を極めなかったなら、忘れられたままだったとも考えられると、時代を感じ取る敏感なアンテナが求められる。しかし、これも好き嫌いの問題でもあるので、常に先取りをするだけを良しとするものでもないだろう。
いつ何時、再評価が訪れるかもしれないというのが、芸術分野での宿命だろうし、そのためにはモノが残っていることと、残すに値するものという、量と質の基準が常に付きまとってくる。杉浦邦恵もまた、単に私が知らなかっただけなのかもしれないが、この歳になって出会うことができてよかったと思う。
「20歳だった1963年に単身渡米し、シカゴ・アート・インスティテュートで写真を学んだのちに1967年からニューヨークを拠点として活動を続ける杉浦邦恵」という紹介文の冒頭を読むだけでも、日本にいて出会える機会はない。挫折をして芸術を断念する場合の方が多いだろう。続けることは、作品に編年がたどれるということだ。そして残っていることが条件となるが、その前に生きているという必須事項が加わっていく。
2018年5月12日(土)~8月5日(日)
2018/8/21
写真を主題で分類し、わかりやすく写真というメディアの特性を教えてくれる。前回に引き続き、企画者の腕が冴えた良質の展覧会だった。「何を見ているのだろうか」と問いかけてくれることで、改めて視線が気になる写真なのだと気づく。写真に何を読み取るかという問題は、ここを見てくれという簡単な指示があって開かれるものだ。見過ごされることが多く、こんなところが見どころだったのかという驚嘆が感嘆となる。
分類はまず「大人×子供+アソビ」。ここでは土門拳の「トカゲ」か面白い(1)。子どもの頭にトカゲが張り付いている。怖がる様子もなく、いたずらざかりの子どもたちの、屈託のない笑顔が、古き良き昭和の活力を伝えている。林ナツミの宙に浮く自画像のシリーズも、表情を持たないまま、当たり前のように、どこにでも空中を遊泳して行く(2)。
次のテーマ「なにかをみている」では、ジュリア・マーガレット・キャメロンの焦点を結ばない肖像の眼差しが神秘的だ(3)。セピア色をした過去の記憶をたどりながら、時の流れの経過を経て、やっと行き着いた美なのだと思う。写された時にはなかった美が時とともに変色し、完成する姿を見た気がした。写された当時、肖像の視線ははっきりと一点を見つめていたのだと思う。時とともにそれがぼかされ、神秘のヴェールに覆われて、写真自体もセピア色に変色していったに違いない。
ロベール・ドアノー「ヴィトリーヌ、ギャルリー・ロミ、パリ」では視線の妙に思わず笑みがこぼれる(4)。ショーウィンドウに掛かるヌード写真を通りから眺める客を盗み撮りしたシリーズだが、申し合わせたように男性と女性の紋切り型の反応なのに、写真のもつ特性を遺憾なく伝えていて、実に面白い。プラド美術館でゴヤの描いた二点のマハを眺める男女の対比を描いた写真家アーウィットのユーモアが、ここでも視線をめぐる写真の秘密を探り当ててくれる。
「人と人をつなぐ」では、ニコラス・ニクソン「ブラウン・シスターズ」がいい(5)。4人の姉妹が並んでこちらを見ているだけの写真なのに、時の流れを感じさせるものとなっている。たとえ続けてシャッターを切ったとしても、時間にはいつも前後がある。年齢はわからない。4人は似ているが、若くもあり老いてもいる。4人が並んで写るのは、いつまで続くのかと考えると、一人欠け、二人欠け、やがては一人だけになる時がくる。そんな時間の非情までも、写し込む写真の魔力に出会える一瞬だった。
ユージン・スミス「カントリードクター」は、ヒューマ二ティあふれる写真だ(6)。最前線の医療の現場で黙々と使命を果たす無名の医師を写し出したドキュメンタリーに、人と人の結びつきを強く意識させてくれる。
「わからないことの楽しさ」では、ギャリー・ウィノグランドの「ニューメキシコ州、アルバカーキ」を挙げてみる(7)。何のドラマがあるわけではないかもしれない。しかし一枚の写真として展示される限りは、何かがあると思ってしまう。その不可解さが楽しいということだ。写真は読者が読み解く一編の短編小説だ。何気ない一瞬に潜む深読みの味わいを満喫する長編映画でもある。ああでもない、こうでもないと次の手を考える棋士のように、一瞬に永遠を探り当てる。
原野の一軒家の入り口から、よちよち歩きの幼児がこちらに向かって進んでくる。前方には三輪車が寝転んでいる。幼児の背後には母親らしき姿が、影から追いかけて来ているようだ。タイトルからは何も読み取れない。ひっくり返った三輪車を深読みすることもできるが、日常よくある光景で、取り立てて問題になるものではない。
