美術時評 2024年1月~
by Masaaki Kambara
by Masaaki Kambara
2023年11月03日~2024年01月08日
2024/1/8
魅力的な展示空間だった。暗いなかで浮き上がるコップを写真に撮って楽しんだ。なんでもないガラスの食器なのに写真に撮ると、誰にでもすごい名作ができあがる。さらにそれを絵画に描く画家がいると、なんという光の処理なのだと、そのテクニックに驚嘆する。そこで何でもないと思っていた食器に、もう一度目を移すことになる。こんなみごとな写真や絵画になるのだから、この食器のほうにその秘密があるのではないか。大量生産された工業製品などではないと見直してみる。
このような経験はしばしばある。なんと美しい人なのだろうと、写真や絵画でみて、本人を見てみたいと思う場合を考えてみよう。落胆する場合もあるが、やはりホンモノはすごいという場合もあるだろう。このときの両者の関係はおもしろい。通常はオリジナルとコピーの関係と考えてもいいが、必ずしもオリジナルがよくて、コピーが悪いということにはならないのだということに気づく。
写真家はなんでもないものでも、美しく写し出せる人のことだ。醜いものでさえも美しく写せるということになれば、それは一種のマジックである。しかし私のような素人が写しても、美しく写せるならどうだろう。カメラがいいから、あるいは被写体が美しいからという答えが返ってくるはずだ。そんなとき繁々とモデルを見直してみると、今までとはちがう目で見始めている。なんでもないと思っていたグラスが、輝きはじめるのはそのときだ。そのまわりを取り巻いている光の存在を知ると言ってもいい。
ぼんやりと見ているだけでは、光が輝くことはない。ものの表面から少し焦点をずらして、ほこりのようにおおっている空気の層に目を凝らしたとき、一瞬見えるものがある。それはまばたきの間のように短いことなので、定着してはくれない。焦点を結ばないと言ってもいい。写真のフィルターとシャッタースピードが、人の目を超えて、見えないものを見えるようにするのだ。
展示作品には抽象絵画としかいえないものも混じっていた。粗めの粒子になったような場合は、絵画なのか写真なのか見分けられないものもある。そんな多様な変奏曲を聴きわけたあとで、ふたたびグラスに戻ってみると、見慣れたものに潜む奥深い真理に出会い、幸せな気分になる。人生に得をした満足感を得ることになった。
工芸作家の語った、なにげないひとことが身に染みる。ガラスは自分たちには熱い液体なのに、見る人たちにとっては冷たい固体なのだという。写真家きどりをしてみた素人を戒めることばでもあった。
2023年11月11日~2024年01月14日
2024/01/09
絵本の展覧会をみることが多くなった。老化による幼児がえりだけではなく、美術館が絵本作家を取り上げる機会が増えたことも一因だ。これによって美術のすそのが広がっていく。それだけではなくて、これまでの美術史の書き換えが進んでいくように思う。今回、柿本幸造という実力のある作家に接することで、私の絵画史は豊かなものになっていった。
はじまりでの活動の舞台は、子ども向きの雑誌だった。子ども心に深い印象を残したものがある。誰もがどこかでこの絵本画家に出会っている。額縁をもった絵画として、ぎょうぎょうしくたいそうに、展覧会に足を運んでみるのではない。日常生活の一コマで、あるいは学校での日々の学習のカリキュラムで、無名の画家として出会っている。
生没年は1915-1998だから過去の人だが、現役の作家のように新鮮だ。1954年からの活動なので、多くの世代がどこかでこの人に会っている。今、70歳代の世代には、ここに展示された消防自動車には記憶がある。働く人たちの姿を子ども雑誌や図鑑でみた記憶だ。緻密な作画による鮮明な印象は、この画家の手だったにちがいない。
代表作の「どうぞのいす」がいい。小学校の教室に並んでいる、かわいい木製のいすが主役で、そこには人や動物だけではなく、いろんなものが、腰をかけている。主人公が擬人化された動物の場合でも、そのまわりを取り囲んでいる背景が、大きく存在感を主張している。ときには人は豆粒のように小さく、目を近づけて探さないと見つからない。
季節を描き分けたカレンダーもいい。1月から12月までの風物詩で、主役は背景のほうだが、主人公は人間である。名が体をあらわすように、柿色でおおわれた秋の情景が特にいい。軸となるのは、背景をなす寒い、暑い、涼しい、心地よいなどの、変化する自然を見つめる目だ。
子どもたちの、純真なまなざしと表情が、季節のなかで、なにげなく小さく描きこまれている。それによって、人は自然のなかで生きているのだと、教えてくれる。今となれば、季節感のなくなった現代社会に向けての告発にさえみえる。もちつきやたこあげや運動会や遠足や雪合戦など、年中行事もそのうちに過去の遺物となってしまうのかもしれない。
2023年12月09日~2024年02月12日
2024/01/10
額縁をもった堂々とした絵画が存在感を主張するコレクションだった。地場産業で身を立てた経済人が、地域に文化で恩返しをする。廿日市という町が生んだ木と人の交流を、産業に結びつけてウッドワンという企業体をつくり、美術品を集めて公開する。日本画と洋画が区別なく同列に並んでいるのがいい。そこにはジャンルによる対立はなく、一定のルールに従って、コレクションの個性を生み出している。
広島県であるという必然は、おのずと収集に反映する。県立美術館をなぞらえてみえるのは、個人コレクションといえども、広島県という枠内に収まっているからだろう。公立館と共通して出てくるのは、洋画では南薫造、日本画では児玉希望だが、活躍した地は中央であっても、生誕地という地方の遺伝的要因は根強いものがある。加えて生まれは異なっても、広島で活動した、広島に住んだことがあるなど、郷土ゆかり組が次のグループをなす。
さらにはコレクターの個人的趣味が加わり、この点で公立館にはない嗜好のもつ、欲望的資質をおもしろく見直すことになる。美人画などはこれがなければ、散逸の憂き目にあう。地域に貢献するなどという高飛車な表明がなければ、コレクションは、ひとつのこだわりを徹底させてもいいだろう。多くのニーズに応えるという公共性が、収集品をぼやけたものにしてしまうことも少なくない。
コレクターに好みの画家がいて、地域との接点が見出せない場合がある。そのときに割り切って何でもありだと、開き直る方法もあるが、なんとかして接点を探る点に、収集の醍醐味はある。例えば宮島は多くの画家がやってきて描いているが、地域ゆかりの画家ばかりではない。しかし広い意味では、そこにやってきて描いたことで、地域ゆかりの画家になってしまうのだ。広島にきたことがありますかという問いを、物故者もふくめて問いかけてみることから始めればよい。
そんなことを考えながら、今回のウッドワン美術館のベストコレクションの選出を、おもしろく見ることになった。もちろんそんな駆け引きを抜きにして、おもしろいものは理由なく、よいのであって、広島であろうが、岡山であろうが、関係はないのだ。そうでなければ西洋美術などは、集められなくなってしまう。
美術館への徒歩での道すがら、整備された町のたたずまいを見ながら、すっかり忘れてしまっていたが、以前に一度ここを訪ねたことがあった。美術品を通して、旅人は廿日市という都市行政に出会うことにもなった。住民でもないのに、隣接の市役所の窓口を、近道にしながら横目で見ていた。次に行く宮島のポスターが貼ってあって、観光案内かと思ったが、読むと参拝者から一律に100円取るという税金の案内だった。
2023年11月23日~2024年01月21日
2024/01/21
神戸での大がかりな展覧会を少し前にみていたので、もういいかと思った。案内にはこれまでで最大規模だと銘打っていたので、あれっと思う。神戸のも規模は大きかったので確認すると、コシノジュンコ展ではなくて、コシノヒロコ展だった。あわてて天王寺まで、最終日に駆け込むことになった。何とも恥ずかしい話である。両者のちがいもわからないのに、見る資格はないと笑われそうだが、服飾を通して人間を考えるというスタンスに、これまで強い関心と期待を抱いてきた。
衣食住というが、食べることと住むことと同等に、着ることが、自己主張をしている。順番からみると、むしろ欲望の筆頭にあるとも言える。いい料理を食い、いい家に住み、いい服を着る。これらがなくても生きてはいけると思うが、少しでもいいものを味わいたいという欲望が人間にはある。
ただ展覧会でみるというのは、こうした体感とは明らかに異なっている。ヴァーチャルリアルとしては、衣食住は同等なものであって、視覚体験というかたちで一元化されている。目を満足させることに特化した衣食住は、共通した方向性をたどっている。住まいが西洋文化に影響を受け、どっぷりと浸かり切った末に、日本文化に回帰したのと同じく、服飾でのジャポニスムが叫ばれる。西洋を感じさせる大きなボタンからはじまる原点には、大阪万博(1970)のユニフォームデザインがあった。そこから現点のスタイルまでの軌跡がたどられる。お祭りに反応するという点では共通する感性がある。
能の持つ高度な精神文化を体感させるのが、大阪のヴァイタリティあふれる庶民文化から誕生したデザイナーであったという点が興味深い。この対極の同居が原動力となる。静と動の統合と言ってもいい。赤と黒を並べて、対極で見せる感性がいい。日本では漆の器の内外に施された背中合わせの美意識であるが、ナポレオン時代のフランスでは、それは軍人と僧侶の服装の色の対比だった。野望にみちた若者が悩む将来の選択肢の対極を暗示する色彩だった。
最終日だったからか、ご本人も会場に姿をみせられていた。年譜によると大阪府立岸和田高校卒、今年84歳とのこと、コシノヒロコは3歳年上の姉である。単に服飾だけにとどまらず、大がかりな舞台との共演も、展覧会では伝えている。ことに岸和田のだんじりを想起させる和太鼓とのコラボは、エネルギーがひとつとなって、能舞台との対極の美を物語っていた。
2023年12月09日~2024年02月12日
2024/1/24
企画展では、船場に住む大阪商人が娘の嫁入り道具として持参させた衣装の数々が展示されている。娘を嫁がせる親の見栄を読み取ることもできるが、子を思う親心としてみると、豊かな人間文化のあかしとして見え出してくる。嫁ぐ先の家の家紋が染め込まれている。戻ってくることのできない決意を感じさせるものだ。
大阪の文化のかたちを、住まいを通して体感させる博物館である。上記の企画展示だけでなく、常設展ははじめて訪れるものにとって、わくわくするヴァーチャルリアルを体験させてくれるものだった。はじめに10階に上がり、江戸時代の大阪の街並みを展望する。桂米朝のアナウンスが柔らかに心地よく、難波情緒と江戸情緒を伝えている。
次に一階降りて見下ろしていた街並みを歩いていく。それぞれは商家であり、のれんをくぐって入っていくことができる。駄菓子屋、呉服屋、薬屋、銭湯など、店先に誘われて、ついつい入って行きたくなるしかけをつくっている。裏通りに回ると、長屋の生活がみえる。玄関を開けるといきなり、三畳のたたみに出くわし、布団がたたまれている。生活一切が一目で見える。今で言えばワンルームマンションにあたる。明かり取りの天窓も作られていて、暗くはない。狭いが利便性を追求した、快適生活が思い浮かぶ。入居者のいない空き家もあって、リアリティが増してくる。
もう一階降りると、明治以降の大阪を生き抜いた女性のすみかが、模型を通して再現されている。長屋でのくらし、近代的な団地生活、戦後の困窮のなかでのバス住宅などを通して、庶民文化の実相がうかがえる。八千草薫のナレーションが、ほのぼのとした語り口で、変動の時代の変遷を教えてくれた。
