1979年
「映画の教室」by Masaaki Kambara
第906回 2025年11月28日
ボブ・フォッシー監督作品、原題はAll That Jazz、ラルフ・バーンズ音楽、ロイ・シャイダー主演、リランド・パーマー、ジェシカ・ラング、アン・ラインキング共演、カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー賞美術賞・編集賞・編曲賞・衣装デザイン賞受賞、123分。
「ザッツ・エンターテイメント」と対応したようなタイトルからは、華やかなショービジネスの世界を描いたミュージカルを思わせるものである。実際には陰鬱な演出家の妄想がはばたく奇妙な映画だった。ボブ・フォッシーというブロードウェイで活躍した振付家の生涯を追った自伝映画である。
芸術家としては天才的なのだろうが、映像からは破綻した私生活が見えてくる。主人公(ジョー・ギデオン)には妻(オードリー)と娘(ミシェル)がいるが、妻は年齢を重ね距離を置いて、男の姿をながめている。
父は娘を愛するが、娘は父のセクシーな振付を前にすると、違和感をにじませている。主人公は若いダンサーとの浮気を繰り返し、それがパワーとなり、今までにない独自の作品をつくろうと情熱を燃やしている。
ダンサーは役をもらいたいと、必死で主人公に近づいてくる。家族は夫と父親の姿を見ながら、冷ややかな目で見ている。入院していても看護師にちょっかいを出す。好色なふるまいは私たちが見ていても、好感の持てるものではない。
自身のことを監督として描いているのだとすれば、自嘲的でもあるのか。プロデューサーや資本家も、その才能から援助を惜しまないが、非常識な側面に接すると、着いてはいけず呆れている。
はじまりはオーディションなのだろう、100人もの若者が舞台上で踊るのを、主人公も舞台にあがり、間近にいて審査している。なかには踊りになっていない素人も混じっている。人数が減り5名にまで絞られる。主人公の好みの娘たちが選ばれた。客席ではプロデューサーやスポンサーが、そのようすをながめている。
精力的にはたらくが、持って生まれた研ぎ澄まされた神経であるためか、心労が重なり心臓発作で倒れる。スケジュールの変更を余儀なくされると、ビジネスとして経費の損失分が余念なく計算されている。復帰した場合でも、何ヶ月後かで異なるし、死亡したときのことも考慮して、上演計画が練られていく。
主人公は病院を抜け出して舞台に向かうが、現実なのか病床で見ている妄想なのか、区別がつかないまま、振り付けが進み、ダンサーたちはみごとな踊りを披露する。元気な自分が病床の自分を見ている。
実際には病床にあったようで、胸をメスで切り開く手術の場面や、主人公の遺体がビニール袋で閉じられるラストシーンも生々しく、現実感を伴って強烈なイメージを残すことになる。
それはこれまでの心地よいミュージカルに、戦いをいどもうとするもので、このショッキングなまでの煩雑さが、見落とせないものだろう。「何でもかんでも」という、ジャズとは何の関係もないスラングを、タイトルに用いた意図が、重要なものとなる。
美しい踊りではない。悲壮な気分の漂った緊迫感に満ちている。ストーリー展開は、劇的な見せ場が連なるものではないが、個々のダンスが見せるパフォーマンスの輝きに酔いしれることになった。自伝を語る監督は最後は自分を殺してしまったが、実生活もこの映画をなぞるように、8年後に心臓発作で没した。
第907回 2025年11月29日
ジェームズ・ブリッジス監督、原題はThe China Syndrome、ジェーン・フォンダ主演、ジャック・レモン、マイケル・ダグラス共演、カンヌ国際映画祭男優賞受賞、122分。
タイトルだけを聞くと、今では米中の対立を思わせるものだが、原発事故の報道をめぐるテレビ局の対応を通して、社会正義について考えさせられる一作である。記者の良心が国家権力と結びついた、巨大な社会機構にどこまで抵抗できるかという問題でもある。
