第360回 2023年12月31日
黒澤明監督作品、英語名はRed Beard、山本周五郎原作、ヴェネツィア国際映画祭男優賞受賞、三船敏郎主演。途中で休憩のはさまれる3時間の大作である。長崎から戻った若い医師(保本登)が、一風変わった老医師(新出去定)との出会いを通して成長していく物語。小石川養生所は幕府の施設だが、庶民の治療にあてられ、赤ひげと呼ばれる頑固な医師が仕切っている。無料の貧困層が棲みついていて、南向きの部屋は患者にあてられ、医師たちは北向きの陰鬱な部屋に押し込められている。
若い医師はエリート意識から嫌がっていたが、親の指示でそこに勤務することになる。新しい医学をおさめたことが、赤ひげのメガネにかなったようだった。反抗的態度をとって、法衣に似た白衣を着ようともしなかったが、しだいにその人間としての魅力に引かれていく。頭でっかちの新米医師は、医学的知識を誇っているが、はじめての外科手術に立ち会って、気を失ってしまっていた。
色情狂の美人の娘を治療するつもりが、誘惑に負けて殺されかけたのを、赤ひげが助けている。かんざしを振りかざして、首筋に向けて迫ってくる女のすさまじさに、圧倒される。単なるからだの治療におさまらない心の問題に出会うことで、物語は進展していく。エピソードを連ねた日誌のような展開で、まとまりがないともいえるが、何が起こるかがわからないのが、この世の現実なのだと教えてくれる。
みんなから慕われて死んでいった老人(六助)がいた。娘(おくに)がいるのだが、これまで寄り付かなかったのに、やってきて複雑な人間関係を告白している。母親が間男をして、その男を娘と夫婦にさせて、つなぎとめる。父には顔を合わせられるものではなかった。同じように死ぬ前に告白をする男(佐八)がいた。愛人(おなか)を死なせて、庭に埋めたのが見つかったことからだった。夫婦の契りを交わしたが、江戸を襲った地震の折に、女は行方をくらました。その後ばったりと出会うと、赤子を背負っていた。自分の子だという。決まった相手がいたが、そのあとで男と出会い恋仲になったのだった。女は真実を語り、男は納得した。自責の念から女は短刀を自分に向けて、男と抱き合って、強く引き寄せた。
赤ひげは患者に立ち会って、親身になって対応する。やむにやまれぬ事情から、殺人を犯した女を救おうとして、虚偽の証言をしてもいる。納得のいく対処だったが、付き添っていた新米医師に、自分は不正を平気でする愚かな人間だといって、自責の思いを伝えた。完璧と思っていた医師の正直な告白に、人間的な側面をみて、若者ははじめてほほえみを浮かべていた。幕府からの予算が大幅に削減され、いらだちをおぼえていた頃だった。
権力者の往診にも出かけて、贅沢病を戒め、高額の診療費をふっかけてもいる。俗世にまみれた側面も、若者はお供をしながら、つぶさに見ている。やくざ者を相手に、素手で次々と骨を折り、こんなことを医者はしてはいけないと、弟子に言い聞かせている。「椿三十郎」を思わせる立ち回りである。弟子を演じた加山雄三との共演も、これを引き継いでいる。
弟子も心のやまいを抱えていた。3年後に長崎から帰ってみると、いいなずけ(ちぐさ)が別の男と結婚していた。エリートコースをはずれて自分をこんなところに追いやったのは、娘の親のしわざだと思っていた。その親は赤ひげと懇意であったが、実は赤ひげのほうから望んできてもらったのだと明かされた。心のやまいを治療してやろうという思惑があったのだろう。弟子は疑い深いひねくれた心を、思い知ることになった。娘の不義を嘆きながらも、相手の親にとっては初孫も生まれていたのだった。
弟子にはじめての患者が割り当てられる。ふたりで女郎屋を訪ねたとき、非情な女将から泣かされていた12歳の少女(おとよ)だった。心身ともに病んでいて、治療が必要だと言って連れ帰った。女将が勝手なことをされてはこまると言い、やくざ者が立ちふさがったので、手荒なことをしてしまったのはこのときだった。少女はいじけて反抗的だったが、じょじょに心を開いていく。弟子の手におえなくなると、赤ひげが手助けをした。薬を飲まそうとするとはねつけた。何度も繰り返して医師の顔は汚れるが怒らなかった。最後にはああんと口をあけて飲ませていた。