街並みにはミニチュアの人の姿が配されていて、これに目をつけ出すとおもしろくなってくる。表情までつけられていて、田中達也の世界を思わせる。模型はたいていは上から眺めているが、視点を下げて道ゆく人の高さで眺めてみる。ちょうど江戸時代を見てきたのと、同じ理屈であり、手にしたスマホで写し出すと、さらにリアリティが加速されてきた。年甲斐もなく子どものようになって、はしゃいでいた。
2024年01月27日~05月06日
2024/03/02
Y字路のシリーズをまとめて見ることができた。原点になった西脇市での出発のシリーズが、ミステリアスでパワフルで、完成度も際立っているようにみえる。17点の連作だったようだが、その後さまざまに展開していく経緯を、興味深くみることができた。年輪を感じさせるということだが、その変容を味わうためには、数十年の時間の集積を必要とするものだ。つまり数十年をかけて完成された作品ということになる。
はじめ暗闇から照り輝く夜景であったY字路が、昼間の光景に、さらには真っ赤に染まるたそがれの風景へと変容する。真夜中のストロボ撮影のような、浮かび上がる無人の静観から、メランコリックにたたずむ男の後ろ姿を配したもの、宝塚歌劇のレビューの幻想も加わる。作家の出身地である兵庫県から宮崎県や宮城県など、各地の実名の登場によって、同一の情景が発見されていく。抽象的概念ではなくて、リアリティのある実景だという点が重要だ。
イニシャルへのこだわりでみると、Yは作家の姓「横尾」の頭文字である。同じように作家の名「忠則」の頭文字がTであるのは、滝のシリーズに反映しているかもしれない。Y字とともに滝のシリーズも、作家の見つけた重要なモチーフである。そしてそれらは自然が生み出したパワースポットであるという点で共通している。横尾美術館に使われている「Y+T」というマークにも、イニシャルへの、こだわりは認められる。
さらにYとTとの関係を考えてみる。それらはともに宗教的に重要なしるしだった。ワイシャツとTシャツの違いは、単に襟がなす形の差だけではない。キリストが十字架にかかる姿でもあって、+もまた十字架の形として知られているものだ。Tの十字架が一般的だが、Y字の十字架はフォーククロスと呼ばれる。キリストがはりつけられて重みが加わると、TはYに変貌する。
Yはキリストの肉体の重みを意味するものとなる。これがY字の秘密なのだ。肉体を持つことの苦痛は、精神だけで生きてはいけない人間存在を考える原点に属する。本来肉体を持たないはずの神が、受肉したのがキリストだとキリスト教では考えた。これはただの理屈にすぎない。そんな理屈を廃しても余りある神秘的な、秘教的と言ってもいい、直感と即物にねざした魅力ある作品群だった。
2024年03月16日~05月19日
2024/04/16
伝統的な書の世界が、前衛的な抽象絵画と共鳴しあう姿を実感する良い機会となった。それは東洋と西洋の出会いであり、日本とフランスの外交であり、兵庫県とアヴェロン県との文化交流へと発展した。フランス人が兵庫県を知らないと同じ程度に、日本人はアヴェロン県のことを知らない。森田子龍とピエールスーラージュについては、もっとなじみのない名だっただろう。
書に興味をもちはじめて間もないが、森田子龍については、ここ数年みる機会を得て、おもしろくなりはじめている。さまざまな見方があるのだろうが、書を見て字を想像する。当たらない場合のほうが多い。絵のタイトルにあたるものだ。抽象絵画の「無題」に比べれば、味わいのあるものとなる。絵を解釈する手がかりである。日本画家が好んでつけるタイトルに似ている。
「蒼」がいい。言われてみれば確かに蒼だ。しかし蒼くはない。黒いかたまりで、目がふたつ空いているので、顔のようにも見える。倉のうえに屋根がついた家屋の輪郭にも見える。「龍」もいくつかあった。ともに似ているのは、同じ字なので当然だが、絵としては異なっている。書家自身の名であり、古来より画題としての定番でもある。長い尾があるのは、龍が多様に変容するさまを思わせて興味深い。字からだけでは想像を絶するもので、絵をみていても、龍の文字は思い浮かばない。龍だとわかると、文字の変容を見定めようとして、同時に外形に鱗の跡を読み取ろうともする。
絵であり字であるというのはおもしろいことだ。アルファベットの民族には理解できない感覚かもしれない。つまり純粋抽象ではないということである。形に意味を見つけないという立場は、美術を文学から独立させることからはじまった、近代絵画史のメインストリームのはてにたどり着いた原理だろう。そこから生まれるものは、素材感への偏重、マチエールの重視ということになるものだ。
スーラージュの絵はこれまで、黒へのこだわりを東洋の書との関係で、感じ取っていたが、具体的には森田子龍との交友があったということを知った。黒一色だが、余白を廃して画面いっぱいに広がるのは、それが文字ではないからだ。よくみると筆跡や刷毛目が、浮上してくる。つまり形ではなくて、マチエールを見せようとしている。にもかかわらず黒とはいえ、墨ではなく油絵具なのは、このフランス画家が油彩画の自負に根ざしていることを思わせる。
墨で描かれた小品の抽象絵画があった。興味深く見たが、墨という表示がなければわからなかったかもしれない。同じ黒とはいえ、発色が異なっているはずだが、墨を簡単には使いこなせないという感覚があったとすれば、それが画家としての最低限の礼儀だっただろう。シミやカスレやニジミに、墨蹟の深奥があるのなら、それは書かれた文字の意味を超えている。そこにわきまえと尊敬がある。もちろん学ぶことは必要であり、それによって、自身の限界と可能性を知ることが、さらに重要なものとなる。
2024年04月13日~06月16日
2024/04/17
吸い込まれそうな空気感のある風景である。青い空に湧き上がる雲の表現は、真似のできない風格を備えている。五島列島出身と聞くと、からだに染みついた記憶なのかと思えてくる。私には一度だけ五島列島の福江島に遊んだ体験がある。家族がまだ若く、夏の夕暮れの戸外でのバーベキュー料理をしながら、眺めた空の雲を思い起こしている。タイムスリップしたように現れた、古いキリスト教会の意外性を断ち切る、空と雲でもあった。またそれは今住んでいる神戸の坂道から見上げた空と雲でもあり、どんな前景にも対応できるオールマイティの背景なのだと思う。
控えめな背景画が主役に躍り出てくることがあるのだという奇跡を、ここに体感することになった。映画はアニメも含めて監督のものだと思ってきたが、ひとりの背景画家の立ち位置を通して、異なったアプローチが可能となる。映画監督の歩みを通して映画史をたどるのが、基本なのかもしれないが、それは専門的な立場からのことで、一般映画の場合、俳優を中心に、娯楽として映画を楽しんでいるのが通例だろう。
同じようにカメラマンの生涯でたどる映画史もあれば、背景画を手がけた画家の生涯で、アニメの歴史を綴り直してもよい。それによって映画が多様な才能が集まってつくり上げられた、総合芸術であることに気づくことが、何よりも重要なのだと思う。さらには映画音楽を手がけたプロの作曲家によっても、それは可能だろう。
今回展示された背景画をフィルモグラフィーにそって、山本二三をたどってみようと思った。年代順になおすと、次のとおりである。未来少年コナン(1978)ルパン三世(1980)じゃりン子チエ(1981)名探偵ホームズ(1982)天空の城ラピュタ(1986)火垂るの墓(1988)NEMO/リトルニモ(1989)もののけ姫(1997)はとよひろしまの空を(1999)ファンタジックチルドレン(2004)時をかける少女(2006)ミヨリの森(2007)川の光(2009)くまのがっこう(2010)世界樹の迷宮4伝承の巨神(2012)世界樹と不思議のダンジョン(2015)天気の子(2019)。
2024年03月23日~05月19日
2024/5/7
残念ながら私には「エルマーのぼうけん」を読んで育ったということもなければ、これを読んで子どもを育てたという経験もない。展覧会を通じてこの物語に出会ったにすぎない。さらにいえば挿絵をもとにして、原作を思い描くという、通常とは逆の、うしろめたい邪道に身を置いている。
会場には原画の展示にあわせて、鑑賞者に体感させる仕掛けも盛り込んでいるが、原画のほうが白黒の鉛筆画の小品であるとはいえ、圧倒的にいい。原作者への敬意にねざして、具体的なイメージを実現するのだが、美術館でみせるには、文学である以上に美術である必要がある。
ここで原作者と画家との関係が興味を引く。それは信頼感に根ざしてはいるが、他人である場合はビジネスの関係にすぎないだろう。利潤を追求する場合もあるだろうし、交友を深める場合もある。売れると仲たがいがはじまるかもしれない。もちろんひとりでどちらもこなすのが理想ではあるのだが、個性のちがう両者が出会うことからしか生まれないものもあるだろう。
作者はルース・スタイルス・ガネットで、大学を卒業した22歳に、退屈しのぎに書き始めたのが「エルマーのぼうけん」(1948)だという。両親はともにジャーナリストだったが、離婚をして、父が再婚したのが、画家のルース・クリンスマン・ガネットだった。彼女が義理の娘の物語に挿絵をつけることになる。父が再婚をしたとき娘は8歳、義理の母は35歳、挿絵の仕事を手がけたとき、画家は49歳になっていた。もちろんキャリアは義理の母のほうがうわまわっている。
父を愛するふたりの女性という点では、両者は対等であり、かつ微妙な関係にある。互いに意識しあいながら、歩み寄ろうとする姿も予想できる。原画を見ながら、娘に寄せる思いを考えてみる。たぶん自分はエルマーに近づく心優しいドラゴンだったはずだ。白黒に抑えて、できるだけ目立たないようにしているのは、絵本ではなく、挿絵に徹しようという意志の現れだっただろうか。
邪推はやめよう。どうでもいいゴシップネタを考えながら見てしまうのも邪道なのだろう。こんな芸能レポーターのような興味を起こしてしまう自分がつまらなくなってくる。ピュアな子どものような輝く目で、出会えなかったことを悔いている。もちろん与えられなければ、適齢期の子どもが自分で見つけることはできない。かしこい親になり損ねたこととともに、教育の力を痛感することになった。今ごろになって知った手遅れを恥じるが、もっとはやく出会いたかったという感慨は、許されぬ恋に似たときめきでもあって、決して悪くはないものだ。遅まきながら原作を読んでみようと思った。
2024年03月01日~06月09日
2024/6/2
写真と記憶の関係を考えるには、よい企画となった。記憶とは写真のことではない。写真に導かれて記憶が生み出される。もともとあったものがよみがえるのではなくて、生成されるというほうがよいのだと思う。篠山紀信の2歳から13歳までの、写真館で撮影された「誕生日」が興味深い。そこでは写真家は被写体である。セルフポートレートというわけでもない。まだ写真家になる以前のものだ。毎年、誕生日に写真館で子どもの写真を撮り続けた、両親が子どもを写真家に育てあげたのである。ピアニストやバレリーナにしても、子どもが自覚する以前に、整備された環境があった。もちろん大半の子どもはそれに気づかないことではある。
ポートレートは記憶をたどる、あるいは記憶を形成する重要なアイテムだが、人間の登場しない家や、自然に残された傷跡に、記憶の真相があるのだと、やがて気づくようになる。壁に貼られたポスターが、壁とともに朽ちてしまった風景には、かつて栄えた文明が埋もれて、発掘されたような驚きがある。
「風化」という記憶を妨げる美意識がある。それは忘却と名付けてもいい破滅願望のことだ。廃墟を探る旅がはじまる。冒険者というほうがよい名称が、写真家に課されていく。ロマンチストであることが、ときに死を顧みない無謀を支えている。米田知子の一連の写真は、記憶を残す風景に目が注がれている。それは一種の信仰に近い。過去の記憶を洗い流そうとしても、かすかな傷跡は残るものだ。自殺者の住んだ部屋に借り手がつくには、風化を待たなければならないが、いつまでも記憶は残り続けるものだろう。忘れたいという願望と、忘れてはならないという良心が交錯する。その葛藤にある風景である。
