美術時評 2018年12月
マイケル・ケンナ写真展 霧の抵抗中谷芙二子 駒井哲郎 めがねと旅する美術展 愉しきかな!人生 アルヴァ・アアルト チウ・ジージエ krank marcello アジアの木版画運動 吉岡徳仁 佐賀県学童美術展 クアトロ・ラガッツィ 起点としての80年代 浅野有紀×田邊茉子 第65回日本伝統工芸展 岡山展 第91回 兵庫県小・中・高校絵画展 横尾忠則 在庫一掃大放出展 グッドデザイン展 in KOBE 土方重巳の世界展
2018/12/1-2019/1/27
東京都写真美術館
2018/12/16
写真家の意図に添うように、自然の方が姿を変える。そんな印象を与える見事な調和だ。鑑賞者の立場からすると、よくぞこんな被写体を見つけたものだという驚きになる。人の営みは多くが自然との格闘であって、ハーモニーを奏でることは珍しい。それがこの写真家の手にかかると、自然を手なづけているとしか見えないような光景が写し出される。しばしばメインの主題はシルエットのままで、背景が明るく、くっきりとした輪郭を描くが、そこに断絶はない。溶けあって一体化するのではなく、互いに控えめに自己主張をしながらも、抑えて譲り合う。
不規則な杭の並びでさえも調和を保っている。それが自然なリズムとばかり、修正を加えないまま放置される。そしてその歪みを見逃さない目は天性のものだろうと思う。人の手が離れたあとの自然の風化が、ここでは心地よく目になじむのだ。音楽でいえば破綻をきたしたリズムの中で、不協和音ともいえる異物が混じる状態だろう。それが見事に写真という統一体を打ち立てる。ケンナの一貫したスタイルである(1)。
すべてを調和させてしまう稀有な能力からの脱皮を測って、ナチの収容所に向かう(2)。人のいない光景は、それまでのスタイルを踏襲するが、調和させて歴史に埋没させるわけにはいかない意志の表象は、随所に試みられている。左右対称の構図は、恐怖を演出する。まっすぐの線路が収容所の中にまで引き込まれる姿が、正面からとらえられている。ポーランドののどかな田舎風景に残る抑圧が伝わってくる。
モノクロへのこだわりは、写真のクリアな透明感へのこだわりに由来するのだろう。銅版画の伝統に支えられた原理だ。見えないほどの繊細な線が原版には敷かれているのだ。鳥だけが聞き取れる音をも取り入れるのが音響機器の開発だとすると、写真の生命は人の目には見えない線をも描き出すことだろう。
写真は唯一無二なものである。そのことはタイトルからもよくわかる。10本の木であったり、55羽の鳥であったりという命名が興味深い(3)。もちろん出来上がった写真を見て、数えたはずだが、はじめから55の鳥がいるかのような因果関係を解き起こすのだ。つまりフレームの中に、確固とした世界が誕生したということだ。10本以上続く柵の連なりにしても、この写真はこの名を得て命をつなぐ。親が子を名付けることや個々の茶碗に銘がついているのと似ている。
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2018年10月27日(土)〜2019年1月20日(日)
2018/12/16
霧のパフォーマンスを見るのは3度目である。正確に言えば4度目かもしれないが、1度目は記憶にはない。中谷芙二子の名は長らくヴィデオアーティストだと思っていたが、キャリアとしては映像作家であるよりも、彫刻家であったようだ。はじまりは大阪万博のペプシ館からだというから古い。入った記憶はあるが、霧に覚えはない。もし出会っていたとしても、霧が出てきたなという、単なる自然現象との遭遇だと思っただろう。
大学入学前のことだったが、万博粉砕を掲げた学生運動には関心があった。岡本太郎や丹下健三は、第一線のアーティストだったが、万博に加担した者は、その頃はみんな否定の対象だった。そのくせせっせと万博会場を訪れた。大阪に住んでいたので当然ではある。今から思うと横尾忠則やイサムノグチも参加していたのだから、しっかりと見ておくべきだった。そして中谷芙二子もまた活動を開始していた。
霧に目をつけたのと、それを彫刻だと言い張るのは、生い立ちに由来するかもしれない。父は中谷宇吉郎、高名な自然科学者である。氷の結晶の研究で知られる。出発点が水であるという点は共通するが、父は液体が固体になるのを面白がったのに対して、娘は液体が気体になる姿に目が向いた。霧に向かったのは、映像作家としての資質からだろうし、彫刻にこだわったのは父への対抗意識とオマージュからだろう。
