第820回 2025年8月14日
佐藤純彌監督作品、森村誠一原作、松山善三脚本、角川春樹ほか製作、岡田茉莉子、松田優作、ジョージ・ケネディ、ジョー山中ほか出演、133分。
犯人探しを楽しむ推理サスペンスではあるが、母親への思慕と、それに対する裏切りをテーマにして、人種差別を通して「人間の証明」を試みようとしている。日本が敗戦をして、占領下にあった頃の東京での出来事からはじまる、人間の愛憎劇である。
戦後30年を経て、黒人の青年(ジョニー・ヘイワード)がホテルの最上階で殺された。女性ファッションデザイナー(八杉恭子)を祝うパーティが行われていて、その関係が問われている。
目撃情報から、青年は地上の公園内でナイフで刺され、自力でエレベーターに乗って、最上階まで上がってきていたことがわかった。コートで隠していたが、倒れ込むと腹にナイフが刺さっていて、命が尽きた。死に間際にストローハットとつぶやきが聞こえた。遺留品として出てきたのは、麦わら帽子と西条八十の詩集だったが、ともに手がかりとなるものだった。
同じ時刻にもうひとつ別の事件がおこる。パーティに参加していた男女のカップルがいた。夫婦と称したがそうではなかった。大雨のなか人目につかないよう、女のほうが先にタクシーを降りると、そのとき来た車に轢かれてしまう。気になって戻ったが女の姿はなく、身につけていたものと、見かけない時計が落ちていた。
女は水商売だったが、夫がいて店に出向いて男関係を調べ、交際相手を特定して乗り込んでいく。交際は認めたが、女の消息についてはわからない。夫に知られて外出を妨げられているのだと思っていた。高価な時計はひき逃げ犯のものに違いないと判断し、二人して捜査をはじめる。
時計は斬新なデザインだったが、同じものが4つあって、無くしたので高値で買いたいと言ってきた客がいた。店主は自分でも気に入っているのでと断ると、値段を釣り上げて、35万だったのを50万でも払うと言っている。客の名が明らかにされ、デザイナーの息子(郡恭平)であることがわかった。
デザイナーの生い立ちも警察の捜査対象にされていく。夫は政治家(郡陽平)で、二人の間に息子がひとりいた。父には反抗的で、母には甘えていた。母は溺愛をしていて、今も50万円をせがまれて、心配が絶えない。息子は苦痛に耐えかねて、ひき逃げをしたことを打ち明ける。自首しようとすると、母親は引き止めて、ニューヨークに逃げることを示唆する。
ひき逃げをされた男たちも、犯人を突き止めて、知り合いの刑事(横渡)に持ち込むが、死体が発見されない限り何もできない。まして相手の父親は政治家であり、間違って動くと、こちらの首が飛ぶと逃げ腰だった。相棒の若い刑事(棟居弘一良)は熱血漢で、同調して首を突っ込んでくる。
真相究明はニューヨークにあると踏んで、出張を願い出て実現する。現地でも担当刑事(シュフタン)が配属され動きはじめていた。黒人街に入り込んで、殺された若者の父親を見つけ出す。息子に6000ドルの大金を手渡して、日本に送り出していた。父親は3年近く日本に駐留していたことも知る。
旅立ちを見かけた隣人がどこに行くのかと問うたが、キスミーと答えた。キスミーに行くとはどういうことかと首をひねるが、刑事はそれが西条八十の麦わら帽子の詩に出てくる地名(霧積)であることを突き止めている。風に飛ばされていった麦わら帽子を、少年は母親にあの帽子はどこにいったのでしょうかと問いかける。
若い刑事は殺された息子の顔立ちが、純粋な黒人とは違うことを感じ取っていた。息子の年齢からは父親がアメリカに戻ってからの誕生だったが、ハーレムでは戸籍上の記述は信用できないことも多いことを聞く。子どもは日本で生まれたのではなかったか。父親は息子を実の母親に会わそうとして大金を工面したのではなかったかと推理する。
刑事がこの事件にこだわりを示すのにはわけがあった。彼は自分の生い立ちと重ねて、父親の記憶をたどっている。米兵に乱暴をされた女を助けようとして、父は割って入り暴行を受けて命を落としていた。少年の記憶は、鮮明に米兵の腕の入墨を覚えていた。それと同じマークを担当刑事の腕に見つけると嫌悪感を感じた。問いただすと、刑事も日本での駐留体験があった。
詩集と麦わら帽子は、米兵が日本にいた昭和22・23年頃のものであり、詩集の中には無くした麦わら帽子を懐かしむ一節がある。息子はこの詩に親しみながら、まだ見ぬ母親を思い浮かべていた。デザイナーの過去が探り出されていく。
米兵を相手にしていたことがわかり、暴行を受けていたのを助けた日本人が袋だたきにされたのだと言う。そしてその日本人の息子が、この事件を担当する若い刑事だった。刑事は暴行を受けた女に、かすかな記憶を残していた。
女デザイナーを前にしたとき、その記憶がよみがえる。刑事の思い込みは、勘違いを含んでもいたが、敵愾心は米国刑事にまで向けられた。銃を発射して、撃ち殺してしまったのかと思ったが、崩れ落ちたのは鏡だった。
ニューヨークでの捜査で見つけ出した息子が逃げるのを、米国刑事が撃ち殺してしまう。ひき逃げをされた遺体が、海岸に打ち上げられ、母親の逮捕に向けても、証言をさせようと思っていた矢先のことで、あてが崩れ去ってしまった。
東京に戻り、デザイナーに伝えると、落胆して獲得した賞さえも返上し、意味のないものになっていた。溺愛する息子の影に、捨て去ったもうひとりの息子がいた。近づいてくるのを自らの手で、殺害してしまったのである。
母親に刺されたとき、息子はなぜという顔をしている。キスミーとは母親に抱擁と口づけを求める、訴えの言葉でもあった。確証を得て授賞式会場に追い詰めた刑事は、逮捕する機会を待ち受けていた。若い刑事は簡単には逮捕を許さなかった。自戒をうながし、自殺へと誘導しているようにさえ見える。
母親は汚れた過去を知られたくはなかった。かつて自己を嫌悪して自殺しようとして、助けたのが今の夫だった。政治家として成功すると、外に女をつくり、息子の軽蔑の対象にもなっていた。そして自身の罪を詫びて、二度目の自殺をすることになる。
米兵との間に生まれた息子は、麦わら帽子に仮託して母親を慕った。刺されてまでも見上げると、ホテルの明かりが、麦わら帽子のシルエットをなぞっている。そこまでたどり着こうとして、力を振り絞ったが、母親に届く前に命が尽きた。
黒人が自分の息子であってはならない。人種差別の偏見だけではない。日米の溝はまだわだかまりとなって燻っている。アメリカの刑事は弟が真珠湾攻撃で命を落としたと嫌悪感をにじませた。日本人刑事と行動をともにした、担当刑事はラストシーンで、日本人びいきだと叫び声をあげて、突進してきた若者に、刺されて命を落とした。
麦わら帽子がくるくると回りながら飛び去っていく。それは宇宙から来た未確認飛行物体のようにも見えるし、夜空に輝く高層ホテル(ニューオオタニ)のネオンサインのようにも見えた。麦わら帽子とは近づくことのできなかった、母親の象徴だったようだ。身障者のわが子を嫌う、母親を描いたベルイマンの「秋のソナタ」を思い出した。