伊藤博文が暗殺をされた駅のホームを写した一枚(1)がある。キャプションがなければ、気づかないで通り過ぎる風景だろう。ふつうはそこにはのちに石碑が立つものだ。古戦場の跡にしてもいいし、英雄の誕生地であってもいい。墓碑を建てることによって、そこには骨が埋もれていることを知らせる。誰も掘り起こしたりはしないが、仮に石碑を取り除いたとする。それでも骨が埋まっていることは確かで、犬ならばそれを容易に嗅ぎつけるのかもしれない。
雑草がたくましく咲きほこる風景がある。よく見る朽ちた鉄条網と同化している(2)。生と死が同居する光景だが、束縛のつめあとが、今は雑草の生命感に支えられて生き延びている。北朝鮮と韓国の国境線の非武装地帯も、この写真家を刺激する地霊が息づいているものなのだろう。そこに足を運ぶ決断にまずは唸らされるが、そこからしかはじまらないという信念がうかがえる。まずはそこに立って感じ取ることからスタートする。思っていたものであったときは、報道となるが、異なっていたときに、アートとなるのだろう。それらは悲しいけれども美しい。それがメッセージなのだと思った。
マルヤ・ピリラの「インナー・ランドスケープス」と題した一連の写真もまた、悲しいけれども美しい(上記写真)。カメラ・オブスクラの原理を逆説的に用いた「明るい部屋」である。高齢者が孤独に生活をする部屋に、倒立した外光が入り込んで光り輝いている。それは未来の希望のように見えるが、過去の栄光の記憶でもある。実際は暗い部屋の壁にうがたれた一点からのぞき見た、今現在であるという点に、写真術がメディアの特性としてえぐり出す、残酷なメッセージがある。
同じタイトルをもつSatoko Sai + Tomoko Kuraharaの内なる風景がある。焼きものの容器の内部に写真が転写され、風景が閉じ込められている。それが自分の茶碗であるなら、その手のひらに収まる宇宙の内側には、これまでに形作られてきた記憶が広がっているということだろう。そのとき茶碗は自分の脳でもあり、それを自分の身体が手にしているという奇妙な風景が見えてくる。
小田原のどかのコーナーは興味深いものだった。作家不詳「上野彦馬像」をめぐる考察は、黒い彫刻のように積み上げられた、重厚なテキストを読む作業をともなっていた。旅行者が簡単に手を出せるものではなく、おみあげにもらったポスター大の論考は、帰宅後じっくりと読み込むことにした。
(1)米田知子
(2)米田知子
2024年4月4日(木)~7月7日(日)
2024/6/2
宮沢賢治が1924年に書いた「春と修羅」をよりどころにして、写真史を綴る。それを100年とは言わず、1200月と言っているところに、この企画の詩情がある。写真は「年」を単位としてとらえるものではなくて、「月」をとらえるメディアだというメッセージがあるようだ。四万点に及ぶ写真コレクションがエビスに集まっている。そこから選び出して時間旅行を楽しむ。美術館員の至福の時間を、私たちが共有することになる。
日本がたどってきた100年の近代史だけではなくて、エビスの自分史も忘れてはいない。エビスビールの文字が読める過去の風景写真が証言する。ビール工場の今は亡き煙突が勇姿をほこっている。1924年に限定した写真が集められると、それだけで伝わってくるものがある。写真家の興味はさまざまなのに、まさに時代の証言ということになる。焦点を結ばないぼかしの効いた風景は、実景なのに記憶の風景として、かえってリアリティをもってよみがえってくる。
1924年は大正が終わり、激動の昭和史がはじまる年号である。写真にはさまれて杉浦非水のポスターが、写真では写しきれない誇張された、その時代のもつ願望を描き出している。20年代は都市の時代を象徴する。地下鉄開通の興奮が、こぼれ落ちるほどの乗客の列によって伝えられる。デパートの開館が、高層建築のような雄大なパノラマとしてそびえ立っている。
都市はその後、余裕をもって写真家の目を通してユーモラスに、あるいは揶揄されて批判的にえぐり出されていく。地下鉄の出口を写した一枚には、地下鉄入口という表示が読み取れる。桑原甲子雄の写し出した東京は、示唆に富んでいる。街並みを歩く写真は、多くが後ろ姿なのに、さっそうと前向きにとらえた3人組の女性がいる。
壁に映し出された影(1)と、ショーウィンドウに反射した風景(2)は、ともに二重露光によるネガとポジの関係になっているが、写真表現の実験として、その遊戯感覚が都市空間にフィットする。巨大な人物写真(3)が、現実の人間と隣り合わせて映し出されると、ともに写真空間となることで、それもまた二重露光の実験写真に成りすませる。もちろん暗室で誕生した正真正銘の二重露光(4)も加わって、豊かな虚実の写真史を築き上げていく。ラースロー・モホイ=ナジの写真は時代の証言者ではないが、現実を隠しておびえ続けるリアリティが底辺にはあるように見える。
(1)
(2)
(3)
(4)
2024年04月24日~09月01日
2024/6/3
黒人文化の豊かな実りに接することができた。黒人霊歌やジャズの巨匠たちの面影を浮かべながら、このアーティストに拍手を送った。民芸運動との出会いを通して、普遍的な土への回帰をはたす。それは自然の恵みである土壌だけではなくて、土着であり土俗でもあった。奴隷は土霊と同一の響きをもつことで、地につながれた魂の叫びを悲鳴として受け入れている。彼らの筋力は、粘り強く生き抜いた民族の血の中で、はぐくまれてきたものだと、身勝手な第三者の思いは羽ばたいている。
最初に黒光りのする前衛陶芸があって、作者名をみると木喰とあった。そうか木喰仏には黒人パワーが宿っているのだと直感した。黒人作家にとって常滑に住み着いての陶芸活動が、意味するものは大きい。土を丸ごとすくい取るようなパワーは、自身の陶芸作品にも生かされるが、アメリカに持ち帰ろうとする壁一面に広げられた常滑のやきものそのものによって伝えられている。床に敷き詰められた黒いタイルを歩かせる展示法とあわせて、森美術館の企画力の勝利にみえるが、このアーティストに秘められた潜在意識を引き出したにすぎないものなのだろう。
黒人文化を丸ごと壁一面に広げたライブラリーの再現も、長年をかけて築き上げられた知の系譜を思い知らされることになる。一生かかっても読みきれないほどの、文化としての黒人の情報がそこにはあった。たまたま手に取った製本された雑誌を開くと、篠田桃紅が紹介されていた。書のもつ黒々とした反骨の前衛精神に、常滑の土を思い浮かべた。この黒人アーティストが陶芸に代えて出会うことの可能な地域性を直感した。
二種類の雑誌が、ソファーにかけて自由に閲覧できるようになっている。一方はライフ誌のような大判の写真誌(EBONY)で、どの記事を見ても黒人しか登場しない。ブラックビューティを礼賛するもので、掲載された商業広告も黒人のタレントが起用されている。もう一方は手に収まる文庫本サイズの小冊子(JET)だが、同じようなヴィジュアル誌をコンパクトにした普及版にみえる。
こうした出版文化の背景には、経済的にそれを支える基盤が読み取れるが、黒人事業家の存在が欠かせないものだろう。著名となったこの美術家も一役を担ったようで、同じ名をもった世界有数の高額所得者を思い浮かべる。もちろんブラック企業ではない。マルチメディアを駆使しての自身の制作活動だけにとどまらず、文化育成や啓蒙活動を続けている。それは公民権運動に向けてのレジスタンス精神に裏打ちされている。
朽ちた教会で作業をする黒人労働者を写し出した映像作品が、大型プロジェクターで壁一面に上映されていた。取り外されたドアを持ち上げては投げ下ろすパフォーマンスが繰り返されると、労働ではなく舞踊なのだと知ることになる。そのたびに土埃が舞い、工事現場特有の効果音が鳴り響く。取り壊されようとする教会なので音響効果は保たれ、工事音がミサの響きのようにこだましている(1)。
場面が変わると、別の作品かもしれないが、一続きのものとみることもできる。作家本人だろうか、後ろ姿で登場して、絞り出すような声で、黒人霊歌やゴスペルの響きを伝えている。それは歌というよりも、絞り出された祈りという方がいいもので、両手を真横に広げた後ろ姿は、キリストの磔刑を思わせるものだ(2)。ゆっくりと前に進んで、またもとの位置に戻ってくる(3)。カメラが引かれると、教会の地下であったことがわかる。残された板の隙間から、陽光が降り注ぎ、光に埋まれて一瞬、天国の情景を現出する(4)。歌い終わると静かに画面から脇へと姿を消す。能楽にも似たゆったりとした歩みは、荘厳で格調の高いものだった。
教会に置くオルガンとスピーカーの組み合わせや、酒場のカウンターのレイアウトなどには、アフロ民藝と名づけた、通俗性を基盤に置いた荘厳なイメージが広がりを見せている。ライブラリーのように日本酒のトックリが並べられている。カウンターにはコルトレーンのレコードが置かれていた。ジャズを聴きながら、民藝ふうの酒器を傾ける、ゆったりとした姿が絵になっている。壁面に引き延ばされてながらく続く瞑想へと誘う生垣や、バスケットボールの跡形を残して立てかけてられた床面、消火用ホースを使った抽象絵画もみごとだ。トコシッピという、かつてのミンゲイソタに対応した造語もいい。
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2024年03月06日~06月03日
2024/6/3
遠距離恋愛をもじって遠距離現在なのだろうと、おもしろがりながら入っていった。若者でにぎわっていたが、多くが東洋人だったのは、解説文を読む視線から判断がつく。日本語のほかに、英語、中国語に加えて、ハングル文字の四つのパネルが並んでいて、視線が交差するのをおもしろくてみた。近くて遠いは、遠くて近いの言い換えなのに、それぞれが意味する対象は違っている。英語とハングルの距離感を、日本語を媒介にしたときの違和感に置き換えて考えてみる。遠くて近いは男女の仲なので、それは遠距離恋愛に対応するものだ。
一見してわかるものもあるが、多くは解説文を読まないと、おもしろみが伝わらない。その複雑さもまた遠距離恋愛に通じるものだろう。しかしこのネックは、理解すると俄然おもしろくなってくる。10人たらずのアーティストの競演なのだが、遠距離現在をユニバーサル/リモートという語で置き換えると、共通項が見い出せる。
監視社会を告発した中国人アーティスト(徐冰)による映像作品「とんぼの眼2017」が目を引いた。凶悪事件が起こると必ずと言っていいほど登場するのが、監視ビデオだという時代になった。知らないうちに写されているという体験は、グーグルマップで自宅を検索したときに出くわす家人の歩く姿に驚いたときからはじまっている。ヴァーチャルリアルな恋愛物語が、ミステリアスにつづられている。
他愛のないものにみえても、平和ボケをしていては気づかないことが多いのだ。すべてが監視されている管理社会をおびえる声が、無数の人口をかかえる国家から起こってくるのが興味深い。もちろん犯罪とレジスタンスは網の目をかいくぐっておこなわれるものだ。監視映像を巧妙に組み合わせて、フィクションを生み出す。断片は真実だが、全体は虚構であるという国家の支配原理にも似た構造に、身震いすることになる。
チャ・ジェミン「迷宮とクロマキー2013」は、配線工事(1)のようすを写し出した映像作品だが、労働なのかパフォーマンスなのかはわからない。電線をナイフで切り裂く動作(2)は、空手の演舞のようにみえて、芝居がかっている。電線は室内(3)から屋外に続く。細い路地を一筆書きのように電線をはわせて移動する姿(4)は、アリアドネの糸を思わせて、路地を真上からとらえてなぞってみたい衝動にかられる。電線が尽きるとどんな終わり方をするのかと、気になっていたが、終端を気にすることなく、作業員は立ち去ってしまった。労働だとすれば、投げ出された職場放棄であるが。パフォーマンスだとすれば、結末に余韻を残したミステリーということになる。