「ものがたる」では、ストーリーテラーというよりも、モノそのものに語らせるという点で、現代美術の前衛的動向に同調している。岩宮武二「畳」もいいが、中山岩太の「福助足袋」が際立った魅力をもっている(8)。ここでのモノは、物質そのものというよりも、レディメイドのオブジェと言えそうで、デュシャンの便器のような立場を取ろうとする。福助の異様な笑みと、足袋の抽象的フォルムが抱きあわされて、シュルレアリスムと抽象を併せ持つ前衛精神が浮かび上がってくる。
「時間を分割する/積み重ねる」では、ハロルド・ユージン・エジャートンの「ミルクの滴の小冠」が印象的だ(9)。残像がつくる造形の神秘に、自然の豊かな造詣と神聖なまでの幾何学的原理を教えてくれる。王冠を通じて崇高な形の必然を読み取れる。
「時間の円環」もサイエンスの目がとらえた自然の無常を伝えてくれる。宮崎学の「冬・ニホンジカ 1993年1月20日」に始まるドキュメントは、雪に埋もれた鹿の死体が骨と化す8月13日までの姿を、冷徹な目で見つめながら、シャッターを切り続けたシリーズだ(10)。カメラは死後の形という自然の風化の有り様を見つめ続けている。それは残酷ではあるが、メメントモリの教訓を含む、墓参にも似た祈りの形のように見える。
2018年7月14日(土)~2018年9月6日(木)
2018/8/21
フィンランドの陶芸については、前提となる知識はほとんどなかった。しかし日本人の目に優しく、その美意識に違和感はない。西洋人が憧れる中国陶器の味わいは、言うまでもないが、日本の美観も入り込んでいて、ほっとするような、落ち着いた気分に導いてくれる。中にどう見ても備前焼のような土肌をもつものに出会うと、こんなところにまで日本が息づいているのだと、土の文化の普遍性を感じることになる。
北欧にはそぐわないアラビア製陶所という名が盛んに繰り返される。この企業と関わった陶芸家たちの仕事が数多く紹介されるが、女性の作家が多いのに気づくと、女性作家を育てる教育システムが、行き届いていたということなのだろうと思う。実験室を思わせる施設で、作業服を着込んだ彼女たちの集合写真が残っている。原始時代から、土器づくりは女性の仕事だったと言われるが、太古より引き継がれた原理ということだ。
フィンランド陶芸は20世紀はじめのアラビア製陶所の製品からスタートするが、エスニックな形の中に、その後のマリメッコを彷彿とさせる色調が見られるのが興味深い。世界各地のカラーが無節操なまでに取り込まれるが、マイセンやセーヴルが躍起になった磁器とけばけばしいまでの五彩の装飾が見られないのはありがたい。日本人の感覚を逸脱したキッチュな迎合は、クライアントのニーズによるとはいえ、そこまでして日本文化を誤解させる必要はなかったのではと思う。
陶芸を構成する二つの要素は、生活と芸術ということになるが、フィンランドの場合も、両者のせめぎ合いの中にある。壺や皿の一方で、陶彫と陶板が紹介されている。ミハエル・シルキンの動物の陶彫は、サイズも大きく、それぞれの動物が示す表情が、人間の感覚を宿していて、冴え渡っている。壺をはさんで貼り付けられた狩人と獲物の緊張感がいい。柱のかげからのぞきこむように獲物を見届けようとする狩人の姿が卓越している。
ルート・ブリュックの陶板は、宗教的気分を下敷きにして、エキゾチックな輝きを放っている。キリスト教中世の経験な香りを残しながら、現代絵画のタッチを盛り込んでいる。ビザンチンのモザイク画とゴシックのステンドグラスの伝統を掘り起こす古拙の美は、ルオーの宗教画を見ているような荘重と格調を具現化している。
2018年7月14日(土)-9月30日(日)
2018/8/19
猪熊弦一郎をゆっくりと見たいと思って訪ねたが、この日は夏祭りにあたり、駅前は大賑わいで美術鑑賞どころではない。そのためか本日観覧料無料の表示に従い、恩恵にあずかった。全館猪熊弦一郎だが、網羅的ではなく、顔と風景に限定されている。具象から抽象まで、さらにはオブジェへと幅広く制作領域を広げ、子どもの美術教育にも熱心に取り組んだ。パリとニューヨークで制作を続けた国際派でもある。
美術館正面のアプローチが、そのまま祭りの舞台になっている。夏祭りが美術館を借りているというよりも、美術館が祭りを飲み込んでいるというふうに見える。祭りの舞台裏を通って美術館の入り口に達する。一見するとそぐわない光景を目にして、猪熊弦一郎という画家の人となりに思いを馳せた時、もちろん画家はすでにこの世の人ではないが、お祭りという人と人との出会いの場を歓迎して、画業の中に含めて考えていたのではないかという問いかけをしてみた。
