美術時評 2019年1月
journey to the past by Masaaki Kambara
journey to the past by Masaaki Kambara
2018年12月8日(土)~2019年2月24日
2019/1/27
写真について考えさせられる刺激的な展覧会だった。巨視的にとらえられた自然を細部にこだわりながら、微視的に見直してみると、とんでもないものが見えてくる。それが可能になるには全ての面にフォーカスが当たっていなければならない。映像の世界ではパンフォーカスはもうすでに発明ずみだから、今度はそれを使って何を写し出すかということになる。
これは一種の「洛中洛外図」であって、動かない建築群と通りを行き交う通行人とでできている。微動だにしない大自然を前にして、目を凝らしてみるとあちこちで生命の営みがなされている。これらを両方同時にとらえるためには望遠鏡と顕微鏡を両手にもっていないといけない。難しいように思うが、人間に両手と両目があるということは、それが可能だということでもある。
よく見るためには目を近づければよいが、目を遠ざけてレンズを使うという方法もあることを、写真術は発見した。この進化は槍が矢に進化した人類の知恵に対応している。敵を倒すのに、突くだけではなく引くことを知ったのである。飛び道具の発明が世界観を一変させていく。こうして望遠鏡と顕微鏡はひとつのものになる。
月の表面をどれだけ高画質でとらえられるかは、今後の時間の問題だろう。静の中に動が見つかれば、生命の発見ということだ。この実現には、とんでもない高画質が要求されるが、不可能ではない。月の表面に生命体がないのは、写真技術が追いついていないというだけの話なのかもしれない。工学的進化は、大海原を前にした岩間から顔を見え隠れさせるカニを見つけ出すことができればと、技術開発を続ける。
地球の肌からスタートした松江泰治は、この人類の願望を先取りしてみせたようだ。以前私がこの写真家に釘付けになったのは、今回も展示されていたが、巨大客船が岩壁を背に停泊する一枚(1)だった。何という雄大な光景だろうというのが第一印象だ。むき出しの岩肌のディテールが、何百と並ぶ船室の窓とハーモニーをなして、人と自然の調和のように感じ取れた。
今回の展示では巨視的に写された都市と荒野が、交互に並べられた。それは文明がやがて廃墟となり砂漠化するというメッセージにも聞こえるが、むしろ両者は大差ないという相対主義が下敷きにあると見るのが、正しい解釈だろう。
面白いことには、巨大なのにミニチュアの模型のように見える一瞬がある。高層ビルの乱立を写した一枚(2)にも、そのことは言える。地球の地肌を写し出した自然も、フレームに収まっているのが10キロなのか、10センチなのかは、区別がつかない。写真は距離感をなくし、サイズをご和算にしてしまう装置だ。遠いものが目の前にある世界は、ズームの入れ外しがアクセルのように加速して、快適な体感となる。
遠近が不在のまま窓が無数に並ぶ光景は、繰り返し登場する。巨大なマンションのベランダを写した新作(3)は、絵巻物を見るように横長の構図をもっている。それぞれの窓には生活がある。アリの巣といってよいもので、昼間は働きアリは不在でひっそりとしている。目を凝らしているとアリのような人物に出くわすことがある。アンドレアス・グルスキーよりはリアリティがある。窓にアトランダムに灯りがともる夜の光景も写真になるだろうと思った。そしてその外観が船に似ていることに気付くと、豪華客船の窓だけでなく、松江の最初の写真集である長崎の軍艦島(4)とも重なって見えてくる。やがては廃墟となるという暗示のようにも読める。
この写真家の出発点は、影のないフラットな写真を撮ることだった。そのためには太陽を背にして写すという写真術の原則を遵守した。このことから見えてくる真実がある。自然も都市も太陽に顔を向けて開かれている。写真家が太陽を味方につけると、自分が太陽の位置にいて、すべてはこちらに目を向け出してくる。都市と荒野が交感しあう奇妙な光景が演出されるのも、この一瞬だ。家並みを無数の屋根が形作る光景として写し出した都市のシリーズがある。地名事典という名にふさわしいものだ。
ヒッチコックの「裏窓」が面白いのは、窓越しに他人の生活がのぞき込めるからだ。窓はすべてこちらを向いている。そして人は太陽に向かっては簡単に身を開く。世界各地の地名は違えども、開かれた窓はすべて写真家のカメラに向かって笑顔を振りまいているように見える。都会のビル群が、ピースのポーズをする集合写真のように見えてくる。別の写真では都会とは対極にある貧しい住宅群なのに、屋根に設置されたパラボラアンテナが、みんなカメラの方を向いていた。
さらに新しい主題として登場したのが、「墓」(5)だった。墓地はミニチュアの街を形成し、写真上は都市か墓かは区別がつかない。十字架が並ぶ墓地では、それぞれの墓がカメラの方を向いて祈りを捧げている。この時、十字架は首をもたげたヒマワリに見えてくる。いつかこの写真家がヒマワリの群生を写し出すことは予測される。