80年代はヴィデオアートに明け暮れていたのだと思う。それはバブル期に結実するつかみどころのない不確定な幻影の時代だった。日本の繁栄は映像のように去っていった。残されたのは地球環境の悪化と、自然にかえれという叫びだった。そんな中、霧は幻影ではなく、確実に体感できる物質だった。水という四大元素に支えられた安定感が、造形表現の核になるもの父への抵抗は氷には向かわなかった。今回のタイトル「霧の抵抗」は、そんな意味も含まれているのだと私は解釈している。霧がイメージとして定着してきた場をたどってみよう。西洋ではロンドン、日本では摩周湖ということになるが、はじめからそれは観光の売りではなかった。ロンドンの霧は住民にとってはうっとおしい限りで、常に晴れることを願っていた。霧の波止場はフランスと日本で、ジャンギャバンと石原裕次郎が共有し、映像として定着した。
時折起こる自然現象であればこそ珍しく、その点では雪景色と類似する。真夏に雪景色を見たいという季節外れの感動は、人工的に雪を降らせるというプロジェクトを生むだろう。中谷の仕事はアートの視点を外せば、人工スキー場のようなものだ。真夏のスケートリンクであってもよい。自然現象を待たずして、霧を発生させるのだから、政府の管轄は文化庁ではなくて特許庁ということになるだろう。
今回は真冬のパフォーマンスだったが、最初の体験は「雨月物語」と題した横浜トリエンナーレの真夏のイヴェントだった。由緒ある日本庭園でなされた霧の噴射は、幽玄そのものだった。加えてひゃっとした肌に触れる感触は、目で見るものを超えて、そこに実在を体感できるものだった。夏の清涼感を味わうことで、最良の美術鑑賞になった。さらに言えば、これが真冬であったなら霧が生暖かくならないのかと思う。雨月物語と題する限り、生暖かい水蒸気を含んだ空気が、頬をなでると効果的なのは言うまでもない。たぶんそれは技術的にも可能だ。
プロジェクトの実現のために作家が行なう苦労は、さまざまな資料展示によって見えてくる。そこでは作家は思想家ではない。具体的な思いを実現する実務家であって、噴霧器を探し回り、風の動きを計算し、コストを調整しながら発注をかける。アーティストである前に霧のことを分析する科学者の目が要求される。大学の研究室を訪ね、知恵を借りる。こうした試行錯誤の末に、効率のよい噴霧器が実現する。今回の噴射でも舞台裏が紹介され、噴射穴の並んだ細いバルブを目にすることができた。
2018/10/13-12/16
2018/12/15
銅版画の醍醐味を知るにはよい機会となった。駒井哲郎の個展であるが、その影響源となった西洋版画や同時代の日本の版画家の仕事が網羅され、さらにはクレーやエルンストのタブローまで集められた、贅沢な展覧会になっている。クレーの影響は早くからみえており、ことに色彩に開花した晩年になってからは、クレー熱が再発したように見える。
版画ひとすじという方向性は、絵画を捨てることで、音楽や詩と結びつき、新たな展開を生むことになる。瀧口修造と実験工房のメンバーがこれに一役買ったようだ。絵画としてはマイナーな版画が出版文化を取り込むことで、地位を逆転させる。この場合、色彩は必須の条件だっただろう。雑誌「新潮」の表紙の仕事は、抑圧してきた色彩感覚を開放させることになったが、ルドンへのこだわりを考えると、後年のルドンが漆黒の闇から鮮やかなパステルカラーに転身した後追いのようにも見える。
色彩を排斥することで、前面に押し出されてきた闇への執着は、版画家にとってアイデンティティを築く条件だろう。闇から浮かび上がる微妙な階調は、銅版画の醍醐味であり、ことにレンブラントのエッチングの生命線だった。残念ながらそれを味わうことのできるステートはそんなに多くはない。今回展示されたレンブラントも闇はつぶされていて、奥行きが感じられないものだった。
黒へのこだわりの中、駒井が憧れた長谷川潔には、不思議と闇はない。開け放たれた窓だけを描いた銅版画が今回の展示では際立っていた。長谷川の住まうパリに押しかけた駒井は、そこで多くのことを学んだようだ。闇を突き抜けて光明へと至る版画を希求したのだと思う。
