2017年9月16日~11月12日
2017/10/31
備前焼にとっては重要な人物である。初期には細工師として名を成したようで、動物の造形には目を見張るものがある。とりわけ枡の中にネズミを置いた細工は興味深い。立てられた枡の中に米粒はないが、実際の米粒を忍ばせることはできる。鉄を模した肌ざわりは明治の名工山田宗美を思わせる。
超絶技巧を売りとすることもできたはずである。それを捨てることから、金重陶陽という人の実験ははじまったようだ。アヴァンギャルドと言ってもいい。ちょうどピカソが、身につけた写実性を捨てて、キュビスムを始めたのに似ている。
備前焼の火襷(緋襷・ひだすき)というまだら模様に、偶然の美を見出し、ざらついた表面に悠久の時を感じとる。千年のほこりをはらっても、まだこびりついているような時間の蓄積をかたちにする。
高々60年程しか経っていないにもかかわらず、古色を帯びて、傷つき、はては歪み、割れさえも美に組み込もうとする。火襷をもみじに見立てた皿は、わかりやすいが本質ではない。土と火の造形としか思えない、ギリギリで形をとどめている器物に軍配は上がる。
私は以前に火襷を原爆のケロイドに見立てたことがあったが、土がみずからを証明するやけどの跡であることは間違いない。そこに痛みを感じる時、桃山の、戦国の、乱世の美意識と出会うことになるのだ。それは華やかなのに悲しい宿命を帯びている。信長も秀吉もそんなものを愛した。