弟子が少女の治療に疲れ、過労で倒れたとき、彼女は看病するまでに至っていた。順調に回復しかけたが、ふたたび悪化してしまったのは、弟子の見舞いにやってきた見知らぬ女性に接してからだった。少女の嫉妬心からだったが、赤ひげはそれも回復している表れで、これまでの病状とは明らかにちがうと診断した。盗みをする7歳の少年、小鼠との心のふれあいもエピソードとしてはさまれている。
いいなずけには妹(まさえ)がいて、申し訳なさからか訪ねてきていた。青年医師にひかれていたのかもしれないが、彼の方はそっけなく追い返していた。親どうしはこの妹を嫁にしようとくわだてて、赤ひげもそれに同調していたようだった。弟子も踏ん切りをつけ、話が好転すると、前途も開けることになる。かねて願っていたポストに移動ができるようになるが、彼は養生所に残るといいだす。婚礼の席で新郎は娘に、貧乏を覚悟できるかと問うた。娘はだまってうなづいていた。
赤ひげは青年の決意を拒絶しながらも、うれしそうだった。じつに魅力的な指導者像である。こんな師のもとで学びたいと、だれもが思う映画だった。最後に養生所の門の上半分だけを映し出して終わるのを不思議に思っていたが、二人が手を取り合っている姿なのだという解説に接して、なるほどと思った。
はじまりはこの重厚な閉ざされた門を、若者はくぐってやってきた。柱だけしかないので、鳥居といったほうがいいもので、はじまりと終わりで、対比的に映し出されていたのだろう。羅生門とまではいかないが、ハリボテとは思えない素材感をともなった、こだわりのあるセットだと感じた。ドラマを生み出すのは、俳優の演技だけではないのである。
第360回つづき 2024年1月1日
井形になった特徴的な門は、人間でいえば性格俳優ということになる。もちろん映画は俳優の演技によって支えられている。ここでは赤ひげの三船敏郎と、そのあとを継ぐ若い医師を演じた加山雄三との対比がメインストリームとなる。そのころすでに若大将シリーズがはじまっていたことを念頭に置いて、そのアイドルの役柄と対比的に見ておく必要があるだろう。ヒットを連発し若大将とちやほやされるのを、赤ひげが地道に生きるよう戒めたと見ると、さらにおもしろい。
養生所に勤める二人の同僚も対比をなしている。ひとりは入れ替わりに辞めていく医師で、はじめて訪れた若者を案内しながら、環境の悪さや人使いの荒さに、不満をぶちまけている。頭は良さそうだが、ドライな性格はここでは務まらなかった。もうひとりは忠実な弟子で、赤ひげを盲信している。どんな組織にも必要な人格だが、地味で上に立って指導力を発揮するタイプではない。本来なら一番弟子ということなるが、赤ひげのお供はいつもアイドル青年のほうだった。
女性では、すさまじい異常な性格を示す、ふたりの対比がきわだっている。ひとりは大店の娘で、異常な色情がこれまで何人もの男を傷つけていた。親の財力は別棟にメイドまで置いての治療となっていた。予算減に苦しむ赤ひげにとっては、上得意の患者ということになる。もうひとりは女郎屋で虐げられていて、連れ帰った12歳の少女だが、床をみつめながら、ふき掃除をし続ける異様な目は、先の狂女のそれと共通するものだ。演じたのは香川京子と二木てるみだった。
素直なやさしいふたりの女も対比をなしている。演じているのは内藤洋子と団玲子。ひとりは青年医師を裏切った娘の妹で妻となる。姉のほうもふたりの婚礼の席で、申し訳なさそうに登場するが、妹の引き立て役としかみえない。もう一人は狂女の世話をするメイドで、優しく青年医師に接していたので、慕っているのかと思ったが、恋していたのは地味な先輩医師のほうだった。医師同士でも結婚を話題にしていた。善良な娘を見ながら清涼感の味わえる、ほっとした瞬間だった。
あずかった少女が治癒したとき、そのことを聞きつけて女郎屋の女将が、取り返しにやってくる。このとき養生所ではたらく女たちが、寄ってたかって追い返す姿がすさまじい。大根で頭を殴りつけ、大根が真っ二つに割れるのをみて、演技をこえた恨みさえ感じた。女将を演じたのは演劇界の重鎮、杉村春子だったが、それを大根役者だと言ってのけたのである。同年齢の女優連もすごいが黒澤明もすごい。それ以上にその演出を受け入れた大女優がすごかったということだ。日本映画を支えた田中絹代と笠智衆が、ちょい役として出てくる。若大将の両親役だがセリフはほとんどなかった。