2017年9月29日(金)~12月3日(日)
2017/11/25
遊び心満載の建築家の挑戦。先日多治見で訪れたモザイクタイルミュージアムの斬新な感覚に引かれて、その後類似した作例に思いをはせていた。バブル崩壊後の東京を舞台に繰り広げられた路上観察学の時代、トマソンを擁した赤瀬川原平のかげに隠れて、藤森照信の名はそれほど目立ってはいなかったはずだ。
真面目な建築史家の面影を払拭するためには、建築家として破天荒な、無茶な実践に挑むほかなかっただろう。建築家としては遅がけの、この氾濫は確かに意味がある。ルドゥーばりのあり得ない建築として頭の中だけで、構想を墓場に持っていくこともできたはずだ。
しかし時代はこの奇想に面白がって投資する目を持ったということだ。加担したのは赤瀬川原平や細川護熙や養老孟司という個人の支援グループからはじまり、やがて地方公共団体や一般企業にまで広がっていく。
多くは現住所を見る限り地方に広がりをみせている。浜松、近江八幡、茅野などの都市名が目につく。いなかに分け入り訪ねるには一苦労するという点は、都会に残存物を探して彷徨する、かつての路上観察学とは異なって、目的を持った地域の活性化に一役買うことになる。
その証拠に私はまだ行っていない秋野不矩美術館(浜松)やたねや菓子店(近江八幡)に行く計画を立てはじめている。作らないことを最上の創作と見たバブル期の反動から生まれたコンセプチュアルアートの面影はそこにはない。
展示場には、ところどころに丸太から削り出された荒っぽい建築の輪郭がある。建築と似ているから模型でもあるのだが、建築のディテールを説明するものでは決してない。この白木の一木彫は、いわば精神を伝える気合いの一種とも読み取れるし、展覧会に合わせたサービス精神とも見える。
重要なのは、建築は一本の木から彫り出された一体の彫刻でもあるということを、伝えようとしている点だ。合わせて切株は椅子にも変貌する。さまざまな高さを用意して、身体的鑑賞を体感させる。
実作例としても木から生えたような建築があり、このことを証明する。一見すると巣箱のようでもあるが、そこでは狭い室内空間は茶室とみなされる。畳二畳の千利休を越えるタイムカプセルでもある。ヒエロニムスボスの絵にも、こんな枝の間に置かれた小屋がある。
ポントルモかパルミジャーノだったか、マニエリスムの画家が住んだ梯子を使ってしか登り降りできない住居を彷彿とさせる。さらにエスカレートするとカプセルは、車輪を付けて移動し、果てはワイヤーに支えられて、宙に浮く。躙り口はもはや地には根ざさない。
自然からはじめ、自然を偽装し、やがては自然から離れる。利休からはじまる茶の理念と建築史の推移をなぞるようにして、制作は規模を拡大しているようだ。土壁のもつノスタルジーは、世代が下がるとエキゾティズムに変貌する。現代ではこの贅沢は自然主義とは言えないものにまで達している。
身近にあるローコストをいかに工夫をして用いるか、これが自然主義であったはずだ。ブータンがめざすものとは対極にあることは確かだ。現代文明のたどり着いたこの豪華な清貧を、建築史家であるもう一人の藤森照信なら、どのように評価するだろうか。聞いてみたい気がした。
2017年11月3日(金)~12月24日(日)
2017/11/25
競輪の選手であったという経歴が光っている。マチスの前に来ると、くすみがちな画家ではあるが、生涯を通して展観すると、いくつもの栄光が、見え出して来る。いい時代といいポジションにいたと思う。セザンヌとゴッホの回顧展を、自身の目で見て、影響を受け、マチスと歩調を合わせる場にいたということだ。
キュビスムの動きを知ると、とたんに画面がピカソ風になるし、セザンヌのタッチを彷彿とさせるものもある。独自のスタイルがかたまってくるのは1920年代からで、粗っぽいタッチを残す雪景色が特徴的だ。
冬枯れた鉛色の空と、その前面に広がる真っ白の絵の具の対比は、何度も繰り返し描かれる。かつてパリの裏町を描いて、佐伯祐三を魅了した都会的埋没とは異なった自然主義が、ブラマンクの本領を発揮する。病的な都会派ではない。パリを離れていなか暮らしをする中で培われた自我は健全過ぎて、これまでの負の美術史からは評価されず、見過ごされてきたものかもしれない。
しかしそれがスピード感のある現代に対応した時代性であることを理解すると、「競走用自動車はサモトラケのニケよりも美しい」としたイタリア未来派が目指したものと同調していたとも思えるのだ。自転車からさらにブラマンクは自動車に興味を移し、レーサー姿で写真に写されている。
180センチの巨体には、結核に苦しむひ弱な画家とは無縁のものがある。そして前衛の美術運動にさえ飛びつかない自覚を得た時には、未来派がどんな様式を確立しようが、構うことはなく、それでいて時代を未来派と共有するに至ったとみてよいだろう。
流れるような風景には、レーシングカーの疾走感がある。通り過ぎる風景には置き忘れた過去の時間が記憶されている。背景にはとても魅力的などんよりとした曇り空が広がっている。それと対比をなすように、白が輝きを増し、風のように通り過ぎようとしている。雪道をスピードアップして暴走するタイヤの跡形が、荒々しく残されているように見えるものさえある。
骨太のホワイトカラーは手と頭で描いたものとは思えないエネルギーを秘めている。絵筆にしては分厚く、白い絵の具が画面を疾走する。まるで足で描いたような運動量は、白髪一雄やポロックやザオウーキーの抽象絵画を先取りしているのだと、私は理解した。
2017年11月2日(木)~12月24日(日)
2017/11/25