ウォーリーの発見は、動画を導入することで新たな展開を示して見せた。一群のライトボックスは写真をのぞきこむ装置だが、しばらく見ていると動いていることに気づく。海上に停泊するボートは、かすかな波に揺られている。大平原にいるアルパカ(6)は、集団移動するのだが、つながれたボートと同じく、独特のとぼけた動きなので、いつまでも飽きないで目で追ってしまう。それぞれは上空から写された航空写真で、思わぬところに一軒家があるという馴染みの番組と連動するものだろう。
そして次には発見物を切り取って四角いフレームに収めるシリーズ(7)が開始する。そこにはイームズの映像作品パワーズ・オブ・テンで芝生に寝そべる人物も登場する。隠し撮りされた人物は、ともにぼやけていて、設置カメラにたまたま写った手配犯と同じく、臨場感を増している。リアリティは高画質にたどり着かないボカシのうちにあるようだ。それは侵犯されたプライベートを告発するメッセージへの対抗手段とも受け止められる。防犯カメラにはぼんやりとしか写らないほうがよいというヒューマニズムは、確かにある。それはどんな凶悪犯と言えども、死刑はダメだという主張と歩みをともにするものだろう。
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2019年1月3日(木)~3月24日(日)
ひろしま美術館
2019/1/27
すべてが均一化して一続きの全体を構成しているという印象だ。つまりは秀作と駄作の区別がないということで、どこを切り取っても金太郎飴だというのに似ている。バルビゾン派の展覧会には欠かせない画家だが、ドービニーがまとまって見られる機会は、そんなに多くはない。似たような風景ばかりだという印象は、当時多くのニーズがあったことを意味する褒め言葉でもある。
日本流に言えば、江戸末の画家にあたる。北斎と世界観を共有するといってもよい。江戸に住み着きながらも、都会の喧騒を避けて江戸から見える富士の峰に目を向けたという点では、北斎はバルビゾン派と視点を共有している。サロンをめざすが、伝統的な歴史画の体質ではなく、匿名の水辺の風景や田園に自然と目が向いていく。一般大衆もそれを好み、手にしたということだ。
くつろいだ木立の間から遠くに教会の塔が見える風景画を繰り返し描いている。一日の時間帯の違いを描き分けているようにも見えるが、人気の出た図柄の需要に応えた結果なのだろう。後の印象派との違いがあるとすれば、背景の扱いにあるだろうか。印象派ではしばしば背景に工場の煙が描かれたりするが、ここでは中世の安定した世界が、教会の塔に象徴されて描きこまれている。まだ宗教的世界への信頼が残されていたと取れば、同じバルビゾン派のミレーの世界観とも同調する。そこで田園風景を支えているのは遠くから鳴り響いてくるアンジェラスの鐘の音だった。背景はやがてはそこに回帰する故郷として存在している。
二、三十年のちに、背景の教会が工場の煙突に姿を変えるというのは興味深い現象だ。そこでは背景は遥かかなたの理想郷ではなくて、近代を築き上げた産業革命である。そこには近代化を嫌って逃れてきた逃亡者の姿があった。急速な変貌が起こっていたことは確かだ。ゴッホがミレーやドービニーを愛した理由も、この急変にあったのだろう。その意味ではゴッホは遅れてきたバルビゾン派ということになる。
ゴッホの逃亡は南仏からさらには日本をめざして破綻をきたすが、ドービニーの無意識は強烈な光や原色を求めることもなく、パリのもつ伝統と保守に浸かりながら、市民の嗜好に同調するゆるやかな大衆性に支えられていた。アトリエ船を所有するオーナーとしての手腕は、絵画が稼ぎあげた成果でもあった。それからは画家は水辺を行き来する船員となる。アトリエ船での制作は、波風の立たないゆるやかな逃亡だったようだ。ゴッホのようなカラスの低空飛行もなく、心地よい爽やかな川風が吹いている。
2019年1月12日(土)~2月24日(日)
碧南市藤井達吉現代美術館
2019/1/26
木彫作家として知られるが、パリに行きブールデルに学んでいる 。西洋彫刻を受け入れたという点では、リアリズムの系譜に彫塑の特性を見出してもいたということだ。それが木彫の超絶技法と共鳴したとするなら、高村光太郎の歩みにも同調している。光太郎のナマズやザクロを見ながら、木彫のもつリアリティのありかは、木の生命感にあると実感したことがあった。ここでも同じことは言えそうだ。タケノコやネズミやトカゲは、今にも動きそうだし、竹の節や年輪を生かしての造形は、木のもつ有機的リズムに波長を合わせている。
竹の子をそのまま引き抜いて持ってきたら、究極の木彫作品ということにもなる。利休の竹筒などは、この意味での超絶技巧を地で行っているということだ。この桃山の天才は木彫のリアリティによく気づいていた。それは利休切腹の原因にもなったものだ。大徳寺三門上に置かれた利休の木像は、草履を履いたリアリティあふれるものだったはずだ。佐藤玄々が間違いをおかしたとすれば、タケノコを竹で制作しなかったことだろう。