主人公は視聴率向上に貢献する、人気の女性キャスター(キンバリー・ウェルズ)だった。バラエティの取材が割り当てられるが、本人は硬いニュース報道を担当したいと思っている。原子力発電所の取材が入り、旧知のフリーカメラマン(リチャード・アダムス)と組んで乗り込んだ。
初心者向けに発電のしくみなどを、わかりやすく説明していく。内部は撮影禁止になっているが、カメラマンは黙って盗み撮りをしていた。突然、揺れが起こり、危険を知らせる警報と電光掲示がはじまる。
操作室を窓越しに見ていたキャスターは驚くが、よくあることだという説明がなされて、落ち着きを取り戻す。にもかかわらずカメラは動揺する責任者(ジャック・ゴデル)の表情をとらえていた。計器の数値が戻らないままで、放射能漏れによる事故が判断された。
何とかおさまったが、映し出したフィルムは明らかに事故によるパニックを証言していた。カメラマンとキャスターは特だねを手に入れたと興奮して、ニュースとして報道しようとする。
テレビ局に持ち帰り、原稿を書いて特番として企画を持ち上げるが、上司は慎重だった。発電所内での規定では、無断撮影は重罪にあたると書かれていた。新しい原発の建設も同じ会社により進められており、原発建設の反対運動が起こることは避けたかった。
政府も同調することで圧力を加えてくる。カメラマンは社会正義を振りかざして抵抗する。テレビ局幹部はフリーでなければ解雇すると息巻いている。キャスターに調停が命じられ、自分はこの仕事が好きで辞めることはできないと伝えた。
カメラマンはキャスターの弱みをなじり、保管してあったフィルムを盗み出す。原発建設の反対運動側に持ち込んで、専門家に内容を分析してもらおうとした。
キャスターも心苦しく、真実究明に立ち上がり、発電所の責任者を直接、訪ねて取材をする。強気の発言だった。電力の恩恵を被っているのなら、10パーセントは原発が担っていて、その分自分にも感謝しろと言う。
責任者ははじめは立場上、事故を否定するが、ことの重要性に気づき、実際に体感した、揺れの実感に恐怖する。アメリカでの放射能漏れは、地下を通過して、地球の裏に位置する中国にまで達する。
地球規模の破壊は、チャイナシンドロームの名でも語られるものだ。事故を示す証拠品を公にしようと、反対集会に持ち込もうとした。仲間に託すが、運搬中に謎の事故を起こして奪われた。責任者はみずからが車を走らせるが、阻止され命の危険を感じ取ると、発電所に逃げ込んだ。
部下たちは会社側の指示に従って、稼働を続けていた。危険な状態にあり、責任者はガードマンの銃を奪って操作室に立てこもり、仲間を追い出した。テレビ局が事態の収拾に乗り出し、キャスターを向かわせる。
責任者の逮捕が目的だったが、テレビ番組として中継することを提案して、準備がされていく。犯人は原子炉を人質に取って、テレビカメラを入れるよう要求する。
放射能事故の恐怖を広く伝えようとしたのだが、会社側は狂人による立てこもりと主張することで、武装したスワットの出動にも至った。キャスターが司会者となり、乗っ取り犯にマイクが向けられる。中継がはじまり、ここで起こった事故について語りはじめる。
複雑な前置きを伝えて、本題に入ったとき、テレビ回線が切断され、扉が焼き離され、狙撃隊が突入して、責任者は一撃のもとで即死してしまった。事態は収拾したというアナウンスを聞きながら、押しかけてきた報道陣が質問を投げかけている。
キャスターもマイクを握りながら、責任者の真実の声を代弁する。かつてそのもとで指示に従い、その後権力に屈した同僚(テッド・スピンドラー)も、悔いを残すが、単独犯の狂気による犯罪という結論を、くつがえすものにはならなかった。
第908回 2025年11月30日