サブタイトルにある「しあわせに生きるためのヒント」の語に引かれて訪れる。「見るだけでしあわせになれるかも」というキャッチコピーも飛び出す。もしそのようなものがあるとすれば、美術は偉大なパワーを発揮しているということになる。
幸せ満載のはずの展示品には、怖ろしげな仏教絵画も含んでいるが、それ以上に素朴な生活用品に目が向かう。中でも衣服を中心にした染織品がいい。手づくりの暖かさが伝わってくる民族衣裳は、その風土が生み出した自然の力を秘めている。
「初恋のきた道」でチャンツィイが着て走る赤いチャンチャンコをついつい思い出してしまう。一途な想いとシンプルイズベストに感じいる、チャンイーモーの中国映画である。
ブータンは中国の西の果て、インドの北に位置する小国である。仏教のもつ理念の高潔と、それが根付いた国土の寛容は、日本やタイと共有するものだ。そうであるからなのか、違和感なく幸せの国を容認する自分がいる。国王に対する親しみは、権力者のもつ顔が見えない時に、これほどまでに素直にほほえみを浮かべられるものなのかとも思う。
最初にはっとしたことばが「善なる道は安易い、悪しき道は常に険しい」。これはキリスト教とは真っ向から対立する。キリスト教では悪しき道は容易く広い。それゆえ狭き門より入れと教える。平坦な歩きやすい道を良い道だというのは当然のことなのに、そうではなくあえて困難な道を歩めというのがキリスト教の教えだ。
そこには権力者に虐げられて、その末に自らが犠牲になって、人類を救うという自虐的、かつ勧善懲悪の構図がある。それは自由を掲げて奴隷を解放し、民主主義を打ち立ててきた西欧の歴史そのものでもある。
日本は西欧との戦いに敗れ、戦後ことに民主主義を教育の柱として、受け入れてきた。それは闘争によって獲得してきた西洋精神の真髄だった。そこにはブータンやタイと同質の日本が置き忘れてきたものがあったはずだ。それを探りたいという思いがあって、これらの民族衣裳を見つめ直す。
流行を追い続ける業界の論理に支えられて、量産を続けるファッション文化が、今日の日本にはある。ブータンは消耗品ということばが成立しない国である。使い捨てという概念がないならば、節約や吝嗇という語もない。
贅沢という概念がないならば、貧富という差別もない。「しあわせとは、自分の持っているものを喜ぶことです」ということばが、二番目にはっとさせられた語だった。
衣服は身に付けるものであって、着せ替えるものではない。買い換えるのではなくて、糸をほどき紡ぎ直す。それは物質的ではなく精神的な幸せのことだという二元性に持ち込んでしまうと、たちまち西洋の哲学やキリスト教的神学からの発想を抜け出ないままになってしまう。
奪い捨てるのではなくて、与え育てる。そして最後に、極めつけのことばが締めくくる。「口のただれは舌が癒す。家族のけんかは、家でおさまる」。子どもが笑っている家族ほど幸せなものはない。そんな顔を映し出した映像に出会える展覧会でもあった。
2017年11月12日(日)〜12月24日(日)
2017/11/16
三段がけになって500点を越えるポスターが並んでいる。かなりのボリュームだ。Lifeの文字が入る動物のシリーズと、富山県立近代美術館のポスターが、特に目につく。といっても文字は小さく絵が前面に押し出されている。
開館以来の美術館の催しが一目瞭然とわかるだけでなく、よくもこれだけ一館の仕事に関わり続けたなという驚きも加わる。時には絵が引き下がり、企画が前面に押し出される。十字架をあしらった「ルオーの版画展」や「滝口修造と戦後美術展」のポスターは秀逸だ。
富山はいいものを手に入れたという羨望が、他県の美術館員なら同時に出てくるだろう。そしてその多様性を見ると、次々と新鮮なアイディアを提案してくるデザイナー魂が読み取れる。
スポンサーからすると、それに見合うだけの企画を出さねばならないということにもなり、ポスター負けしない製品の品位が問われるという、本末の転倒劇が予想される点が面白い。
デザイナーの仕事をまとめて見ると、いろんなことがわかってくる。その場その場ではデザインだが、生涯を通して見ると、アートだということがよくわかる。東京芸大では彫刻からデザインへの転科を希望したが、認められず中退したという。
今となれば認めなかった東京芸大は惜しいことをしたということだが、転科していたなら、今の永井一正はなく、もっと月並みなデザイナーになっていたのかもしれない。
会場には永井のことばが、壁面と柱を飾っていたが、その中の一つに「描くことは指先から出る心の集積だ」というのがあり、足を止めて書き留めた。
人間の目を持った動物が特徴的だ。どんなデザインにもそれを普遍化して登場させている。それはデザイナーの仕事ではない。生涯のテーマを見据えた画家のまなざしだ。
私も大阪市内の生まれだが、阿倍野区にこんな優れたデザイナーが生まれたというのは驚きだ。その後しばらく姫路に過ごし、上京して東京芸大彫刻科に入学する。
幼年期には天王寺動物園に通っただろうし、15-6歳の頃にいた姫路にも城の脇に動物園がある。東京芸大には、もちろん隣接して上野動物園がある。動物の登場を考えると、興味深い対応を示している。
虚弱体質が彫刻を断念させたようだが、もしそうでなかったら三沢厚彦のようになっていたかもしれない。動物に向けるよく似た同質のまなざしを感じる。先日開館したばかりの富山県美術館で見た三沢作の巨大な木彫の白クマが、脳裏をよぎる。
永井のポスターに頻繁に現れる富山県立近代美術館は、ここの前身であり、富山に何か秘密があるのだろうと憶測する。富山にも名高い動物園があったのだろうか。もちろん縁もゆかりもないという秘密もある。