明治の超絶技巧の展覧会で、竹にへばりついたトカゲを見てから気になっていた彫刻家だが、代表作はトカゲやタケノコではない。東京日本橋の百貨店を飾る壮大な天女や、古代エジプト風の猫や狛犬だろうが、現代の目は何気ない職人の余技に傾いている。高村光太郎の場合に、十和田湖の裸婦像よりも木彫の鯰や桃の方に目が向くのと同じだ。もちろん好ましいことではないが、今はそんな時代だ。持ち歌よりも他人の歌をその人以上の歌唱力で歌い上げるカバーの時代に対応する。自分の歌さえ満足に歌えないのにと身を引いた、山口百恵の時代は終わっているということだろう。超絶技巧の礼賛もやがては終わるはずだ。
2018年12月15日(土)~ 2019年1月27日(日)
名古屋市博物館
2019/1/26
半身像から発せられる達磨の目ぢからに圧倒され、釘づけになる。それはダルマには目がなく、最後に点じるものだという思い込みからだろうか。一方で仙人が千人も集まったのではないかという群像があり、人間のコミュニケーションを伝えるものとしても興味深い。孤高の存在たる仙人がひしめき合うというのも奇妙だが、ユーモラスなざわめきは心地よい。西王母は好みの人格なのか、独立して繰り返し登場する。仙人は無数にいるようで、それぞれに名前をもっているが、群像となると不明なものも多い。制作を依頼したパトロンと作家本人だけが分かっていて、秘密の共有を楽しんでいたとも言われる。
生涯の間に何度も描き続けた釈迦涅槃図も同じで、死せる仏陀を取り囲む群像表現が際立っている。そこでは釈迦の弟子だけでなく、ゾウやニワトリを含む動物も動員されている。仙人と違うのは雑談を楽しむのではなく、悲しみに打ちひしがれているという点だ。
そして群像のきわめ付けは知恩院に所蔵される「百盲図巻」、百人の盲人を描いた図巻である。行列をなして、盲人が集団で移動している。最後は橋から次々と転落していくが、盲人が盲人を導くブリューゲルの絵と比較したい気になってくる。杖を頼りに手探りで歩く姿は、笑えない滑稽さを秘めていて、そのことを予想してか、その制作意図と弁明を巻の最期の文章に書き入れている。
画家の観察眼は、写実に徹すれば徹するほど、世の偏見を代弁してしまうということだろう。ブリューゲルの盲人はそれぞれが眼病の名称を言い当てることができるほど、正確に描き分けているのだという人もいる。月僊の盲人群像の描写も見事で、嘲りも憐れみも離れて、まるごと目に映る生命感を伝えている。
これを見ながら、盲人にまつわるさまざまな伝説と記憶が思い起こされる。盲目の学者塙保己一であったか、弟子たちに向けて、書の指南の最中に灯火が消え、弟子のざわめきを聞く。そして一言、目あきも不自由なものよのうと言ったという話だ。小学生の頃、国語の教科書に載っていたと記憶しているが、今だに覚えている。映画「座頭市」の表情と行動様式にも、あんまという職域を越えて、さまざまな教訓が潜んでいる。ヘレンケラーの話もインパクトのある映像を通して記憶されている。しかしこれらが映画化されることはあっても、絵画化されるのは、珍しいように思う。最近の感動もピアニスト辻井伸行の映像によるドキュメンタリーだった。
達磨の眼力から説き起こし、盲人の群像劇へと向かう道のりは、画僧を脱して画人として、社会的意志の表明へと至る画家宣言でもある。
2018年11月21日~2019年2月17日
三木美術館(姫路)
2019/1/31
佐賀に住んでいた頃から中島宏はいいなと思っていた。姫路の私設美術館に追悼展として端正な青磁が並んだ。微妙な青の階調の差が表情を変えて、カラフルな色彩世界との対抗を主張する。比較を促すように、会場には隠崎隆一の備前焼が並んでいた。豪快な戦国武将を思わせる造形で、中島とのコントラストが興味深い。それは備前の土と肥前の空の対比でもある。備前焼の火襷を人体に彫り込まれた刺青か、焼けただれたケロイドに例えたことがあるが、人体のもがきうごめくさまが、土に仮託される。
一方で青磁の肌は人のしがらみを離れ、動揺を鎮め、目をかなたに向かわせる。それが空なのか海なのかもわからないまま、焦点の定まらない混沌のなかで、浮遊を強いられる。遠ざかる風景が、近づく風景と出会う地点で、壺や皿のかたちの秘密が明らかになっていく。まずは遠景として形態と色彩が目に飛び込んでくる。目が近づくと肌の凹凸と亀裂が見えだしてくる。
ひび割れた肌は干からびている。無数の亀裂が埋め込まれるが、このディテールに惹かれると、青磁の魅惑の落とし穴に落ち込んで、距離感をなくし、迷宮を漂う放浪者になってしまう。一見するとメロンの表面にも近いが、動脈のような表面をおおう命の胎動はない。目は均一に地肌をなぞり続けるしかない。
限りない無限の組み合わせは、偶然の産物だが、論理的帰結に根ざした、必然がなければ誕生はしない。強い力が加わっても、崩壊の一歩手前でとどまると、ヒビ割れはバリアのように本体を守りにかかる。しかしこれはヒビではなく、均一に張り巡らされたネットのようなものであって、貫入と名付けられる。氷が誕生するときのように、収縮音を響かせながら、重力の法則に従って、温湿度の微妙な変化に応じた結晶を生み出していく。
いつまでも見飽きない貫入を前にして、そのかたちが記憶にとどめている吉凶と出会うことになる。骨に入った甲骨文字は、占いの道具であったが、ここでも均一の風景の中に、特異な輝きを放つ奇跡の細部に出くわすことがある。この表面の景色は、入り組んだ路地を連ねた迷宮都市の風水を占うものであり、縦横に均一に広がることもあれば、放射状に拡散する場合もある。