まずは孤高の天才として画業を神格化して、厳しく険しい道を歩む姿を連想してみる。ユーモラスで楽しい人の顔を組み合わせた今回のポスターを見ながら、そんな画家ではなくて、人と人とのつながりを第一と考えるコミュニケーションの画家ではなかったかと自問する。1989年、87歳の作品だが、何年か前に最愛の妻を亡くしている。顔のシリーズを始めるきっかけが、妻の死だったようだ。
「face80」というタイトルをもつこの作品には、さまさまな表情をもつ80人の顔が9×9=81の枠の中に描かれている。つまり一つの枠が欠けているということだ。このぽつんと抜けた空白は謎めいている。一人が欠けているという心に空いた傷口と見ると、そこには亡き妻の面影を埋めることもできるが、もっと普遍化して人の和を考えてみる必要がありそうだ。
この美術館の設立の意味を付与するとそのことははっきりとする。開館の折りに、落成式で猪熊は「美術館は心の病院」だと言っており、その理念に沿って美術館運営がなされてきた。顔の連なりは人の和を象徴し、一人として欠けてはならない大切な枠なのだろう。美術館でお祭りを行なう発想は、設立の時点から始まっていたのだと思う。今回はじめてその光景に接して、違和感から始まって、反省へと推移した美術鑑賞のあり方を、今反芻している。はっぴ姿で出番を終えた子どもたちのエネルギーが、館内のロビーに渦巻いていた。これまでどこの美術館でも体験できなかった光景だ。猛暑の中、館内の冷房はフル回転をしながらも、熱気を帯びていた。祭りの楽屋と化した美術館を前に、いいものを目にしたと思った。
2018年7月27日(金)~9月2日(日)
2018/8/19
4人の作家の紹介である。それぞれに個性をもった表現だが、共有するものもある。それは同時代を生きる芸術の必然性と呼びかえてもいいが、同時代性のことを英語ではコンテンポラリーの語を用い、日本語では現代と訳している。背景には現況を把握するための膨大な蓄積があるという点で一致する。
下道基行は写真家だが、芸術写真を手がけているわけではない。かと言って記録を伝える報道写真家でもない。一点の決定的瞬間を狙ったものでもなく、シリーズとして繰り返し見ていく中で、じんわりと凄みが現れてくる。杉本博司の海のシリーズに代表される固有名詞をもった存在感という点で、共通する風景写真と言ってもよいか。
鳥居のシリーズは、一見すると鳥居のある風景と呼び直してもよいものだ。隠されていてどこに鳥居があるのか、探さないと見つからないものもある。どこにもないことがわかると、鳥居から撮影したものだという切り返しもできる。
シリーズ名を英文で「torii」とすることで、ただの鳥居でないことがわかる。さらにタイトルにサハリンなどの地名が読み取れることから、特殊な風景であることが判明する。人物は登場しない。草原に鳥居がぽつんと立っている。もともと鳥居とはそうしたものだが、この神域確保の象徴は、目に見えないバリアとなって、先の戦争に加担したのだということが、だんだんと見えてくる。
ローマやパリで言えば凱旋門のようなものだが、自国での勝利のモニュメントではない。外地に残された戦争の傷跡であり、戦没者の遺骨探しのような終わりのない旅の証言が、ここにあるのだと知ると、執念にも似た情動が、それぞれの写真に重ねられていく。密林化した草木の間に、鳥居の輪郭がおぼろげに見える(1)。桜の季節、階段の奥にあるはずの鳥居は隠されて見えない。
資料展示として鳥居のある絵葉書がガラスケースに並べられている(2)。以前横尾忠則が集めた滝の絵葉書の膨大な量に唖然としたことがあったが、確かにそれは執念としか言いようはない。芸術以前の準備体操にすぎないが、芸術に結晶するための必須のアイテムであることがよくわかる。
今回の展示は鳥居に加えて、津波石のシリーズが紹介されている。四台のプロジェクターに投影された映像作品である。巨大な石が一つ、平原に置かれた風景だ。ほとんと動かないので写真と言っていいのだが、その前に人が群がり記念撮影をしているドキュメントも含まれている。
「津波石」というタイトルに出くわして、はっとするという手順をなすが、風景としては砂漠に孤立するピラミッドのある観光写真に似ている。宇宙から飛来した隕石にも等しいが、人智を超えた自然のいたずらである。いたずらは人が前に立つと猛威に名を変えることも教えてくれる。