スティーヴン・スピルバーグ監督作品、ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル脚本、ジョン・ウィリアムズ音楽、ジョン・ベルーシ、ネッド・ビーティ、ダン・エイクロイド、三船敏郎出演、118分。
1941年12月の真珠湾攻撃後のアメリカ本土での、日本が攻めてくるという恐怖を描いたコメディ映画。ことに西海岸のカリフォルニアでは危機感が増していた。暗がりのなかで寒中水泳をしている若者に、煙突のようなものが浮き上がり、すがりついていると、浮上してきた日本の潜水艦の潜望鏡だった。
シリアスな内容であるのだが、ドタバタ喜劇の様相を呈している。潜水艦の艦長(三田村昭郎中佐)を演じる三船敏郎だけが、興奮気味に号令をかけている。アメリカ兵の対応と対比してみると、ひとり浮き上がって見える。
酒場での水兵と空軍兵士どうしでの乱闘は、迫力に満ちていて熾烈を極めるが、独自の世界に埋没している。戦争が始まっていて、日本軍が攻め寄せてくるという危機感は見られない。
軍関係の飛行機好きの女性(ドナ・ストラットン)に声をかけて、ものにしようとする兵士(ルーミス・バークヘッド大尉)は、何とかして戦闘機に誘い込もうと必死になっている。
搭乗するとこの女は興奮状態になるようで、セクシャルなほのめかしを伝えて女を誘っている。ひとまわり大きな機種(B-17爆撃機)に乗り込むと抱き合いながら、これは滞空時間が長いと言って、自身の精力の強さをアピールしている。
ゼロ戦が飛んできたかという問いかけが出てくると、日本の戦闘機の威力が暗に評価されていることがわかる。日本のほうも、潜水艦内での会話から、ハリウッドをねらうという点で、共通の想いを伝えていて、敵とはいえ映画産業に寄せる興味は、世界に共通し一貫したものだった。
ストーリー展開を楽しむものではなく、登場人物も多くて群像劇ということになるだろう。魅力的な人物像が輝きを放つというわけではないので、筋を追って語る気にならないというのが、正直なところだ。スピルバーグの監督作品としては、コメディがとってつけたような印象を残し残念だった。
人物に比べて、潜水艦の登場はジョーズの出現を思わせて、わくわくさせるものがあった。これをもっと効果的に写し出すことができたのではないかと思う。日本の潜水艦だが、ドイツ人が乗り込んでいて、いわば借りものだった。まだまだ日本の技術力をもってしては、対等に戦えるものではなかったことがわかる。
真珠湾攻撃を扱ったアメリカ映画は数多い。ヒロシマ・ナガサキをさておいて、日本に対して戦争責任を問う場合の格好の材料だった。潜水艦による偵察も頻繁におこなわれていたのだろうが、その動向については、十分に把握されていて、余裕をもって対応策が練られていたように見える。
第909回 2025年12月1日
リドリー・スコット監督作品、ダン・オバノン脚本、原題はAlien、シガニー・ウィーバー主演、トム・スケリット、ヴェロニカ・カートライト、ハリー・ディーン・スタントン、ジョン・ハート、イアン・ホルム、ヤフェット・コットー共演、アカデミー賞視覚効果賞、サターン賞(SF映画賞、監督賞、助演女優賞)、ヒューゴー賞映像部門受賞、117分。
宇宙船が地球に向かって帰還中に起こった出来事である。7名の乗組員のうち主人公の女性飛行士(エレン・リプリー)だけが生き残る。エイリアンという地球外の生命体との戦いを通じて、理由なき恐怖と立ち向かう勇気について考えることになる。
高邁な飛行目的はなく、荷物を運搬する貨物船だった。船長(アーサー・ダラス)以下、会社に雇われの身で、帰還後に支給されるボーナスの話題をしている。単純作業の乗組員もいて、給料が半分しかないことに不満をぶつけている。
軌道を外れていることに気づくと、マザーと呼ばれる拠点から送られる、コンピュータの指示があった。SOSを求める連絡があってその探索に向かうことになる。数名の隊員が降り立って徒歩で移動すると、その一人の顔に張り付いてきた異物があった。