トレヴァー・パグレン「米国家安全保障局(NSA)が盗聴している光ファイバーケーブル」もまた、海底に張り巡らされている電線の、国境を超えた無国籍の恐怖を伝えている。国と国を結ぶ橋は、どちらが建設するのかという、単純な疑問も起こってくる。遠距離現在に対しては、近距離不在あるいは近親憎悪という語も思いあたる。
ティナ・エングホフ「心当たりあるご親族へ2004」という写真のシリーズも、死者が暮らした部屋の壁面や残された家具を写し出すことで、不在となった遺物にまとわりついた過去のぬくもりを探ろうとしている。近親が不在であるという現状を証言するだけのものなのに、不法放棄された違法を忌み嫌うような暗部を提示している。にもかかわらず明るい画像処理が、淡々とした日常性を、平凡に語っているのがいい。
エヴァン・ロス「あなたが生まれてから2023」は、あなたが生まれてからコンピュータに取り込まれたキャッシュの画像を展示室いっぱいに網羅した作品。ここでのあなたは、作者の次女のことのようで、きわめてプライベートな事情を、どこまで私たち第三者が共有できるかという興味をそそる。情報の海に投げ出されたような視覚世界を見ながら、ほとんどがはじめてみる新鮮さに、遠距離現在を感じ取るが、ときおりトランプと思しき人物を発見することで、共有の糸口をつかめる。
木浦奈津子「こうえん2021」は、絵画表現なのに、遠くて近い印象を与えるものだ。写真のような写実ではない点に、手描きの魔術を感じ取る。その温かみは人間というフィルターを通した、恋愛に近い密度を体感できるものだった。映像メディアを駆使したセレクションのなかで、過去から受け継がれた連続体として、現代を見ようとする企画者の意図をうかがえる、見ごたえのあるものだった。
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2024年04月06日~07月07日
2024/6/4
シンガポールという土壌から出てくるインターナショナルな視点を、興味深く再考することになった。東南アジアという地理学のくくりを自明のように用いている不思議がまず指摘される。そしてパソコンを用いて、aからはじまってzまでのシンガポールにまつわる情報事典が検索可能となるが、検索用語がアルファベットを下敷きにされているのも、東洋人にとっては不自然なのだが、それを言い出せばコンピュータ技術そのものを、否定することにもなり、自己崩壊してしまう。
国家主義と社会主義のはざまで起こる苦悩は、スパイという非合法の存在を考えるなかで、浮かび上がってくる。三木清をモチーフにした獄死に至る知的エリートの謎を、アニメーションを用いてクリアにしていく(1)。現実はベールに包まれておぼろげなのに、アニメはくっきりとした輪郭線をもって明示される。映像体験では八畳の和室に集う四人の活動家に交じってメモを取っている自分がいる。密室を抜け出ると、天上にも地下にも別世界が広がっていて、遊戯空間を楽しむことができた。
小津安二郎の「晩秋」からの引用では、父親役の笠智衆はおぼろげだが、アニメになったキャラクターはクリアであり、それを前後に2枚のスクリーンを重ねることで、現実と虚構の対比を鮮やかにする(2)。手前のスクリーンは紗幕になっていて、背景は紗幕を通しても映し出されている。
香港映画のアクションスターを主役にしたスパイサスペンスは、シリアスな場面をつぎはぎにして、予告編を何本も続けてみたような満足感と、すっきりとはしない違和感とをゆききしながら、不思議な映像体験をさせてくれた(3)。ダイジェスト版のもつ時短映像の不毛を感じさせることで、退屈な日常への回帰が叫ばれる。
「時間のT」はさまざまな映像作品として、作家自身がヴァリエーションを楽しんでいる。それは正確に時を刻めば時計であるが、狂えば映像作品となる(4)。英語だとTは、タイムであると同時にタイガーでもある。時であり虎でもあれば、やはりTなのだろうが、分類は英語である必然性はない。
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2024年04月18日~07月07日
2024/6/4
テーマはコミュニケーション、人は理解しあえるかという普遍的な課題にいどむ。旧来の美術鑑賞のわくを大きく逸脱しているが、ガラス越しではない真剣勝負をいどませるという点では、体験型のワークショップの重要さに気づかせる教育的配慮といってもいいものだ。まともに向き合えば時間がかかる。通り過ぎるには忍びないという旅行者泣かせの感慨にふける。体験型から対話型へという課題が、言語学習一般にはつきまとう。
翻訳というまどろこしい現実を前にすると、神はなぜ人のことばを分けてしまったのかという、バベルの塔の話になっていく。インタビューでは子どもに親のことばが正しいかを聞いている。現地に生まれた二世が、親よりも早く言語を習得するというのは常で、親は子に教わることになる。フランス語のoeuvreなどは発音できないし、聞き取りもできないのに、子どもの感受性が超能力に見えてくる。「成長」とは獲得することではなくて、失っていくことだと思わせる一瞬である。もちろんそれを「老い」と置き換えれば、当たり前のことではある。
久しぶりの東京だったが、若者たちに混じりながら、東京にいるだけでこんなに素晴らしい刺激を得られるのかと、彼らをうらやましがる、嫉妬心が湧き起こってくる。現代美術館では今、四つの展覧会を同時にやっていて、それらすべてを一日で見ようというのだから無謀な話である。にもかかわらず一ヶ所で見られるのは、旅行者にとってはありがたいことだ。
地下鉄の清澄白河駅から歩くのが、苦痛な年齢になってきた。美術館の前に広いバス停があるので、立っていた監視員に聞くと、バスは廃止されてしまったのだという。若者でにぎわっているとはいえ、現代美術という領域では、たかが知れている。東京都がどれだけ予算をつけるかが問われる。文化行政力の話に移行するが、交通手段の確保はそのパラメータとなるものだろう。
2024年03月30日~07月07日
2024/6/4
二つが一つになった展覧会だったが、ついつい両者を結びつけたくなってくる。サエボーグという人工物を思わせるグループ名には、隠された生命体というニュアンスが含まれている。タイトルは「私はあなたを愛するためにつくられた」のだと言っている。柔らかいぬいぐるみをかぶった生命体である。それはぬくぬくの排泄物(1)であり、着ぐるみに入った人体(2)だったが、それらに触らずに目だけで確かめようとするところに、美術鑑賞の醍醐味があった。
バリアにおおわれた虚構世界を楽しむという点で津田道子の「人生はちょっと遅れてくる」は、秀逸なはぐらかしをしていて、質のよいサスペンスに出会ったときの驚きに近い。タイムラグというずらされた時間に接したときの、なんともいえないもどかしさが視覚化される(3)。それは放り投げたものが、時間通りに落ちてこない違和感であり、日常生活でもときおり体験するものだ。
雷では耳と目でタイムラグがある。もしそれが同時であれば、頭の上に落ちたのだということで、このタイムラグが安全弁でもあるのだ。重力とはそんなもので、いつもはそれを気にしないで生きている。突然顔がすげ替えられていても気がつかない。それは目の錯覚という語ですますことで、あまり突き詰めては考えないでいる。
怪奇現象を恐れるための回避行動でもある。ここでは食卓に集う家族に起こる怪奇現象を見せようとする(4)。あるいは自分の取った少し前の行動を、いま目の前で見せようとする。それが過去なので納得がいくが、前後を入れ替えて、少し先の未来も描き出されるとすれば、ぞくっとするだろう。そんな奇妙な体験に誘ってくれる、貴重なひとときだった。
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2024年6月22日(土) ~ 8月25日(日)
2024/8/6
古代ローマの生活風景を思い起こす展覧会。浴場の遺跡を再現して、彼らの豊かな生活を視覚化する。フレスコ画の断片(1)が残されていて展示されている。技法的には優れたもので、イタリアルネサンスに結びつくものだ。モザイクの断片(2)にはビザンティンで開花する中世美術の原点が見える。さらにヴィーナス像には古代ギリシアから引き継がれた美の系譜があるが、そこには明らかにギリシアとは異なったローマ人の美意識が反映している。
ゆあみをするヴィーナス像(3)には、ギリシアには見られない恥じらいがある。ちょうど入浴しようとする女性の生身の姿に対応して、微笑ましくもある。浮世絵にも似たようなポーズをした銭湯での一コマがあったような気がする。しかしこれが旧来からのヴィーナス像として継承されてきているのが興味深い。
厳格な理想美よりも、心地よい快感を求めたのがローマ人たったとすれば、それは江戸文化からはじまる庶民の美意識につながるものなのだろう。温泉文化に目をつけての、さらにはマンガというメディアを通しての通俗性で、イタリアと日本を対応させてみせたという点に、博物館的な比較的視点の成果が期待される。
神戸での開催は、有馬温泉を引き合いに出すことで、豊臣秀吉を引きずり出して、ローマ皇帝との対比を暗示させる。番付表(4)をみると東西で草津温泉と肩を並べている。すべては権力者の欲望追求に帰結するのだろうが、ローマの浴場に皇帝が顔を見せたという記録をみせることで、権力者側に好意的な立場も表明している。加えて活発な火山活動を引き合いに出したり、多神教による世界観の共通性も語ることができるだろう。
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2024年05月25日~08月18日
2024/8/7
これまでまとめて見ることのできなかった作家が、まだまだいるのだということを教えてくれる展覧会だった。ことに女性の場合は、男のかげに隠れて、縁の下に甘んじている場合も多く、自己主張をするためには、自立して社会的制裁を覚悟することも必要だったかもしれない。埋もれてしまっていた作家を一人ずつ発掘して紹介していく試みは、ときにスキャンダラスに響くとしても、作品が残り、それが主張する確固たる実在がありさえすれば、日の目をみることは明らかだろう。
離婚歴や再婚歴が年譜を通して知られる。ピカソなどは恋愛遍歴をつづらないと、芸術論も語れない。ナムジュンパイクやジョンレノンやロバートキャパという男性名に隠れていた女性名が顔を出す。小説家の場合はもっと顕著かもしれない。ゴーストライターとしての、作家の妻の発掘は、文学史ではすでに行われているのかもしれないが、美術史でも近年展覧会企画として目につくようになってきた。
生涯の作品を通観することで、絵画史の流れを逆行させているように見えるのが興味をひく。晩年に至って、のびのびと絵画であることを主張するのは、健全な姿にみえるが、それも前提となる模索の、必然的な帰結だったのだろう。絵画が自然と奥行きをもってしまうという歴史的必然を考えるあまり、絵画そのものが存在であるということに気づき損ねた。その生真面目さはわからなくもないが、考えなくてもいいことを考えた徒労が、深い意味をもってくる。
明確な輪郭をもたない、ぼんやりとした色のかたまりに、金網のようなグリットを張り巡らせた初期の作品群(1)が、その後の展開と変容の原点ではなかったかと思う。幾何学的抽象が、純粋抽象と組み合わされているとみてもよい。自然は曲線を残し、人間は直線を残すという定理を確認してもよいかもしれない。
ぼんやりとした色の斑点だけでは、たぶん焦点は結ばない。つまりカメラでは撮影できないものだろう。格子があることによって像が結ばれる。同じことはその後の絵画作品で、絵の具のしたたる重力の線を、必ずと言っていいほど残していることにも通じている。露に濡れたくもりガラスに描いたときの指の隙間から、水滴が流れ落ちて、イメージが消えていくときの気分に似ている。