山城大督のトーキングライツは、一瞬でわかる美術作品ではない(3)。映像作品でもなく、演劇の舞台に近いが、演じているのは役者ではなく、個性をもった収集品、言い換えればガラクタと言っていい物たちだ。雷門の太鼓や、潰れた人形のかしらや大きなしゃもじが、舞台の上に置かれ、身振りを交えて寸劇を演じる。20分ごとに自動的に上演はプログラムされているようだ。解剖台の上でミシンとコウモリ傘が出会ったようなシュールな光景は、独特の雰囲気に包まれる。スポットライトの点滅も加わって、盛り上がりが演出される。
藤浩志の部屋は、ところ狭しと無数のプラスチックのオモチャが並ぶ(4)。ドラえもんの人形やカラフルなキャラクターが、廃品としてゴミの山を形成する。個々のパーツは趣味の収集品だが、潰れているものも多く、コレクターの収集癖の異様さは、マニアックな現代の狂騒を象徴する。
しかしその人工美はカラフルで、あちこちで立ち上がる恐竜は、メガロポリスをのし歩くゴジラの姿に等しい。プラモデルやロゴが作り上げた巨大な箱庭は、統一感のある人工都市を形成している。侘び寂びを基調にした日本文化とは対極にある西洋文化の美の結晶を端的に語り始めていく。目を細めてパーツのディテールをぼかすと、原色の街が立ち現れてくる。廃物の集積が美の統一へと変容する。
千葉尚実は、似て非なるものを積み重ね、儀式のもつ異様さに気づかせる。扱われた主題は「集合写真」(5)と「石積み」(6)と結わえられた「おみくじ」である。ともに風習として受け入れてはいるが、改めて見直してみると異様な光景である。それを仮想的に再現することで、人間の心の奥に潜むデーモンのありかを探ろうとしている。
卒業アルバムは、すべてが同じ顔をした澤田知子の世界を連想させるが、異なるのは写真ではなく手描きによる肖像画である点で、当然同じ顔は一つとしてない。それは小石の一つひとつが、違う顔を持っているのと対応している。ただし積みやすい石と積みにくい石の違いがあるという点で、全体としては、メリハリのある風景が誕生し、絵になる光景が築かれていく。
最後のおみくじも、結び方は人それぞれで、観客が参加することによって、集合風景は完結する。これが最後の展示だが、そこに印された鳥居のマークは、展示の始まりへと戻す循環をなし、脈絡のないはずの四章構成に起承転結を付けようとしているように見える。
2018年7月14日(土)~9月17日(月).
佐川美術館
2018/8/8
田中一村がNHKで紹介されて、日本中があっと驚いたのは、いつの頃だっただろうか。こんな画家がいたのだという、今の時代には珍しい埋もれた神話の存在に触れ、情報化時代にも盲点があるのだと気付いた。地方に美術館が乱立する中、郷土ゆかりの画家を探しまわる学芸員を尻目に、NHKの取材能力に感服したという記憶がある。その後各地で奄美時代の日本画をまとめて展覧会が開かれた。私は大阪のデパートで見たように思うが、熱帯の原色の果実と、黒い影を落とした大きなヤシの葉の対比が、記憶に焼き付いている。
あれから何十年ぶりかの田中一村展だったが、今回は7歳の頃の日本画から説き起こされて、若き天才がドロップアウトして、奄美にたどり着くまでを丹念に追っていた。そのためか、奄美時代のものが、少し物足りない気がした。実際にどれくらい「アダンの海辺」のような秀作が描かれたのか定かでないが、かつて見た私の記憶では、もっとたくさんあったような気がするのだ。私の過去の中で数点のイメージが増幅されてしまっているのかもしれない。
若い頃から優れた才能を発揮したことはよくわかるが、同時にその後の展開を予想できる兆しも見えてくる。墨絵に少しだけ彩色をする場合、桃をはじめとした果実の色あいが見事に再現されており、その鮮やかな原色が、後年奄美に惹かれる要因をなすようだ。墨筆の用法の習熟は、写実ではなくて、例えば「石図」と題した抽象絵画のような味わいの中で開花する。こうした動向にさらなる展開はなかったようだが、直交するエッジの鋭さは、書道を思わせるかすれの筆致に、運筆の妙を感じ取る。それは写実を超えて、書の真髄を体感しようとするもののようだ。
黒々とした闇の中だからこそ、挟まれた原色は輝きを増している。ヤシの葉間からのぞく奄美の海の広がりは、極端な明暗の階調によって、目を射抜かれてしまう。それは一村自身のピュアな存在そのものを伝えており、風景に仮託して、社会や権威に対してのメッセージと、受け止めて見る。
画家の生涯を残された作品でたどることは、美術展の基本であり、美術鑑賞の醍醐味である。そのために作家は死というリスクを負っているのであって、それは物故作家のみの特権でもある。作品だけが後に残る。機械的に年代順に並べるだけで、見えてくるものがあるとすれば、それが巨匠の要件だろう。先日長谷川利行を前にして感じた思いが、繰り返される。下手な照明や演出を加えないで、作品を生のままで見たいという思いが加速した。