唯一無二の亀裂のさまは、自然発生的に生まれてきた都市地図として、全体を構成する無数の細胞にみなされる。バランスを失うと異変を起こし、内部崩壊してしまうだろう。外からの制圧が無力なのは、作家が構築した内部の充実に起因する。外部は目で作られるが、内部は手でつくられる。真っ暗な空間を手探りで築き上げた充足は、都市を支える地下構造のように、見えない快楽を増幅させる。
閉じられた壺の内的空間が所有できるのは、コレクターの醍醐味であって、この一点のために陶芸にこだわる収集家の数は尽きない。神秘の闇をのぞきこむ陶芸家の所作を追体験しながら、所有は創作との一体化を祈る。今回の展示は追悼展であることから言えば、亡き陶芸家の分骨の儀式でもあって、開示することなしには済まされない法要の公開であったはずだ。私もまたそれに立ち会うことができたということになる。大規模な回顧展は今後も予定されるが、今回の十数点の休息の中で、十分な邂逅を果たせたような気がしている。
2018年11月22日~2019年4月2日
2019/1/25
「漫符図譜」には、マンガの文法を確立させて、アカデミックな教育現場に応用させていきたいという意欲が伝わってくる。「漫符」という音符のような記号を、これまでの作例に探り、その意味を分析している。マンガ文化は無数とも言える出版物によって支えられている。マンガミュージアムは、その京都での拠点だ。今回、それぞれの漫符に具体的な作例が2冊だけピックアップされ、付箋が付されていたのは、マンガ研究の具体的成果と見てよいだろう。
膨大なマンガをデータとしてマンガ史とマンガ理論が構築される。大学でマンガを担当する教員としての必然も伝わってくる。こうの史代さんが具体例をあげながら、4コママンガに落とし込む。ウサギとカエルが相撲を取る鳥獣戯画を下敷きにしながら、漫符を入れていく。もちろん平安期の絵巻にはそんな記号はない。
記号がなくても読み取れるというのが、絵画の基本形だが、セリフの吹き流しの延長上で、顔の周辺に強調マークが施される。小さいコマなので、表情を読み取らせる力技を捨てて、オノマトペに頼る。眠っている時は「ズ、ズ、ズ」と書く。海外版では「zu, zu, zu」となっている。句読点や感嘆符、疑問符が、セリフと同居する。それらには共有する約束ごとが、マンガ史の年輪の中で確立され、マンガを見る(読む)ときの文法に進化しているということだ。
絵と言葉の中間に漫符は位置している。顔のまわりに逆さにされた水滴💧が3滴ほど取り巻く。星印★もある。よくあるパターンの漫符だが、汗が噴き出しているわけではなく、焦っているという読み替えだ。これを通して汗と焦るが、共犯関係にあることもよくわかる。焦っている表情を描ける筆力も重要だが、マンガは無表情に落書きを添えることで、これを実現しようとする。
簡単に言えば頰にペケをつけてヤクザに見せるというイタズラである。この漫符は、バツとも言うが、そこで罰との対応が読み取れる。×にもいろいろの書体があり、それぞれで意味を描き分けることができる。明朝体やゴシック体という書体のニュアンスでもあり、これらを名づけ整理しようという試みということだ。
モナリザに髭をつけたマルセルデュシャンを持ち出せば、現代美術のアヴァンギャルドにも対応する。髭もまたカイゼル髭からチョビ髭までさまざまにあるが、意味を異にしている。そしてこの漫符は、マンガのルーツでもあり、髭をつけることで途端にマンガの世界に入り込んでいく。御茶ノ水博士を筆頭に、手塚マンガは髭の宝庫でもある。そしてマンガでの髭の使用法を通して、ヒゲはまた卑下とも連動しているように思えてくる。
展覧会名「ギガタウン・イン・テラタウン」では、ギガは戯画、テラは寺であることから寺町たる京都を暗示的に語るのだが、ダジャレは駄洒落と書くと格調を保つ。マンガか漫画かは、よく議論されるところだが、違いは確かにあるようだ。さらにはメガからはじまり、ギガからテラへと容量を増やしていくマンガの繁栄を支えるものが、バイトであるという暗喩も含まれているとすると、ますます面白くなっていく。これらの語には共通してバイトが隠れている。マンガ家という職業は、一人前になる一握りのヒーローが、無数のバイトによって支えられているという現実を語っている。しかし、これが売れっ子作家の傲慢だとすれば、この悲哀はスルーされていて、気づかれずに放置されたままになっているだろう。
2019年1月19日(土)〜2月3日(日)
2019/1/25
京都の若いアーティストの 選抜展である。40歳という年齢制限があり、年長者が毎年、一人づつ消えてゆくという仕組みだ。岡山で言えば、I 氏賞にあたるものだろう。絵画、彫刻、工芸、映像が主な領域だが、分かりやすいものから首をひねるものまで、バランスよく選ばれている。地域の違いを超えて、はじめての仕事に出会うのは楽しい。受賞作はクオリティが高く、造形上の課題も豊かだが、個人的な嗜好は必ずある。