円を描くコンパスを手にした写真(2)が、インパクトを呼ぶ。あれっと思う瞬間だ。コンパスの先は楕円の線上にある。レオナルドの人体比例図を見たときの衝撃に似ている。壮大な宇宙の原理が図示されたという思いだか、それは図であって絵ではないようだ。図はサイズを問題にしないが、絵はそうではない。つねにそれが置かれる実空間が問題になってくる。
虚空間に甘んじていた画家は、決まったように「存在」を求めようとするが、それは絵画がイリュージョンに引きずられていたからだろう。存在とは影ができるときの本体のことだ。彫刻家が存在を問題にはしないとすれば、それは存在そのものだからだろう。最後に大画面が並ぶ展覧会会場は、美術館の醍醐味を演出するものだっだが、似て非なるものが無数に並ぶという限りでは、これぞ美術鑑賞という気にはなったが、それ以上のものだったかは疑問である。
同じものを連ねた写真作品は、それに先だつ展示効果の探求だったかもしれない。2枚並べると間違い探しのゲームになる。同じ写真なのによく見ると開かれた本のページ数が異なっていた。特定の人物にマーカーで印をつけるという試み(3)も行われた。一人から始まり、家族数、あるいは知人数に応じて数が増えていく。
ガンが見つかり、55歳で没するまでの生涯をかけた身体感覚が、存在感を際立たせる。余白を埋める間もなく、次のカンバスに向かったという印象だ。そしてひょろひょろと大地から伸び上がる色の芽を描いた絶筆(4)では、その余白にタケノコが伸びようとするのを、見守るような緊張感がみえている。それは長寿を喜ぶ日本画家が、手慰みに描いた肩の力が抜けた味わいに、私には思えた。
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2024年06月04日~10月06日
2024/8/7
知らない若い作家の仕事に出会うのは刺激的で、長生きをしていてよかったという単純な喜びに基づいている。ただ作品を並べるだけではなく、美術史にそって展覧会を組み立てるという企画力も、作家に求められるとすれば、これまでとは異なった多様な才能を必要とするものだろう(1)。
一過性の打ち上げ花火が美術の、その場限りのパフォーマンス性を引き出す(2)。クリスタルパレスが興味深いのは、それが今はないということからだ。エッフェル塔や太陽の塔とは異なって、潔く姿を消したのである。万国博覧会は、今日の展覧会形式のルーツをなす。時間と手間をかけて建設し、会期が終わるとあっさりとつぶしてしまう。この不経済を人類に考えさせることが、この人為の目的だろう。自然災害や戦争と共通したものとも言えるかもしれない。
残らないからよいのだという美意識は、戦国時代の城郭建築に似て、夢の跡を築き上げる。大阪万博を前にして、そまざまな意見が飛び交っている。この展覧会を万博の年の大阪でぶつけてみせたという企画意図を、まずは読み取らなければならない。そして同業者には知られていても、一般には未知の40代の若いアーティストが、何を見せてくれるのかという期待がある。「蒙古斑」と「花粉」という謎めいたキーワードをたよりに、多様に展開する作家意図を探っていく。「花粉濾し器」と題した、オブジェとも実用とも取れない不思議な陶芸が、無数に並ぶ光景を眺め続けていた(3)。
肩透かしはクリスタルパレスはすぐに壊されたわけではないという点にある。1851年のロンドン万博で建設され、つぶすのに惜しいという声を受けて、移設され、その後火災によって燃え落ちた。決して潔くはなかったのである。切腹をしようとして死にきれなかった武士道のようだが、そのほうが人間的に目に映る。自然の力を借りてでも、焼け落ちる打ち上げ花火のような一瞬が目に映る。多くの観客を集めたというだけで、クリスタルパレスの役割は十分に果たせたはずだ。水漏れ事故でパーマネントとして常設展示が機能しないという、不細工な美術館の仮設性を、暗示するようにしてなされたという意味もきっとあるだろう(4)。
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2024年7月2日~2025年1月13日
兵庫県立 人と自然の博物館(ひとはく)
2024/09/07
モノが発する力を実感できる体験は、これまで美術館を通じて親しんできた。博物館はレプリカやコピーを並べるところという偏見が、私にはあったようだ。オリジナルのもつ力への信仰は、それが目よりも耳、耳よりも鼻で感じ取るものだという暗黙の了解を前提としている。実際には鼻よりも舌で味わうものだということになれば、博物館や美術館では不十分だ。日本にはこれまで料亭や茶室が担ってきた、趣味人の価値基準がある。
アートの名でこれまで親しんできたのとは明らかにちがうのに、ことに現代アートが希求している、さまざまなモノに出会うことができたようにおも。県木でもある、3000年前のクスノキが横たわっている(1)。木肌を見つめていると、トラの皮膚のように見えてきた。数千年のあいだ生命が息づいていて、今にも動きそうである。ポルトガル産のコルクガシの表面も、無数のコルクが樫の木にへばりついているようだ。
見たこともない巨木や、巨大な果実を見せ、手にとって重さを体感させ、ふさがれた小さな穴を開いて、匂いを嗅がせる。最終的には口に入れて味わいたいと思うが、それは無理だ。キノコもたくさんあったが、毒キノコもあるのだろうから、なかなか味わわせるところまではいかない。実物大のニシキヘビが樹木の幹にとぐろを巻いている(2)。動物園とはちがうので、これはもちろん模型だ。
リアリティを体感させるためには、ヘビに噛まれなければならないということになってしまう。動物園や植物園の生々しさは、夏場の時期には敬遠したいものだ。熱帯の生息を味わうには、冷房は掟破りなのである。そこで標本が登場するのだが、その処置によって安心して、快適に見ることになる。あっと驚くような恐怖心も含めて快適なのである。
岩石の標本も表面をつるつるに磨くと、みごとな芸術作品に変貌する。どんな抽象絵画よりも、美しく神秘的だ。宝石展では味わえない、岩石に埋もれた黒水晶が輝いている(3)。宝探しからはじまる人類の欲望史を目の当たりにする。金山にしても同じなのだろう。加工されると失われるパワーがそこには潜んでいる。さまざまな樹木を丸太にして、同じ大きさにして切り抜いて、椅子にして並べている。椅子のデザイン展でのように、座り比べをしてみるが、残念ながら大差ない。暗がりの森に目を凝らすと、クマがいたり、コウモリが飛んでいたりして、植物と動物に区別がないことを教える。
地球の誕生から説き起こされている。水のある惑星だから、生命が誕生したのだという。まだ人類のかけらもない。「化石」の魅力にひかれる。ことに三葉虫の跡形が残る化石は神秘的だ(4)。原始人の知らない、現代人の味わえる幸運である。58億年前のことなど、3万年前の原始人が知っているわけはない。エラが足に変わっていくのが、残された化石を見ることによって納得する。魚が地上に上がってくるのだ。同じように考えれば、鳥が地上に降りると、羽は手に変わったということになるだろう。四つ足の動物が二足歩行するようになって、人間になったという定説をくつがえしたくなる。鳥人間は洞窟壁画にも登場している。
人類の誕生と進化の過程も、残された骨によってたどられる。頭蓋骨を見ると、馬のように出っぱっていた口が引っ込んで、ヒトらしくなってくる(5)。出土した肋骨を通して、身長が割り出される。はじまりの人類はずいぶんと小さい。見つかったのは子どもの骨だったのではと疑ってみる。
頭蓋骨がずらっと並んでいるが、模型とも書いていないので、本物だと思って見ると、ひやっとする。ニシキヘビはさすがに模型だと思ったが、他の驚異もすべては、レプリカとも模型とも表示がない。当たり前のように置かれているのがおそろしい。恐れではなく畏れだ。神を前にしてひれ伏したくなる、本能とも敬意とも呼べるものだ。民族学博物館で山のように集められた、仮面など部族の儀式の道具を前にして、囲まれるような体感から、においにこびりついて、嗅ぎ取ったときのエゾデリックな感覚に似ている。それは整った空調管理のもとで、ひやっとしているのに生暖かい。
企画展として「クモ展」が開かれていた。兵庫県で発見された最小のクモと、最大のクモが展示されている。試験管に入っているので、展示効果がないものが多い。モノを拡大して、写真にすると巨大なモンスターが誕生する。改めて試験管の中を見つめ直す。蜘蛛の糸が生まれる記録映像がある。映像で見ると、蜘蛛の巣は払いのける対象ではなくて、世界の輝きを知る、神秘の実像だとわかる。
サメの頭部の剥製がある(6)。丸い目と鋭い歯に目が釘づけになる。横にはそのサメの肝臓が、グロテスクに広げられている。サメ肌の説明があり、サメはすべての部位が、役立つのだという。サメ肌とはどういうものかを、感触で確かめるようにしてある。サメ革の財布がぶら下がっていて、手にとってみる。サメのおろし器も悪くはない。フカヒレスープは中華料理の高級材だ。スピードアップの競技用水着まで、サメ肌が採用されている。開発された水着が展示されていて触ってみた。
蝶が標本箱に入って展示されている(7)。よく見かけるもので、美しいが不気味な感覚に襲われる。同時に女性を監禁する変質者を描いた、ウィリアムワイラーの「コレクター」という映画を思い出した。蝶のコレクションに似たサディスティックな欲望と連動するものだ。灯火に集まる蝶や蛾を集めたパネルがあった(8)。速水御舟の「炎舞」を思い起こす展示である。「飛んで火に入る夏の虫」という、自暴自棄ではかない命をもった生物を、人間に抱き合わせて見てきた文化の歴史がある、
「ひとはく」の名で呼ばれる博物館である。たぶん「みんぱく」に対抗してのことだろう。国立と県立に予算規模の差はあるが、「ひと」というひらがなに込めた、アイデンティティを見つける必要があるようだ。「みん」は民族や民俗の民であるとともに「みんな」のことだった。「ひと」は「ひとり」のことである。
ここでは「ひと」が「人」や「ヒト」ではないということが重要なのだと思う。漢字と、カタカナと、ひらがなの違いだけのことだが、区別するとすれば、人間を歴史や文化の文脈で見るか、生命体としての機能で見るかということだろう。
学問分野で言えば、人文科学と自然科学との区分、あるいは対立があった。ヒトがメカニックなハード面での探求だとすると、ひとはそれよりも柔軟なソフトな試みということになりそうだ。人間学あるいは人類学のもつ、文系とも理系ともつかない、総合体としての人間探究の意味が、「ひと」という語の底辺には根づいているように思える。
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2024年09月07日~11月24日
2024/9/7
赤絵のやきものがずらりと並んでいる。余白を嫌うようにけばけばしく塗りつぶされた空間をみながら、日本人の感覚とはちがうなと感じる(1)。西洋に向かう九州ならまだしも、九谷という北陸の地で生まれた美意識に、謎めいた魅力を感じる。九月に入って解禁となった紅ズワイガニの色を思い浮かべてみる。カニを盛り付けると、一体となった豪華な組み合わせが実現するなどと、勝手な想像をふくらませる。
魯山人旧蔵という赤絵の皿が一点展示されていた。他の作例よりも発色しているというわけではないが、落ち着いた赤なのだと感じた。ことにカニの色に共鳴しているなどと、この食通の美意識を思い起こしながら見ていた。
大皿は見ごたえがあり赤が映えるが、小品も目を凝らすと技術の冴えにうならされる。小皿やぐい呑みの小空間にも、同じだけの情報量が組み込まれている。超絶技巧といってよいが、パネルの説明を読むと、1ミリの幅に5本以上の線が描き込まれている。見飛ばした展示品をもう一度見直すことになる。吉を占う三人の老人が、豆粒のように仲よく並んでいる(2)。