何本もの脚があり剥がそうとするが難しく、そのまま宇宙船に連れ帰る。異生物を機内に入れることは、規則上できなかったが、隊員(ギルバート・ケイン)の身の安全を考えて、機内で機械を用いての処理となった。
機長は判断をせず、科学専門家(アッシュ)に任せたことに、主人公の女性乗組員は不満を感じはじめている。機内に持ち込むことで、全員の安全が脅かされることを懸念したのである。蟹のような脚をもったバケモノがタコのように、顔に張り付いていた。
脚を一本切断すると中から液体が出てきて、煙を上げて床の金属部分を溶かし始めた。あわてて床下にある階下の部屋に移動して何とか食い止めることができた。強い酸をもつ血液であり、敵に対する防御としては優れた機能だと、科学者は感心している。
これ以上、脚は切断できず、顔を覆い固まりかけて仮面のようになった部分を、力づくで割ることができた。隊員の顔は元のままに戻っていた。隊員は元気を取り戻したように見えた。
同じようにみんなと食事を取っていたときに異変が起こる。まずいはずの宇宙食を猛烈な勢いで食べていたが、突然胸を押さえて苦しみ出す。シャツが赤く染まり、外すと皮膚を突き破って、内部から小動物が歯を剥き出して、飛び出してきて逃げ去ってしまった。驚いた隊員たちはどこに逃げたのかを、手分けして探しはじめる。
船内には猫(ジョーンズ)が一匹乗っていて、隊員たちの心を癒やす存在だった。エイリアンが猫と同じ大きさだったことから、暗がりにいるのが、どちらなのかがわからず、見ている私たちに恐怖と緊張を強いることになる。
猫の鳴き声を聞いて探しに行った隊員(サミュエル・ブレット)が次の犠牲になった。最初の犠牲者は丁重に白い布にくるまれ、宇宙に向けて埋葬されていた。永遠に宇宙空間を漂うのかと思うと、ゾッとする一瞬である。
エイリアンははじめ小さかったが、急速に成長をしていったようで、人間の大きさにまでなっていた。ギーガーのデザインした恐ろしい形相なのだが、その全体像は見られない。いつ現れるかという恐怖心が加速される。歯を剥き出しにした顔のクローズアップにあわせて、異様な唸り声が聞こえる。
小さい時に息の根を絶やして宇宙に放り出そうとしたが、科学者は生捕りを主張した。この時も船長はこの考えに従った。科学者の発言と行動が、不自然なものに見えてきて、その正体が暴かれていく。女性飛行士がマザーに問いかけるが、科学者にしか答えないという反応を示した。
科学者は会社側が送り込んだロボットだった。女性飛行士を襲ったとき、救いに入った隊員に倒されるが、体内はエイリアンかと思わせるような粘液と機器が埋め込まれていた。エイリアンを地球に連れ帰り、兵器として使おうとする国家戦略に従うものだった。
3人の男が減り、男は船長と兵器係の黒人(デニス・パーカー)、女は主人公ともう一人(ジョーン・ランバート)の計4人になった。バケモノは火に弱いはずだと言って、船長は退治に向かうが、逆に命を落としてしまう。
残る3人は宇宙船を捨てて、脱出用カプセルに乗り込んで逃げる手はずを進める。本船は爆破させてエイリアンもそれと共に葬ろうと準備をすすめる。爆破装置を10分に設定するが、その間に巨大化したエイリアンに仲間は捕らえられ、主人公だけが生き残る。
猫を置き去りにしていたことを思い出すので、見ているこちらまでがハラハラすることになる。カプセルに乗り込んで、猫を先に眠りにつかせる。やっと終わったと思ったときに、小さなエイリアンがカプセルについて入ってきていたことに気づく。
増殖しているのではという恐怖を誘う。ガスを用いて、さらには矢を発射させて仕留め、宇宙に放り出すことができた。自分だけが一人生き残ったと地球に連絡を入れる。不時着をうまく見つけてくれと伝え、眠りにつくが、無事帰還できるだろうか。
エイリアンの恐怖は、外からの攻撃だけではない。胎内に卵が産みつけられているのではという怖れを残して、地球に蔓延していく図を思い浮かべることになる。