最初に目に付いたのが岸雪絵「chair」で、全く同じ椅子を描いた絵が2点並べられている(1)。思わず間違い探しをしながら見比べることになるが、椅子は壁紙の模様と一体化しながら身を隠しにかかる。遠近法に慣れると空間に浮かんで見えてしまう。それが解消されると壁面に無限に広がるタイル張りのツーピースとしてサンプリングされ、同一の椅子が繰り返すヒューマニズムへと移行する。今回は2点が左右に並ぶが、3点だと意味が異なってくる。椅子の数の増加はさまざまな意味を内包する。王の玉座が夫妻像となり、家族の肖像にもつながっていく。人物不在の光景が意味するものも多様だが、常にそれを見つめる私たち鑑賞者がいるという限りでは人間不在ではない。
八木佑介「2018/11/30 2:43」が面白い(2)。真夜中の車道が描かれている。タイトルからすると日付だが、絵画だと2時43分という指定が興味深い。写真を撮ってそれをアトリエで再現したということになるのだろう。丹念にディテールを重ねて仕上げられた工芸品のようだ。夜の光の処理が見事で、貝殻を埋め込んだ螺鈿のようにあちこちでチカチカと輝きを放っている。どれだけ時間がかかったのかと考えると、一瞬のシャッターチャンスとの対比が意味を持ってくる。複雑に交差する事故の起こりそうな交差点が、不気味なオレンジライトに浮かび上がる。人為的に引かれた誘導線が、交通整理をしようとしている。昼間出くわすと車が見事に事故を回避しながら往来しているはずだ。このアスファルトの工芸が面白いと思うと、それを描くために、真夜中まで待たないといけない、そんな絵である。
柞磨祥子「流れ」がいい(3)。現代工芸というくくりで読めば、いかにも京都ならではの安定感がある。黒光りのする伝統に金がかぶさって、桃山の精神を引きずっている。どんよりと流れる甘酸っぱい味は、味覚に支えられていて、視覚を誘導する。自然が生み出した濃厚な樹液は、何千年とかけて熟成してきたもので、その一瞬を写真の一コマのように定着させて見せる。写真だと誰も振り向かないが、宙に浮く定着がますます黒漆のもつ素材の特性を際立たせる。もちろん中央に置かれたオブジェも雅びで、漆黒と黄金という組み合わせには、金地の上に墨を乗せた宗達の感性を思わせるものだ。しかし鑑賞者の目が向くのは流れようとする液体の方で、液体なのに固体にだというトリッキーな奇跡に美術の醍醐味を味わおうとする。もちろん美術品には手を触れてはならないというルールに従っての遊戯には過ぎないのだが。
受賞作の中では、確かに笹岡由梨子「ジャイロ」が輝きを放っていた(上図)。アニメや映像にするのが、もったいないというのが第一印象だ。海坊主のような鼻がある。人差し指のロウソクが灯っている。腕を切り取った鳥居がある。枯れ木は指でできている。指の海草もあれば、耳の花も咲いている。どの一部分を切り取っても絵になるはずで、それを時間を積み重ねてアニメーションという伝統の映像に落とし込んだということだろう。インスタレーション的要素も加味してゲーム化するが、濃密な絵画世界だけで十分満腹してしまう。画面は拡散しながら集約している。均一に広がるパンフォーカスは、視点を絶えず移動させながら、ぼんやりと全体を眺めている。混成大合唱団のようだが、一つのメロディを奏でているわけではない。その混沌とデモクラシーは、動物園や水族館を訪れた時に感じ取った戦後民主主義教育に支えられていて、うれしくなってくる。主人公不在の拡散は、目を閉じて亡霊となった顔の内面を映し出している。身体の断片が全体をなす。ひとつの水槽に漂い同居する住人と見れば、その安定はジャイロというタイトルにふさわしいものに見えてくる。脳裏に焼き付くイメージの錯乱だった。
こうした新鋭の競演を尻目に、特別出品の藤浩志のワンダーランド「ジュラ紀から受け継ぐ」が、他を圧倒する(4)。子どもたちが大よろこびをする恐竜の饗宴は、これ以上マニアックなものはないというオモチャのカタログでもある。生命の造形は、経験を重ねた彫刻家のものだが、無数とも言えるプラスティックのキャラクターの集合は、アートの域を完全に超えている。組み合わせを変えて、いかようにも恐竜を誕生させられるという、ジャンクアートでありながら、サイトスペシフィックに展開するインスタレーションを形成する。そんな現代アートの横文字を連ねたところで、しょせんは遊び心満載の、老若男女を超えて共有可能な基本的欲望に根ざしている。確実な造形的スキルを身につければ、ここまで可能だという技法論を歌い上げる。自然素材にこだわる現代美術から見れば保守的と眼に映るかもしれない。しかし自然素材が得てして伝統工芸に落ち着いてしまうことを思えば、この豊穣な原色に原始の自然が持つ息吹を感じ取ることになるだろう。そうした混沌の中から恐竜は立ち上がる。誰が生み出したのでもなく、みずから誕生したかのように、命を得た恐竜は、展示室を離れて、館内に歩みはじめていた。もちろん館外にも出没していて、この前に私がこのゴジラにでくわしてから、まだ一年もたっていないような気がする。
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2018.12.19 wed. - 02.24 sun.