主題は中国思想を反映した、めでたい人物や逸話を取り上げることで、器としての機能を高めている。青銅器や土器の古来より受け継がれた伝統であり、食器としての日常性を排除するようだ。赤地のなかでわずかでも顔を見せる白が美しい。本当は逆で白地を赤の線で埋め尽くしている。白は柔和なやきものの発色を示して、例えてみればカニをむしったときに顔を見せる美味そうな身の色に似ている。
円や四角に収まる、中心をめぐる回転が、宇宙論を展開する。時には六角形の場合もある。ぐい呑みの閉じられた空間に五角形の星を埋め込んだ一点に出会って驚いた(3)。ユダヤのマークなのだが、ルーツは中国にあり、共通した深淵の神秘思想に出会うことができる。江戸時代末の話である。そびえ立つ8本の峰をもつ霊峰も、現実を超えた風景として、実用に対立して、ファンタスティックな絵画の自律を主張している(4)。見ようによれば、雲に乗って飛来する菩薩像のようであるのが興味深い。
セットになった小皿や湯のみも並ぶと壮観だ。手描きなのですべてが全く同じというわけではなく、まちがい探しのように見比べながら、一点選べと言われたらどれにするかなどと思って楽しんでみる(5)。5点であったり10点であったり、揃いの数はちがっている。私的なことで言えば、はじめて犬を飼うというので、母親に連れられて知人宅に出向き、生まれたばかりの子犬のなかから選び出した幼心を思い出していた。
手の込んだ急須も注ぎ口の薄さを目にすると驚異的なものだった(6)。瓢箪型もあれば、ペルシア風のエキゾチックなものもある。パネルの説明では350gと書いてあったが、軽さを体感できないので残念だ。器物なのに側面が穿たれていると、飲み物は入らないので、ただひたすらのぞき見ることになる(7)。内側の描き込みに出くわし、それが小品だとどんなふうにして描いたのかと、首をひねる。
赤地に支えられながら、ものを前にしてさまざまに考えをめぐらすことになった。これまで九谷焼の色調と思っていた作例も、二、三は展示されていて、見比べることができた(8)。ドスの効いた深みのある濃い色味である。雪国の白に映えるにはこれくらいの強烈さが必要だったのかもしれない。
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2024年3月9日~12月8日
2024/9/7
特別展に併設して一室が、コレクションのテーマ展にあてられていた。丹波焼を九谷の赤絵にぶつけることで、やきもの表現力を比較しようとする試みのようだ。質の比較ではなく、好みの比較である。丹波焼は重苦しい土のもつ素朴さに支えられている(1)。壺のもつ安定感を底辺に置いて、表面のつちくれだった味わいを楽しむ。
絵付けではなく、図に頼らない地のもつマチエールが、室町時代から引き継がれている。黒々とした重厚さから、流れ出す表面の軌跡が、書の滲みのように作用して興味をそそる。さらにそこから抜け出したような白丹波の、浮き上がるようなざらつきがいい(2)。江戸時代になると、それが粋なデザイン感覚と調和して、軽やかな繊細さを獲得した(3)。黒の丹波があったからこそ、実現できた軽やかさだったように思った(4)。九谷の赤絵とは明らかに異なった美意識である。
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2024年08月07日~10月14日
2024/10/12
平面なのに立体であるという不思議を体感させる企画である。それに光があたると、さらに複雑になっておもしろい。光があたると影ができ、光が移動すると影も動き、壁面を覆う影からなる部屋全体が躍動する(1)。影絵だと言ってしまえば、昔からある遊びで、もともこもなくなってしまう。
かつてボルタンスキーがおもしろがって現代アートにしていたが、ここではデザインとして、おしゃれに提示されている。影は哲学的思索を導くもので、プラトン以来、洞窟に入り込んで、壁に映った自分の影に、怯え続けてきたものだった。
凹凸のある立面に顔を描いたものがあった(2)。方向によっていろんな表情を浮かべている。絵画でいえばキュビスムということになるが、泣く女が必ずしも泣いてはいないことを教えてくれる。人間の心は裏腹で、ことに女は複雑なのだというのを、男の歯ぎしりのようにして生み出したのがピカソだった。それを正統派の平面にこだわって、デザインとして定着させたのが田中一光になるだろう。
一枚の紙にハサミを入れて、凹凸をつける。色分けにすると明暗のイリュージョンが誕生して、それに光があたると、虚実皮膜の一瞬を楽しむことになる(3)。立体は運びにくいが、平面は束ねると運びやすくなる。効率と美観と驚きをベースにして、デザインの視覚が誕生する。
一枚の段ボールが折り曲げることで、みごとな箱に変貌するのを、私たちは日常生活で体験している。立体はもともとは平面なのだということを知る瞬間である。その不思議を感じることが重要なのだ。展示しないで、使用してしまうとそのままになってしまう。デザイナーの頭の冴えに脱帽することになった。広島で活動するグループの遊び心を満喫できる。
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2024年09月13日~11月24日
2024/10/13
京都での一日に、何を見るかを迷った末、近代美術館でのファッション展にした。以前ここでの服飾展で、衣服について考えさせられることがあった。その継続の展覧会のようで期待した。若い頃なら何軒もハシゴをしたものだが、今はそんな元気はない。最後まで迷ったのは石崎光瑤展で、かつて富山でまとまって見たことがあり、感銘を受けたのと、会場の京都文化博物館のシアターで、高峰秀子特集をやっていて、この日には「綴方教室」を大画面で見られることがあった。前の日の京都新聞にも一面を使った展覧会記事が出ていた。結局は岡崎公園になったが、向かいの京セラ美術館ではグッチの展覧会も開かれている。お祭りの行列にも出くわして、大賑わいのなかに紛れ込んでしまった。
衣服を考えることは、衣食住の順で並べられることからみると、食うことや住むことに先立って着ることが、重要視されているのだということがわかる。展覧会名のラブは、服飾に込められた愛情物語ということだろう。5つに分かれた章立てに沿ってみると、何を考えようとしているのかがよくわかる。
「自然にかえりたい」から見えてくるのは、野生という問題だ。毛皮を身につけるということは、獣性に憧れるということだろう(1)。動物愛護の観点とは対極にある、動物の闘争本能を考えることになる。毛皮のように見せかける、イミテーションの平和主義も念頭に置くことになる。獣の匂いのしない味気ないファッションへと、人類は進化していく。
「きれいになりたい」は、服飾にとって欠かせないものだろう。始まりはクジャクの羽であったかもしれない。着飾る喜びは人類誕生の頃からあったはずだ。ときにコルセットで締め付ける過酷さにまで至る。隠すことを最小限にするミニマリズムも登場する。衣服を身につけないとき、女性は長く伸ばされた髪で、裸体をおおっていたはずだ。小谷元彦の髪の毛のドレスが刺激的だ(2)。人の皮膚は動物ほどには機能しなかったが、そのことが独自の美意識を生み出していったにちがいない。
「ありのままでいたい」は、変身願望を否定するものだ。肩の張らない自然体だとすると、きれいにならなくてもいいという願望が、服飾に反映する。ヴォルフガング・ティルマンスの、複数の男女が着の身着のままで、寝そべる姿が暖かく心にしみる(3)。マタニティーはありのままの衣装だが、体の普通ではない部位が膨らんでいる女性の衣装が展示されている。異質だが当たり前の普段着に見えている(4)。
「自由になりたい」は、自由をかかげる闘争として位置付けると、それは制服や軍服にもなりうるが、ここではオペラ「オルランド」の衣装を担当した、川久保怜の個性的な自己主張が挙げられていた(5)。オペラの舞台をバックに並んだ衣装の凛々しい姿は、画一した統一規格ではない強い意志の力を感じさせるものだった。
「我を忘れたい」は、身を守るための衣服である。ヤドカリという概念も興味深いものとして浮上してくる。衣服を第二の皮膚と言っている限りでは気づかないだろう。衣服を第一の家屋であると言ったときに見えてくる、硬い甲羅に覆われた、甲殻類のもつ肉の柔肌を思い浮かべる。中世の騎士の甲冑が最後に展示されてあって、はっとさせられた(6)。しかもそれは勇敢な少女が身につけたときに輝きを放つものとなるのだろう。それはジャンヌダルクでもいいし、日本の女将であってもいい。
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2024年10月4日 - 11月16日
2024/10/13
ロムシアターを中心に、京都で開かれているダンスフェスティバルの関連事業のようである。阪急の四条河原町から歩いてほどない三階建の画廊での写真展だった。それにしても三連休の京都は、大混雑である。ふだんはこんな日に訪れることはない。昨日、京都外大で開かれた、日本イスパニヤ学会に招かれて「ヒエロニムス・ボスとスペイン」と題した記念講演会をしてきた。
ダンスの会に参加していたツレのお供で、舞踊の写真展に訪れた。舞台を観ていれば、また違った見方ができるのだろうが、私にとってはこの静止画が、舞踊のすべてたった。一階にはデモンストレーション用の紹介映像が流されていて、フェスティバルの概要をつかむことができる。二階は真っ黒ななかで、三階は真っ白ななかで、舞踊写真が散りばめられている(1)。大小さまざま不規則なレイアウトは、探し出すおもしろさを感じる。若い女性写真家のようである。
ダンスの舞台だけでなく、ダンサーの日常のレッスンや、力を抜いたときのひとときに、カメラが向けられる。おしなべて時が停止して、ダンサーとしてのアイデンティティを凝固させてしまっているのだが、その止まった一瞬に、真実が潜んでいる。盗み撮りに徹していて、目をカメラに向ける者はいない。その信頼感はカメラマンが、第三者ではなくなって、身構えることすら忘れてしまったというほうがいいのかもしれない。
カメラの存在を忘れ去ることは、身体を開放するためには必須のことだろう。盗み撮りではなく、カメラに麻痺させるまでに、カメラに溺れさせることで、いつもカメラの前にいる身の置き方を体得するのだと思う。身構えるのではなく、自然体で接していて、形になるということだ。そこに写真を見るほうは、光り輝く何かを感じ取ることになる。
タイトルの「その部屋で私は星を感じた」は、写されたダンサーたちの何気ない仕草にスター性を感じ取ったということなのだろう。それは写真家のことばであると同時に、私たちの想いでもある。このことに対応させるように、会場演出がされている。二階では真っ暗な部屋で、一枚一枚の写真が輝きを放っている(2)。三階に上がると真っ白ななかで、星そのものとなったように、写真が壁面をおおいつくす。中央には鏡柱があって、それに反射して星たちは、無限に広がって行こうとしている(3)。
気に入った一枚があれば、購入交渉になる。画廊が営業として成り立つための必須の条件である。ロイフラーのオマージュになった一枚があった(4)。舞踊そのものが過去の幻のダンサーへの敬意の表明なのだと思う。モダンダンスの歴史は、映画の誕生とともにあった。
イサドラダンカンの裸足で踊る姿が、動画で残されている。ロイフラーの衣装の踊りととも言える生命の躍動も、今ではYouTubeで簡単に見ることができる。古びることのない舞踊の原点である。衣服を脱ぎ捨てて身体を開放するのも原点だが、身体の躍動が衣装を経て空間を揺れ動かせていく姿も、古びることのないものだ。