幻想へと至る自己形成は、シュルレアリスムと同調する同時代史を築くが、エピローグでたどり着いた具象による風景版画は、版画に魅せられた原点に戻るものだった。それは銅版画の特性を生かした細部の描きこみによって、かつて江戸の若者を虜にしたものだ。日本の銅版画史の出発点に戻ることで、流行に左右されない、しっかりとしたプレスの伝統を見つめ直そうとしたように私には見える。一ミリにも満たないプレスの跡形に、銅版画の快楽は宿っている。その刻印の確かな感触が、版画のオリジナリティを主張する。
しかし時間はあまり多くは残されていなかった。舌癌を患いながらも、病身を押してパリに長谷川を訪ねている。そこで交わされた会話が私には気になっている。ブレダンの彫り出した究極とも言える銅版画の細密描写と明暗のコントラストとは、対極にある長谷川潔を駒井の目を通して、私には偉大なものに見えてきている。これまで彫りの浅い薄っぺらな印象が強かったが、どうもそうではなさそうだということが、ようやくわかってきた。まとめて長谷川を見たい気になっている。
2018/11/23-2019/1/27
2018/12/15
知的好奇心が掻き立てられるいい展覧会だった。それだけでなく子どもにも優しい企画になっていて、多くの参加型作品が目につく。メガネがキーワードだとすると、絵画に関して思い当たるものは多い。最初の展示は米田知子だったが、私が企画してもこれを選ぶだろうと思った。文豪の書体の一節をメガネで拡大して見せた写真のシリーズである。クローズアップは絵画から映像に至る主要な機能であることが、繰り返して伝えられる。
眼鏡絵という西洋絵画の日本での展開を始まりとすると、くっきりとリアルに現実世界を写し出すフィルターという意味が絵画にかぶせられる。定着しないと絵画にはならないが、世界が違って見えるというのがまずは出発点となる。
レンズを通して世界は違って見える。入口付近に14世紀あたりからはじまるメガネのフレームが展示されるが、鼻メガネも含めておしゃれなものが目立っている。私はすぐにシャルダンの自画像を思い浮かべるのだが、メガネは18世紀流行りの装身具であったに違いない。モンドリアンのメガネとパイプを写した有名な写真もある。
画家を称して凸レンズのような目をもった人という言い方がある。ある部分をクローズアップしてみせる、特殊なフィルターを備えた目ということだ。あるいは世界をパノラマ的にとらえるなら、それもまたフィルターのなせる技で、画家はそうした掛け替え用のメガネを数多く、もったひとのことだ。
家住利男がここで選ばれているのは、世界を見るための装置を、見せようとしたからだと思う。レンズを研磨することからはじまったのは、世界をよりよく見たいがためだったが、やがて手段は目的となる。レンズそのものに取り憑かれたと言えばよいだろうか。レンズの延長上のフォルムがやがては、そびえ立つものへと進化する。
展覧会では立ち上がるものの功罪を語ろうとするのだが、富士山が盛んに登場するのは、ご当地企画としては仕方ないものの、あまり強調してほしくはない主題だ。中村宏や不染鉄の表現は、思想的傾向とは無縁だろうが、得てしてそびえ立つ富士に目が向いてしまう。双眼鏡をのぞくセイラー服の少女の目には、富士の頂の実態が見えてくる。近くで見ると、そんなに美しいものではないという道理が語られる。
メガネというキーワードが、どんどんと増殖を繰り返し、得体の知れないものに展開していったようにも見えるが、若いアーティストの仕事をしっかり見ていて組み込まれているのは、企画者の力量を感じさせるものだ。若い学芸員が育ってきているのがよくわかる企画だと思う。ここに北陸の学芸員が一枚加われば、鯖江のメガネフレームの地場産業を何とか組み込ませたに違いないし、目だけではなく川崎和男の身体論をも持ち込むこともできただろう。
メガネは視覚を離れて、のぞくという身体性を宿すことによって、目だけの産物ではなくて、身体の快楽に移行する。デュシャンの西洋版「のぞきからくり」や谷崎潤一郎の「鍵」と棟方志功による挿絵が登場するのも、示唆的なものだった。ロココの美意識は、多くがのぞき見趣味に支えられていて、プライベートルームが盛んに画題になるが、それは同時にレンズやメガネが大手を振って一人歩きする時代でもあった。日本にとってもそれは、オランダを通して入ってきた新しい世界の誕生だった。