京都国立近代美術館
2019/1/25
平成30年度 第5回コレクション展のうち、十数点だが長谷川潔のメゾチントをまとめて見ることができた。エッジの効いたプリミティブな花弁も登場するが、色をつけると北川民次の油彩画に似ている。多くは静物画を描き起こした版画のようで、特に素朴なおもちゃをモチーフにしたものがいい。
全体は独特の雰囲気と動きを内包した世界観を生み出すが、細部の静まり返った停滞には、石の肌のような永遠が息づいている。それは限りなく人間味を欠いた物質の自立を語るようだ。おもちゃや置物が起き出して、人間を突き放す。なかでもピンと張られた糸の上で回り続ける駒がいい。動いているのに留まり続ける姿は、哲学的思索へと誘ってくれる。鳥もまた生きてはいない。剥製でもなく、陶器でできたおもちゃのように、壊れ物としての悲哀を宿している。糸で吊るされるのもある(1)。空洞化した目はみんな丸く上を向いているが、不安定なまま不安な視線が宙に舞う(2)。
球体の神秘は光に正確に反応した長谷川の勝利だ。正多面体の登場は、版画家と言えども、画家の力量をも越えている。版画による肉付けはここでは闇に包まれるが、ハレーションを起こしたように白く照り返している。この階調に似ているのはスーラのデッサンかもしれず、闇を怖れるように黒炭に光が散りばめられる。黒いダイヤとも呼ばれる石炭のもつ黒光りの需要が、産業革命を象徴する。かつての墨画に戻れない近代の悲哀が、メゾチントという金属的な響きをもった技法に反映したのだろうか。マニエール・ノワールは、暗いのに暖かく柔らかい(3)。
2019年1月12日(土)~ 2月24日(日)
京都国立近代美術館
2019/1/25
グラフィックデザインということで、印刷物がたくさん並んでいるだけのものだろうという認識だったが、見ごたえのある展覧会になっていた。大部分は20世紀初頭、1900年代一桁に限られてはいるが、この時期のウィーンという都市が、いかに優れた文化の品質を保っていたががよくわかる。
日本ではクリムトの名が一人歩きする感が強いが、建築家も含めて、純粋な絵画ではなく、日常生活を彩る「装飾」に目が向かう。つまりファインアートではなく、デザインという名のもと、生活文化の日常をより魅惑的に飾るという時代精神だ。都市文化の成熟度は、インテリアに反映する。
アドルフロースの応接間がいい。「装飾は罪悪だ」という有名なこの建築家の反語に、ウィーンという都市の繁栄が立証される。生活の高揚はソファセットに集約している。これだけが今回の展示で写真撮影禁止になっていたが、そのこともあって目を凝らすと実にいい。都市生活者の小さな幸せが、小刻みな変化を見せるソファの並びに、ぴったりと収まっている。
椅子のデザインにウィーンという都会生活者の美学が写し出されている。バルセロナがガウディの範囲に留まるように、オットーワーグナーがウィーンを引き立たせる。熟しすぎた大人の感覚が、形を崩し装飾に走る。グラフィックのひとつずつがウィーンという都市を断片化していく。
展示のはじまりは蔵書票と絵葉書だったが、クリムトの10センチたらずの紙片が、額縁に入れられて、絵になっている。大げさで大層すぎる扱いだと、否定してはみたものの、これがなかなかいいのだ。額縁に入れることで、こんな断片にもウィーンが息づいていることがよくわかってくる。
それらは日本で言えば、さしずめ竹下夢二が開店した港屋の店先に並んだ肩の張らない小物類に当たるが、そこでは丸ごと東京という都市の飛躍的発展と、歩みをともにしている。東京がその後、震災や戦災を経験しながら文化の年輪を重ねてゆく中で、耽美と頽廃に根ざした爛熟を悪の華として積み重ねていくのも、ウィーンの跡追いのように見える。そこには暗黙のうちに、江戸250年の歴史を引きずっているのだとすれば、東京も捨てたものではないというのが、一見すると西洋追随のように見える夢二の物語る真実でもあるのだ。
明治以降の西洋化のレッテルをはずすと、こうしたウィーンに魅せられたコレクターの稀有な執着も、対等な比較を前提としたものに見えなくもない。今回の展示品は、あるアパレルメーカーの個人コレクションに由来するもので、中には夢二の装丁ではないかというような淡い日本の美意識に根ざす見返しも登場する。確かに西洋は世を挙げてジャポニスムの時代に入っていた。
出版文化の繁栄は「図案」という語に集約される。図案という日本語がぴったりとするような、みごとな対応関係が見えるということだ。風景も含めて、ここでは絵画はすべて図案化の産物であるようだ。カンディンスキーの抽象に行き着く前のステンドグラスのように見える風景画にも、このことは対応する。エッシャーを先取りしたように、図と地のトリッキーな繰り返しが、パターンとなった図案のシリーズもある。著者を見るとコルマン・モーザー、カラーリトグラフによる出版物の第3集にあたるものだ。