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2024年09月28日~12月01日
2024/10/29
激しい女の生きざまが、颯爽として風を切って突き進むのを、長らく心地よいものと思って見てきた。3年前に石岡瑛子の仕事をまとめて見たことがあり、感銘を受けた。その延長上にあるのだが、今回の規模の大きな展示を前にして、何かちがうのではないかという疑問が、私のなかで生まれてきている。エネルギッシュな仕事を前にして、確かにわたしたちはパワーをもらうことができる。
資生堂からはじまり、PARCO、角川書店へと続く、都市文化のデザイン戦略のメインストリームを学ぶことになった。これがすべてではないと思うが、大きな影響を与えてきたことは事実である。戦略化されて消費者は踊らされてきた面もあるが、購買や利益追求とは異なった文化という受け皿を用意してくれたように思う。
商品の個別的な紹介ではない。なぜそうするのかという哲学を伝えようとして、ときに何のコマーシャルだったのかと首をひねる。決めゼリフが次々と誕生する(1)。命令口調なので、暗示にかけられて、ついついそうしてしまう。追随するというよりも隷属すると言ったほうが適切なのかもしれない。
本を読むために旅をするという逆説をおもしろがってしまうのだが、その不自然にも気づかされる。波打ち際に立つ筋肉質の青年は、文庫本を手にはしているが、開いてもいない(2)。濡れてしまうのに気が気ではないし、握り締められていて本ではなくなってしまっているのもある。
気を衒うことでインパクトを与える。ハチミツのもつ美容のイメージを読み替えて、資生堂ホネケーキという。ハニーを骨とみなした見立て文化なのだろうが、どんなケーキなのかと思ってしまう。誰も化粧品とは思わないのである。既成の文化に向けての戦略なのだろうが、抗戦的すぎて冷静と常識を欠いてみえる。
フェイダナウェイがCMに起用されて、ゆで卵を食べさせられている。最後は殻をかじるという、驚くような姿に唖然とする。ドラキュラを思わせる変貌といってもよいが、気の毒な気がする。何のコマーシャルかわからないが、最後にパルコの文字が入る。アランドロンやチャールズブロンソンなどハリウッドスターが、日本のテレビCMに登用されて、身近な存在だと錯覚した頃のことだ。日本経済の絶頂期で、金を積めば何でも可能だと、成金趣味にどっぷりとつかった、俗物性が見えてもいる。
これが石岡瑛子が活躍する背景となるものだろう。今となってみれば、虚栄に生きた古き良き時代ということだ。世界を股にかけて活躍の場を見つけていた。かつて満州の地では、華麗な馬賊に変容した男装の美女がいた。日本の軍部に踊らされた悲劇の人でもあったが、リーフェンシュタールに注ぐまなざしの背景をなすものだろう(3)。ファッショナブルでデザイナーが飛びつくものには、要注意という視点はあるように思う。
最後に表示されるのはパルコである必要もないし、文庫本は角川ばかりのものではない。化粧品メーカーにしても同じで、企業名はどんなものでも入れ替えが可能だという点に、その特徴はあるようだ。性能を抜きにしたイメージ戦略に沸き立った時代の習性を、みごとに代弁している。宣伝費が商品に加算される。現代史を切り取って分析するときの、格好の材料ではあるが、普遍的価値をもつものではないような気がしている。マイルスデービスは普遍性を獲得しているが、決して顔と指に集約されるものではないだろう(4)。
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2024年 9月14日(土) - 11月10日(日)
2024/10/29
生活を楽しむことを教えてくれる国なのだと思う。フィンランドには、アルヴァ・アアルトからはじまり、脈々と続くデザインの系譜がある。建築家であるが、ここではまず椅子に目が向けられる。木製の椅子である。熱帯の熱気と湿り気を帯びた柔らかな木材ではない。冷たく固い素材を、マジックのように曲げている。それでいて安楽椅子のように一度座ると、立ち上がりたくなくなるというものでもない。
シンプルな丸椅子が、機能的に重ねられている(1)。腕自慢の大男でも、両手で5脚はもてないだろうが、これだと10脚はかかえられる。ゴテゴテとした装飾はない。カラフルではあるが、モノトーンであって、色ちがいのものを何点もほしくなってくる。使い続けると色は剥げて、形だけが残される。それがまたいい。セカンドサイクルが提唱される。セコハンというといじ汚なく古ぼけてしまうが、第二の生を満喫する、復活の思想なのだ。
真っ白なゆりかごのようなロッキングチェアがある(2)。柔らかな曲線を奏でる肘かけ椅子と隣り合わせているが、ともに木製で座るとゴツゴツしているはずだ。安楽椅子のように見えるのは重要だが、実際に座ってみると、そうでもないとこともまた重要だ。人間はそこにじっと座っているなら、労働意欲を喪失してしまうからである。
椅子を人間の尻の形に沿わせると、バタフライストゥールのような、アアルトにはなかった機能が誕生する(3)。尻の穴が開放される造形といってもいい。その開放感は自由度を増して、息詰まっていた空気をリフレッシュさせる。風通しのいいのは快適さの秘訣である。家具が衣服のように風に靡いていく。
自然な曲線はいい。椅子だけではなくガラス製品にも応用されている。透明グラスに色がかけられる(4)。唯一の装飾であり、ステンドグラスに変身して輝きはじめる。形は究極の円に還元されて、色だけが至福の時間を伝えるものとなる。ときに造形家の遊び心が加わりガラスをねじってみると、色の渦が現れる(5)。厚みを加えると、キャンドルグラスに変身する(6)。
生活造形が自在に変容する。服飾もマリメッコの名声を支えて、日本人も活躍の場を発見する。日本の感性の中にある自然主義が、フィンランドに同調していく。遊び心も動物造形に反映する。写実に徹するわけではなく、機能を模倣するなかで、身体になじんでいく。熱風のなかを行き交うラクダの背に対抗して、椅子のようにまたがることで、動物は家畜化されていく。自由にお座りくださいというコーナーは、この展覧会には必須のものだ。犬の背にまたがるのは、子ども心を取り戻す手段であり、しかもそれはぬいぐるみではなく、木製で硬い。
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2024年10月5日(土)〜2025年1月26日(日)
2024/10/30
「神戸」とは何の関係もないが、「ゆかり」について考えさせられる展覧会だった。宮城県が集めた絵画のコレクションである。ここにかぎったことではないが、取り上げられた作家紹介には、決まってはじめに出身県が書かれている。地方の公立美術館では、郷土出身の画家が、まずは収集の第一候補となる。いない場合は隣接県に広げられ、東北という地方にまで拡大していくことにもなる。その場合は仙台が、東北地方の中心であるという、自己表明と自負になるものだ。九州に置き換えれば、博多ということになるだろう。
明治初年の洋画史の草分けから近代絵画史がつづられ、現代に至るまでの、外観がたどられる展示になっている。途中にカンディンスキーやクレーなどドイツ表現主義の画家たちの作品がはさまれる。なぜ宮城県でカンディンスキーなのかという疑問は出てくる(1)。かつて東北大学の美学美術史学講座の中心にいた教授が、カンディンスキーの専門家であったことと関係するのだろうが、これを言い出せば、日本の美術館で海外の美術作品など収集できなくなってしまう。それらにはべらぼうな値段がつけられているのである。
偶然海外の著名作家が、そこに立ち寄って足跡を残しただけでも、郷土ゆかりの画家にはなる。教科書的な名列ではない、聞きなれない画家名が混じることが、みどころとして重要な点だ。地方画家の発掘であるが、一流画家の二流作品よりも、出来栄えは上である。
高橋由一からはじまるが、これは教科書どおりの定番だ。由一の足跡から宮城県との関わりをさぐることができる。宮城県庁や松島の風景が描かれていれば、宮城県での収集理由がつき、多少値段が張っても県の予算を組み込んでもらえる(2)。学芸員の腕の見せ所となる。鎌倉からはじまった高橋由一研究は、今では日本全国に散らばっている。
洲之内コレクションというのが、当館の目玉となっている。洲之内徹というコレクターは松山の出身なので、愛媛県美術館に所蔵されていて然るべきものだ。それがなぜか宮城県にあり、所蔵理由は明かされていない。このコレクションを通して、ゆかりの画家の裾野が広がっていく。宮城県出身の画家というレッテルが崩壊するのが痛快だ。愛らしい猫を描いた一点がある(3)。無名の画家だがコレクターの眼力によって開花した。この一点を通してこの画家は出身地を喪失して、宮城県に取り込まれていく。作品は作者を越えてひとり歩きをしていくものだ。「ゆかり」のひろがりを感じ取れた。それが少女の名のような響きをもった、このことばの秘密だろう。
長らく仙台にはいっていない。20歳の頃にワイド周遊券を使って、一人旅をして以来である。その後、青春プレイバックのつもりで、十和田の美術館や青森県立美術館ができたときに、まとめて東北一周旅行を計画したが、実現しないまま、歳を食ってしまった。今回、宮城県美術館のコレクションを神戸で見たので、旅行はますます遠のいてしまった。
それでも生涯に一度っきりの旅というのもいいものだ。何度も行くとぼやけてしまうが、鮮明に記憶に定着している。その頃は寺山修司の時代で、出身の青森県は子の親殺しか、親の子殺しが一番だと、この歌人が言っていた記憶が鮮明で、まずは恐山に行って恐怖した。斎藤耕一の映画だったか、イタコの絵を背景にした、瞽女の物語にも誘われてのことだった。
松島も駆け足で行った。金色堂も見た。山寺も羽黒山の五重の塔も駆け登った。小岩井農場も記憶の片隅にある。八戸については終着駅で降りて、始発駅の鉄道に乗り換えた光景だけが、なぜか想起されている。天童で温泉につかり、大きな将棋の駒を買った。半世紀も前のことなのに、断片的な記憶が鮮明に焼き付いていて不思議だ。すべては新鮮で美しく輝いている。初恋の相手には大きくなって、会わない方がいいというのに似ている。
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2024年10月5日(土)〜12月15日(日)
2024/10/30
前衛絵画の最前線にいた画家が、その後に変貌していく姿をたどる。前衛が必ずしもポピュラリティを否定するものではないという考察にもなる(1)。美人画家として知られるには、出発点からその資質があったということだ。前衛画家だからといって、美人に興味をもたないわけではないことは、ピカソを引き合いに出すだけで十分だ。ピカソにそっくりのキュビスムもある(2)。前衛画家であろうが伝統画家であろうが、関係なく恋愛はするだろうし、女性をモデルにして絵を描くだろう。
ワンパターンとして、美人画を量産していくと、批判も多いが、多くはやっかみであって、作家は苦悩している(3)。大家となる前の模索する時期に、さまざまなメディアに挑戦する姿が、全体像を膨らませてくれる。包装紙や雑誌の表紙絵など、デザイナーとしての余儀を通して、才能を知ることになる。
孤高の画家ではなく、コミュニケーションを通して人と交わる姿が浮かびあがってくる。保険会社のパンフレットのデザインが、展示されていて目を引いた(4)。現在の新宿にそびえるSONPO美術館の前身は、東郷青児美術館だった。スポンサーは安田海上火災であり、意外な画家との結びつきが、謎めいてもいて興味をそそる。小磯良平と武田薬品との関係を思い出してもいた。
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2024年09月14日~12月01日
2024/11/08
