第670回 2025年2月18日
ポール・マザースキー監督作品、アメリカ映画、原題はHarry and Tonto、アート・カーニー主演、アカデミー賞主演男優賞受賞、115分。
ニューヨークに住む老人(ハリー)が、猫(トント)とともにたどるロードムービー。老いをどう生きるかの指針となるものかもしれない。私とも同年齢だった。はじまりは住んでいるアパートが老朽化して、壊されて駐車場になるという話からである。一人暮らしの老人が、住み慣れた部屋なので、出ていかないとがんばっている。
妻はすでになく、猫との暮らしが続いていた。主人公は現役時代は教師をしていて、知的な会話もできるが、庶民的な生活環境を楽しんでいた。何度も強盗に出くわす地域である。公園のベンチで交わす何でもない会話を通じて、友だちになったポーランド人の死も、遠い祖国のことを思って看取ってやっていた。
部屋から出ていかないことから、強制執行がされ、ソファーに座ったままで階下まで降ろされた。そこに息子(バート)が車で駆けつけて、自分の家に来るよう説得することで、騒ぎはおさまった。ニューヨークの郊外に住むが、住環境は決してよくない。妻と成人しているかさ高い二人の孫が同居しているところに、猫を連れた老人が転がり込むことになる。
手狭な家で下の孫と同じ部屋で、ベッドを並べて寝ている。犬もそこにいる。彼は自閉症気味で、主人公も話しかけて気をつかっている。年齢的に夜中にトイレに行く。はじめてのときには、物音を聞きつけた息子が、階下で拳銃を構えていた。
この辺も最近は強盗が入るようになったのだと言っている。嫁も義理の父に気をつかっているが、時に言葉尻をとらえて反発する。狭い食卓を囲んで、鼻を突き合わせて食事をしている。猫の居場所はなく、主人公の足もとにいて、肉を細かく切り分けて与えられている。
ギクシャクした日々が続く。シカゴに実の娘(シャーリー)がいて、そこを頼って行くことを決意する。息子は父親を引き取りたいが、妻が積極的でないことから断念した。飛行場に見送って、現金を手渡そうともしている。猫を連れて搭乗しようとするがトラブルで、バスでの移動に変更する。
猫をバスケットに入れてバスに乗り込むが、猫に小便をさせようとトイレに連れて行っても、今までとはちがう環境になじんではくれない。運転手に頼み込んで止まってもらうと、猫は駆け出して戻ってこない。しかたなく荷物を降ろしてもらう。
モーテルに泊まって、次の日に250ドルで安い中古車を買って、シカゴに向かう。免許証は持っているが、有効期限はとうに過ぎていた。ヒッチハイクの男女がいたので、乗せてやり運転をしてもらっている。途中までで男は別れるが、女(ジンジャー)はついて行かない。聞くと知り合いではなく、会ったばかりの関係だった。主人公は近頃の若者はと首をかしげている。
家出娘だったが、年齢を聞くと16歳だという。その後相手に合わせて15歳と言ったり18歳と言ったりしている。若者たちが集まる、評判のよくないコミュニティをめざしていた。主人公は否定することもなく、同乗させて先を急いだ。実らなかった昔の恋愛話を、語りはじめるとおもしろがって、その人(ジェシー)に会いに行こうと言い出す。娘の強引さに引きずられて寄り道をすることになった。
名前を頼りに訪ね当てると、黒人が出てきた。年齢も若く同姓同名だった。よく郵便物がまちがえられたことを覚えていて、その人は今、老人ホームにいると教えてくれた。さっそく訪ねて再会を果たす。はじめちがった男の名を呼んでいたが、記憶は蘇ったようだった。それでもしっかりと覚えているふうではなかった。昔はイサドラ・ダンカンといっしょに踊っていたダンサーで、今も主人公を相手にダンスをしている。娘は「裸足のイサドラ」という映画を見ていて、興味は増していた。
シカゴに着くと娘と再会することになる。書店を開いていて、順調な生活を送っている。父親とは知的な会話を交わすことのできる存在だった。同行の娘を紹介すると、行く先の危険を知らせて、親心からすぐに自宅に帰るよう促している。主人公は娘を信頼しており、その自発性を重んじていた。孫がこの書店で働いている姿にも出くわした。この孫が娘に興味を持ったようで、二人に車を預けて、主人公は猫をつれて別行動をとることにした。
車がなくなると、ヒッチハイクを余儀なくされる。止まってくれたのは美女で、高級車に乗っている。女優かと問うと、娼婦だと答えた。高級娼婦なのだと胸を張ると、手もとには100ドルしかないと返していた。それでも車は道を外れて人目につかないよう、遠ざかっていった。
主人公にはもうひとり息子(エディ)がいて、ロサンゼルスの温暖な土地に住んでいて、訪ねてみることになる。享楽の生活に身を置いているようで、大型車に乗り、部屋に誘われると贅沢な暮らしに見えた。しばらく生活をともにすると、実際は無一文であることを打ち明けた。主人公は父親として援助してやろうと送金を、預けてある長男に頼もうとするが、兄には知らせてほしくないとプライドを見せている。父は自分が使うのだと言って、工面してもらうことにした。
カジノで遊んでいるときに、猫のようすがおかしくなり死んでしまう。11歳で人間では77歳にあたると言って、淡々として悲しんでいるふうでもない。映画タイトルに主人公の名と並んでいる名であり、誰かと思っていたら猫だった。妻をなくして以来、伴侶であったはずだが、主人公はやってきた浜辺で、よく似た面影を残すペットを見つけ、新しい世界のはじまりを感じていた。旅路のはてに、犯罪都市ニューヨークにはない安らぎの予感を見つけたようだった。
死んだ妻をときおり懐かしむことはあるが、自然体で淡々と生きる主人公の姿がいい。老い込む年齢ではなく、子どもに頼らず、まだ余力はあるようで、高校生相手にフリースクールも開いている。ニューヨークのアパートから追い出されることで、さまざまな体験をすることになった。家出娘の好奇心のおかげで、かつて憧れた女性に会うこともできた。生涯で初めて刑務所にも入れられ、奇妙なインディアンから持病の治療も受けた。
人間は土地を移動することで進化してきた。その意味では、土地に根づく習性をもつ猫にとっては、気の毒だったかもしれない。それでもニューヨークに残ってドラ猫となるよりは、生きがいを感じるものだっただろう。だから捨てるのでなく、足手まといになりながらも、連れて行くという選択になったはずだ。