当時出版されたクリムトの画集もいい。愛知県美術館の購入したタブローもその一点に収録されている。正方形の冊子の体裁は、レコードジャケットのデザインのようで、大きさもそれに対応していて、不思議と金地を使ったカラー印刷の色は褪せてはいない。丁寧に作り込まれた装丁師の技は、江戸文化の職人が培った「いき」の構造と美学を共有するものでもある。川越で見た小村雪岱の江戸情緒を思い出す。
2019年1月4日~2月3日
2019/1/18
これまで夢二はずいぶん見てきたが、多くは岡山にあるものだった。今回は日光竹久夢二美術館のコレクションとのことで、はじめてのものも多く、新鮮な印象を受けた。肉筆画だけでなく木版画や写真が加わり、商業ベースに乗ったグラフィックデザイナーとしての側面に、現代も古びることのないファッショナブルな魅力が引き出されていた。
女性や子どもの美を追求するフェミニズムは、ナイーブで共感できるものだ。決して誇れる胸を張った生き方ではないにもかかわらず、応援したくなる矛盾した心情が芽生えてくる。女性の味方は、男性の敵のように映ることもあるが、意志半ばにして49歳で世を去る無念は、18歳で出会い25歳で去った愛人の面影とともに、絵画や写真や遺品の中に、脈々と息づいている。
ロダンとクローデルの関係を思わせる、不純な不道徳が許せるほどに美しくイメージとして定着している。繰り返される面影の量産は、似て非なるものをこれまで数多く見てきたが、それでももっと見てみたいという気になる。それが大衆文化の王道だろうと思う。
岡山だけでなく日光に分骨されたような墓参の感傷に浸ることのできたひとときだった。夢二はもういいだろうと思っていたが、関東大震災のデッサン集や中山晋平作曲全集の装丁など、新たな興味の対象を増やすことのできた展覧会だった。榛名山にも出かけてみたい気になっている。
2018年12月21日(金)~2019年2月3日(日)
笠岡市立竹喬美術館
2019/1/14
幸野楳嶺というほぼ完璧な指導者を前にして、弟子たちが育っていく。師は表に出ないで隠れているものだという典型を見た思いがした。信頼に足る技法が網羅されている。応挙の保津川を思わせる写実の妙もある。風景画の伝統的技巧の上に、浮世絵の美人が出現する。孟子の母と子の情景がいい。気品に満ちた母の顔と表情がいい。若き日の孟子との無言のやり取りは、絵画の醍醐味を教えてくれる。挫折して帰宅した息子を前に自身の機織りを叩き割るという壮絶な話である。無言のうちに交わされた対話は、何事も中途半端でやめてはならないという月並みな教訓を伝えるだけにはとどまらない。
幸野楳嶺は若くして没したが、その教えは四天王のひとり竹内栖鳳の歩みをたどるだけでも見事に結晶したことがよくわかる。都路華香の洒脱でコミカルな味わいも、楳嶺のうちにある。川合玉堂も楳嶺に学んだ一人だが、早すぎる師の没後に東京に居を移すことで、さらに飛躍することができた。
強烈な個性を前面に押し出して作風をなした画家ではない。しかし今回、十分に堪能するだけの楳嶺作品が集められている。敦賀市の博物館にまとまったコレクションがあるようで、もっと多様な側面を見てみたい気がしている。手抜きのない信頼に足るいい展覧会だった。
2019年1月2日~14日
岡山天満屋葦川会館
2019/1/14
また院展の季節がきた。見ないという選択肢もあるのだが、惰性のようになっていて、年賀状がわりに消息を知ろうとする。何人かの知り合いがいて、気になるというプライベートな鑑賞法は、不純ではあるが、絵のモチーフが日常生活の一コマであるなら、それはそれで変わりない無言の便りを喜ぶということになる。お正月の岡山天満屋というのは、狭いながらも家庭の平和を演出する小道具としては、欠かせないものになってしまったようだ。
高齢の画家がスタイルを変えると気にかかるが、元気な証拠は制作という年輪に仮託されている。 過去を脱却して変わらねばならないという使命感が、年輪を重ねることで、対極にある普遍性に甘んじる。
相対立する創作理念に翻弄されながらも、次回作という創作原理に基づいて、バラエティを広げていく。公募展に支えられた制作は、いわばサラリーマンの生活習慣に立脚した活動であって、本来ミューズが降り立ってくる芸術的感性とは対立するものだろう。農耕的リピートに委ねられての安全地帯の確保の上で、危機感を回避して、調和と安定をめざすことになる。
103回という積み上げは、103年という時代の推移に支えられていて、暗黙の束縛が快楽と化す。いつの間にか保守的スタンスで身構えることになる。脱皮という生物的原理も、野蛮なものとして退けられる。
そんな中で井手康人の「宿命」(文部科学大臣賞)が輝きを放っていた。昨年は真っ黒の画面でなかったかと思う。今回は真っ赤である。煩悩が炎に焼き尽くされようとしている。インドネシアの神々のようだが、どう見ても平安から鎌倉にかけての仏画だ。目を凝らすと無数の女神がうごめいている。しかしそれもまた煩悩であって、萌え尽くされようとしている。