あっと驚くような無数の糸にとらわれて、身動きの取れなくなってしまう現実を前にして、見つめ続けている自分がいる(1)。赤い糸で出来上がった赤い家が並んでいる。かき分けてなかに分け入りたいと思いながらも、触れることもできない。鑑賞者のもどかしさを感じながら、目を凝らして見る。複雑に絡みながら繭のように保護された、何もない「空洞」を見つめている。
増殖という語が浮かんでくるが、赤い糸は生命体のように、振動に反応して増幅している。白い糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされた部屋がある(2)。水が張られていて、のぞき込めるようになっている。水面に水滴が落ちると波紋をつくる。その波紋が空気を震わせると、垂れ下がった糸が、微妙に反応する。糸というには太すぎるかもしれない。糸は多様に変容する。ここでは赤い糸と白い糸が対比をなして、感情をむき出しにしている。
語感がミステリアスに、自己表明をしている。アイという響きに、日本人の感性は、「愛」を感じる。英語圏ではそれは「私」でもあり、「目」でもある。さらに「地と血」(2013)という映像作品では、「血」が「土」と同調する。日本人にとってはただの言葉遊びに過ぎないが、インターナショナルな目は、そこに神秘主義を見つけだす。
初期の映像作品「バスルーム」(1999)は、バスタブで泥だらけになって、のたうちまわるセルフポートレートである。モノクロ映像は、泥だらけの顔の大写しを、血だらけの恐怖とダブルイメージにして楽しんでいる。悪趣味の恐怖映像とも言えるが、バスタブであることがわかると、安心して入浴図だと知ることになる。どろんこ美容の美女は、醜悪なまでの試練にたえて、美しくなろうとしている。
私が塩田千春に出会ったのは、この映像作品からだったが、赤い糸のイメージが、定着する前のことだった。東京国立近代美術館で開催された「水浴考」と題した企画展の一点に加えられていて、強い衝撃を受けた。その後、糸を使った造形で第一線の現代作家となっていった。混沌のなかでの水浴図に原点があるように見える。インドではガンジス川に浸かる、みそぎとなるものだろう。
糸は透明の管となると、裸婦に巻き付いて、赤い血液が循環する。身体が小刻みに痙攣している。そのたびに毒毒と鼓動を響かせている。もちろん血液ではないことはわかっているが、この虚構のパフォーマンスに驚異する。かつて広島の現代美術館でもこれと似た装置に出会ったことがある。海外の作家だと思っていたが、この作家だったのかもしれない。ヒロシマがかかえる負の遺産とも同調するイメージだと思う。
美しくもあるグロテスクを支えているのは、きわめて個人的な脅迫感なのだろうが、現代人に共通したものだからこそ、共感を呼ぶ。「つながる」というアクションが、キーワードとなっている。糸が結ばれているのを見ながら、その労働量に圧倒される。それは個人の制作を超えていて、数十人の力がひとつに結集したものだ。のたうちまわっていた個人の狂気が伝染していって、美に昇華されたようだ。
同時に個人の持っている怨念が解消されて、調和へと至ったようにみえる。それはそれで見どころではあるが、原点であったドロドロした情念が消えてしまう怖れも宿している。見世物としてエンターテイメントに至ったという意味でもあるが、物量からすると以前東京の森美術館で見た個展を超えるものではなかったかもしれない。
中之島美術館も大きな施設ではあるが、現在5階では塩田千春展がひらかれ、4階ではピカソから草間弥生までを網羅した大規模なモダンアート展が開催されている。世界の巨匠を敵にまわして、塩田千春がひとりでこれと対抗したという図式になっていた。結ばれた糸を見ながら、会期を終えると、ほどきようがなく廃棄される姿を思い浮かべる。
ここで「むすぶ」と同時に「ほどく」というアクションに目を向けることになる。絡み合って癇癪を起こして無理矢理に力づくで、きつく結んでしまうことにもなるはずで、そこに人間の本性をみるならば、ここではあまりにも整然としていて、からまることもなく秩序を保っている。その姿の是非を問うてみたくなる。
「恩讐の彼方に」という小説があり、大分に行ったときに「青の洞門」を訪れたことがあった。巌窟を30年をかけてひとりでくり抜いたものだ。手伝おうとするものもいたが、拒絶していた。今では機械を導入して、何十人もの手を借りて、簡単に掘り抜くことができるだろう。歩きながら体感して、鑿の一振りを目の前に認めたときの、震えるような感覚を、しっかりと覚えている。
現代アートでこんにち隆盛を築いている、大がかりな見世物を前にして、改めて考えさせられることになった。5年前の森美術館でのときとは異なり、あっと驚く一過性ではないものに、最近では目が向くようになった。村上隆の有無を言わさない物量による、豊穣の満腹感への不信とあわせて、気にかかる現象だと受け止めている。
重要なのは、物量に圧倒されるのではなくて、その底流に沈殿している見えない糸に気づくことだ。その意味では現代ドイツに住んでいることが功を奏しているのだと思う。オペラの舞台装置とつながることにもなるし、多和田葉子の新聞小説の挿し絵の仕事は、ドイツ在住であるからこそ、実現したものだろう。挿し絵の一枚一枚は、誰の手も借りずに実現した、「つながる私」ということになる。
華やかさの中にある、孤独感や寂寥感に気づくと、はやく日本に帰ってこいと声をかけたくなってくる。天井から吊るされた白く長いドレスが、空中をくるくるまわっている(3)。会期中は9時から5時までの間、回転するだけが仕事だ。純白のウェディングドレスだとすれば、着られるものもいないまま、スポットライトに照らされて、壁面にはくっきりと映し出された、黒い影に変わっている。
つながりたいという暗示は、無数の手紙が開封され花吹雪のようになって、空中を飛びながら、赤い糸にまつわり続けている絡められている光景によって実現した(4)。蜘蛛の糸が何ものでも絡め取ってしまう姿に似ている。かつてはピアノであり、椅子である場合もあったが、ここでは手紙である。目を凝らせば文面は読める。おみくじと同じで、他人の秘密には深入りはしたくないものだ。みんなでつくりあげるアートという点では、オノヨーコにも同調していくものだろう。アイを語るものには、共通して愛する者を失った寂寥感がある。
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2024年11月02日~2025年01月26日
2024/11/09
女性の登場する作品を、所蔵作品から集めて組み直し、ひとつの道すじをたどろうとしている。一貫した全体のコンセプトを読み取るよりも、気になった作品に個々に反応するのでよいのではないかと思う。この美術館でみた特別展を思い起こすことになるのは、それを契機にして収蔵された作品であるからだろう。
アンドレアス・グルスキーの大きな写真作品「ピョンヤン V」(2007)が混じっていた。懐かしい作家名である。写真とは思えない驚異的な表現性に圧倒された記憶が残っている。久保田成子のビデオ作品が2点並んでいた。ナムジュンパイクのパートナーとしての、プライベートな側面が、手もちのカメラに残されている。「ブロークン・ダイアリー 韓国への旅」(1984)は夫の故国への旅行に同行したときのようすだが、パイクの笑顔が懐かしいクラスメイトとともに映し出されている。
単なる記録に過ぎないのに、普遍性を帯びて見えてくるのは、もう一点の「ブロークン・ダイアリー 私のお父さん」(1973-75)と題したビデオだった。父が癌に侵されているのを聞いて、ニューヨークから帰国した作者がカメラをまわしている。父は床についているが、テレビはつけっぱなしになっていて、紅白歌合戦の懐かしい曲が流れている。娘は日本にいないので、歌手の名前も知らず、話はかみ合わない。著名人でも何でもない、ごく普通の父親像が見えている。
テレビ画面にすがるように泣き崩れる娘の姿が、繰り返し映し出されている。その姿だけが妙にドラマっぽい。父親は目をつむって身動きをしないので、死んでしまったのだと、見るほうは思ってしまう。それが突然目を開いて、驚くことになる。私たちは泣いていたのは、演技なのかと思う。確かに大げさな泣き声だった。ドキュメンタリーとフィクションの狭間で、不思議な感覚に襲われることになった。ホームビデオというメディアの特性も浮き彫りにされていく。
山城知佳子という名も、国際美術館での展示を通して知ったのではなかったか。沖縄出身の写真家ならではの「BORDER」(2002) は、境界線上に住む者に特有の感性が問われている。金網越しに海が見えている(1)。沖縄の海なのだろう。モニュメントを前にしたダンスをしている(2)。脚のステップが大写しになって繰り返されている(3)。境界となって続く金網に沿って歩いている(4)。やがて海に達すると、金網は姿を消してしまう(5)。海になったところで境界線が消えたわけではないのだろうが、そこで映像は終わる。考えさせられる余韻の残し方だった。
新鮮な体験もあった。ベラスケスの「ラス・メニーナス」を使った遊びは、これまで何度もみてきたが、2002年の小川信治作では確かに不在の「彼女の肖像」であるのがおもしろい。いるべきところにいない彼女を描いた、2005年作の「フラ・アンジェリコの受胎告知」にも驚かされた(上図)。
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2024年9月14日(土)〜12月8日(日)
2024/11/9
今さらキリコ(1888-1978)でもないと思いながらも、過去の栄光に引きずられて見に行くことになった。1978年に90歳で没したイタリア画家である。同じく高齢のスペイン人画家ピカソ(1881-1973)と比べてみると、少し年少だが、ほとんど変わらない。キリコの評価については、カメレオン的変容を遂げるピカソに比べて、ワンパターンという印象が残る。
ユトリロの評価とも共通するが、1910年代から20年代にピークに達して、あとは若い頃の作品の焼き直しに終始したという、辛い評価が顔を出す。若い頃にキリコによる自薦展という展覧会があって、見た記憶がある。画家の没年である1978年よりも前だったはずだ。巨匠に自作を選ばせるとろくなことはないという、当時の悪口を覚えている。確かに今が最高という世界観がなければ、創作活動は続かないはずで、近作を選んでこそという判断はある。
今回も似た様式が並んでいて、一方は10年代、他方は60年代というのがあった。半世紀のちに再制作がされたということになる。後年の様式は、ねっちりとしていて野暮ったい感じがする。若い頃の作風が、あまりにも斬新でありすぎたせいなのだろうか。
こうした否定的な評価に対して、再制作を応援する見方もある。若い頃の形而上絵画の焼き直しにみえる、後年の主張を新形而上絵画と名づけることで、評価する方向性が出てくる。アンディ・ウォーホルが、評判の悪い後年のキリコ作を評価したことから、見直そうとする気運が高まった。それは作品を商品として、マーケットに持ち込もうとする、購買組織の思惑と同調するものだっただろう。
純潔を振り回すだけが取り柄ではない。現代美術だけが冷飯を食わされてたまるかという、人権運動でもあった。貧乏画家として神話化されてきた、悲劇の画家が逆転劇の主人公に踊り出ようとする。商才のある画商に支えられてのことだった。アメリカの現代絵画が、市場的価値を伸ばしていく。
株式と同じ変動が絵画にも割り当てられる。17世紀にオランダで活性化されてきたものだ。チューリップ投機と同じように、絵画投機が叫ばれる。それによって活性化されて市場経済に参入できたということでもある。良いものは高いのだという当たり前の趣味判断とは対立する価値観が誕生する。高いものが良いものとなったのである。キリコ評価にも、そんな背景が潜んでいるような気がする。