第659回 2025年2月4日
斎藤耕一監督作品、中島丈博脚本、江波杏子、織田あきら、中川三穂子主演、キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、毎日映画コンクール日本映画大賞、103分。
男女の逃避行のはてに、生きる目的を見つけきれず、愛が破綻して別れるまでの物語。真っ赤なコートを着た女(中里イサ子)が、若い男(岩城徹男)を連れて、6年ぶりに津軽の海辺の寒村に帰ってきた。冬の日本海は海鳴りがやまず、高橋竹山の奏でる津軽三味線が、バックに響いている。女はこの村に生まれたが、今は家族も家もない。
漁師をしていた父と兄が、船が難破して死に、その後、母親が亡くなったときに、東京に出ていった。男は東京生まれのヤクザもので、女に愛されていた。敵対する組の幹部を刺して、ほとぼりの冷めるまで身を隠す必要から、女の故郷にやってきた。敵からだけでなく、仲間の組からもねらわれているのだという。
住んでいた家は廃屋となっていたが、貧しい一家が移り住んでいた。ひとり娘(杉本ユキ)がいて盲目だった。女はこんなところによく住んでいると言って、嫌悪感をにじませている。昔なじみの男が声をかけてきて、ぼろ家を紹介してくれ、そこに住み始める。若い男は不服そうにしている。あんたは遊んでいればいいと言うが、男は暇を持て余している。パチンコがしたいというと、行って来ればと返すが、一番近い五所川原の町まで行くのにバスで2時間かかる。
男が出歩いたときに釣りをする娘がいて、見ると先に会った盲目の少女だった。外国船の乗組員で沖に停泊しているのだと嘘を言った。娘は外国船など来たことがないと返している。おもしろがってからかっているうちに打ち解けて、娘の純真さに引かれ、思わず口づけをする。娘ははじめてのことでうっとりとして忘れられなくなってしまう。
あんちゃんと呼んで、その後も慕い続けることになる。生まれながらの盲目で、将来は限られていた。ばあちゃんがいて、イタコの弟子にしようと考えているが、本人はその不気味な姿を嫌がり、三味線を弾いて歩きまわる瞽女になりたいと、男を相手に夢を語っている。斎藤真一の描いた、もの悲しい瞽女の絵がはさまれて、情趣を盛り上げていた。
女は母が死んだとき、立派な墓を立てると誓っていた。遭難した父と兄の遺体は見つからないままだった。転覆した漁船の断片は見つかっていて、保険を請求しているが、調査中で待たされていた。男がこんな退屈なところを出ようと言ったときには、墓を立てるまではここにとどまると断言した。持ち金に困りはじめると、女は男の了解を取って酒場で働きはじめた。観光客もやってくるので、繁盛している。
男が酒場に迎えにいったとき、女は酔っ払って、客に絡まれていた。観光客だったようで、男はすごんでみせて、金をせしめている。男は今後もこの方法で一稼ぎしようと考えるが、女は酔いが覚めたときに、こんな狭いところでは、悪い評判が立つので、やめるよう男を諌めている。
酒場にはもうひとり雇われ女がいて、墓を立てるためにためた金を、その女に預かってもらっていた。ある日、観光客の共犯となって、酒場の金を持ち逃げされてしまう。もちろん被害にあったのは酒場の主人だけではなかった。何とかして取り戻そうと主人が思いついたのは、盲目の娘に客を取らせることだった。
主人は娘が愛している男に声をかけると、承諾して手引きをすることになった。前金として男は3万円を要求している。だまして娘を連れ出し、置き去りにしてきた。追ってくるヤクザから逃れようと女と申し合わせ、バスで土地を離れる約束をしていた。土壇場になり男は引き返す。良心に気づいたからか、娘への思いを自覚したからだろうか。女はその姿をながめながら、愛の終わりを予感している。
女の嫉妬心は、男に娘の生い立ちを語って聞かせることになる。娘の両親は実の兄妹であり、血の祟りで盲目の娘が生まれたのだと言う。父はそれを悔いて自殺していた。呪われた家族から遠ざけようとしたが、男はそれを聞き入れることはなかった。ピュアな娘に心を洗われていたのだろう。都会にはない確実な、生きる実感を見つけ出しつつあった。
女にも秘密があった。東京に出るとき、若い漁師を誘っていた。その父親はひとりまだここで漁師を続けている。息子はこの女にだまされてしまったのだと恨んでいる。しかも長続きせず別れてしまい、別の若い男を連れてこの村に帰ってきたのである。父親が訪ねてきたとき、女はいろいろあったのよと言葉を濁らせた。詳しいことは語られなかったが、男はこのいきさつは既に聞いて知っていた。
この父親が漁に向かおうと、船に乗り込んだとき、男と出会った。何が釣れるのだというのが始まりだったが、言葉をかわし男は漁に興味を持ちはじめる。多くの若者が村を出て東京に向かうのと反対に、娘と出会い東京にはない生きる実感を受け止めていた。ふたりで漁をする日が続いていく。仲の良い父子のようにみえる。
ある日、東京に出ていた息子の訃報がもたらされた。息子が入れ替わったようにさえ見える。女はそんな男の姿を複雑な思いで眺めている。遺骨を抱いての帰り道、父親は女とすれちがっている。ことばも目も交わすことはなかった。
女は預けた金も持ち逃げされ、この土地にとどまりたくはなかった。父と兄が保険金目当てで、船を沈ませていたことも判明していた。男が友だちのいる金沢に行こうと言っていたのを思い出したが、男はすでにここにとどまろうと決心していた。女は朝早く荷物をまとめて、まだ寝ている男に、よい古里ができたねとつぶやいて、家を去った。
娘の家に男が訪れるようになる。家族は娘の部屋に入っていく男を、見て見ぬ振りをしている。ふたりは結ばれて、娘はこれで夫婦になったのだと確信している。男は漁に出て一日を終え、娘の家に帰る日々が続く。ある日、娘が出迎えて、友だちが来ていると伝えた。
うしろにいたのは、男を追ってきたヤクザものだった。しばらく前から不審な車には気づいていた。最初に見かけたときは、女に金沢行きを持ちかけたが断られた。その後は男のほうがここに生きがいを見い出してしまっていた。
多くの男に取り囲まれて逃げきれず、刺されて海に投げ捨てられた。河口には死体が浮かんでいる。娘は何が起こったかがわからないままだった。冒頭のシーンでは瞽女の前に座って、この男との出会いと別れが語られていた。いったいどんな男だったのだろうかと思うところから、この映画ははじまっていくのである。