凄まじい炎をいかに描くかは、木村武山以来の院展のメインストリームである。エキゾチシズムに支えられていたゴーギャンの感性が、自国に回帰する。その時、女神の顔立ちも変貌していくのではないかと思う。過去へ、さらには原始へという歩みが、大地に根ざし、イリュージョンが土と一体化する。人体を飲み尽くし、炎は光と一体化するのが、時の必然だろう。赤不動のように不動の名を返上し、それ自身がめらめらと音を立てて崩落するような予感が、「宿命」のもつ真意なのだろうか。鬼の出現を前にしたような、凄まじい心の動揺を見た気がした。
2018年11月16日(金)~2019年1月20日(日)
新見美術館
2019/1/10
新見の駅に降り立った時、ローカル線の終着駅独特の静けさに出会った。昼のひなかなのに人が誰も歩いていないという、悪くはない感覚である。何の前知識もない日本画家に出会う新鮮さは、自分の年齢を考えると、何をいまさらという気がするが、ポスターになった竹林の七賢の穏やかな表情に惹かれての訪問となった。
特殊ではない。ごく普通の人間が七人立っている。それぞれの距離感がいい。仙人を気取り、高齢を誇るわけでもない。日頃のたたずまいのままに立ち話が続いている。無理に仲間に加わるでもなく、必要不可欠の対話でもなく、かといって哲学を論じるふうでもない。自然のままに竹が生えるがままにそこに根を生やしている。
竹のある位置に人が立つ。緑がかった衣服の色調は青竹と同調している。人は死にやがては竹と化して生まれ変わるような印象と教訓を残す。竹林の七賢とは、竹の精が見せた幻影であったのだと気づかせてもくれるのだ。旅を愛し実景を前にした臨場感が風景を際立たせている。私もまたこの時、旅人だった。
2018/10/6-2019/1/14
高梁市成羽美術館
2019/1/10
笠間日動画廊のコレクションのようだが、岸田劉生の全容を理解するのに適切なバラエティにあふれていた。油彩画を扱う画商にとっては、日本画や墨絵は余剰のものかもしれないが、枠を外れた個の飛翔が、短命な生涯と呼応して、全速力で駆け抜けたという印象を与える。
麗子像のルーツを探るのに、ファンアイクやデューラーの油彩画にばかり目が向いていると、本質を見誤る。顔輝の寒山拾得を前にして、肉薄する生々しさは、油彩画以上の粘りを見せている。ニヒルな笑みは、底しれない人間の不可解を伝えていて、油彩画のようにクリアな透明感とは、対極にあるものだ。それが初期肉筆浮世絵に伝わり、デロリの美を確立する。
劉生の粘っこい感性の粘土のような味わいは、水をたっぷりと含みながらも、表面に亀裂を引き起こす。切り通しの風景のようなカラカラに乾いた乾燥の風土よりも、水彩画の筆の走りに、劉生は潤いを求めようとしたに違いない。麗子の表情が油彩と水彩で全く違うように見えるのは興味深い。
2019/1/2-1/20
2019/1/7
岡山で見た時とは、会場が違うので印象も異なる。入口から漆器が目立つのは、香川県ならではのお国自慢ということになるのだろう。派手ではないが、珠玉の名品が並んでいる。個々の作家をあげつらうほどの興味はないが、毎年見ていると確実に馴染んでいくものがある。しかしそれもこれまで見続けてきた岡山とは異なり、香川県となるとまた人脈が新たなものになっていく。
伝統工芸の顔は、人間国宝に集約されることになるが、この場合、会場のちがいによって表情を変える場合がある。もちろん工芸はれっきとしたモノそのもので、展示ケースのライトの具合で、左右されるべきではないはずだ。しかし微妙な温湿度の変化に反応して、表情を変化させるとしたら、新たな工芸の可能性につながるのかもしれない。
村上良子の紬織の作品「光」については、岡山展での感想で書いた。高松展では、白地の着物は無表情で凛々しく立っている。そこにはシワはない。岡山で見間違えたシワか、影か、絵柄かという選択はそこにはない。見事に展示されていて、それはそれで素晴らしいのだが、疑問はまだ残る。自分がガラス越しに見ているのは、図のない白地なのか。私の視力は年齢とともに衰える一方で、若い頃の感受性はもはやない。シミがぼんやりと見え出してきても、それが布地にあるのか、網膜にあるのかさえ、見極めることができない。
しかし作品名が解釈にあるヒントを与えてくれる。絵画の画題のようにとらえると、解釈を誤るだろう。絵画の場合「光」というタイトルがつくと、光を表現しているということになるが、ここでは糸を紡ぐことで光となったということだろう。絵画のようにモノを再現するのではなくて、モノそのものになるということだ。絵画の場合、光は現象であるが、工芸の場合、光は物質であるような気がしている。つまり糸は光を反射しているのではなくて、光を宿しているのだ。それ自体が発光体として機能し、つむぎあうことで光度を増していく。一列に並んだ着物の中で、採光だけではない、淡い光を放っていたように思う。竹取物語を彷彿とさせる一瞬だった。