眼鏡絵からはじまった視覚文化への旅の現代的動向は、若い世代に確実に受け継がれている。映像では吉岡菜央「ほったまるびより」が面白かった。作者名は忘れたが、銀河系を写し出した天体写真が、近づいて見ると、星のひとつずつが企業のロゴマークになっている作品には驚いた。さらには極めて詳細に描き込まれた架空の都市地図も、十分な夢想をさせるものであり、興味深かった。
図録は企画者の研究成果を示すすぐれたものだったが、一般客のために出品目録は用意してほしかった。名前を記憶できなかった作者が気になる。
2018年10月30日(火)~12月16日(日)
2018/12/14
夭折の画家を集めた展覧会は、何度か見たことがある。ここでは逆に長寿の画家たちが集められている。絵画が悲劇的なものと思われているのは、ゴッホや青木繁を思い浮かべてのことだろう。短く燃え尽きて、あとに作品だけが残される。モジリアーニを思い浮かべ、神話を作り上げられていく。これが近代絵画のトレンドだとすると、ここに登場する画家たちには魅力はないはずだ。しかしポストモダンが叫ばれて、近代的自我にそれほどの興味がもたれなくなると、熟成されたワインのような香りに目が向いていく。要らないものは全て取り除いたあとにエキスだけが残される。それは絵画として自立するものだ。
このところ長寿の画家が注目されている。堀文子がNHKで紹介されたり、熊谷守一が映画になったりするのは、絵画そのものよりも、長寿に興味がもたれてのことだ。絵を描いていると長生きできるのかと、錯覚してしまう。日本画などは絵具の成分や、制作姿勢を考えると、決して健康志向ではないはずだ。健全だとすれば、有害物質を前にしながらも、創作という志向と魂がめざす意欲によるからだろう。精神的高揚は、肉体や物質を離れて実現するのだ。
当然のように展示は、富岡鉄斎からはじまる。若い頃があったのかと思える仙人のような鉄人である。そして奥村土牛へと続く。名のごとく牛を好んで描いた日本画家である。その緩慢な動きはいかにも老人風であり、馬だとこうはいかない。馬を好んで描いたジェリコーが短命だったのとつい比較してしまう。一気に駆け抜ける馬のイメージは、老人とは結びつきにくい。
次に来るのは片岡球子、土牛とは院展つながりである。アクの強さは面構えのシリーズに反映するが、富士山もよく描く。長寿の画家が描く画題の定番である。この展覧会でも富士山は、不死を象徴するようにそびえ立つ。画家としては自画像であれとの意思表示に取れる。片岡球子が出て来るのなら、小倉遊亀もいないと片手落ちだ。こちらは105歳まで生きたので、片岡より少し長生きだ。たぶん日本美術院ばかりになってしまうことへの配慮だろう。それにしても院展は、長寿が目立つ。創設期の岡倉天心と菱田春草が、短命だったので、その意思を継いで長生きをしたというように見える。ことに横山大観はそういう人だった。
日本画や水墨画には老成のイメージはあるが、油彩画には脂ぎった青年の暴走がよく似合う。長命であっても若い頃に出来上がったスタイルの焼き直しである場合も多い。ムンクやユトリロを思い浮かべているのだが、そんなに長生きしてたのかと、長寿なのが不思議な感じがすることもある。まだ生きていたのかという印象は、スポーツ選手と共通するものだろうか。ポロックのように暴走して死んでしまうのが、洋画家にとって美しく見える。鉄斎とは対極にあるようだ。鉄斎は60代よりも70代や80代のものの方がいいとは、よく言われることだ。こうしたろうたけた結実を、油彩画でも実現したのはピカソだったかもしれない。もちろん若い頃に打ち立てた青の時代からキュビスムのピカソもあるが、老いてからの線描も捨てがたい。カメレオン的変身というが、前のスタイルを捨て去ることで、生きながらえるということか。
定年のない職業への憧れは、現代社会のユートピアとして神話化されていくはずで、画家はそこでは充分なプロトタイプになる素地を持っている。長寿ならもっと外せない画家はいるだろうと批判しながらも、今回はじめて出会った画家に感銘を受けた。多くの画家は見飽きた感があったが、筧忠治と大森運夫に注目した。筧は素描だけであるが、まさにすごいとしか言いようはない。鏡を見つめる自画像は、鏡が爆発するのではないかというほどのパワーを宿している。その眼力には運慶から円空に通じる木彫のもつ生命感を宿すものだ。経歴を見ると第一回円空賞受賞とある。確かにそのスピリットは受け継がれている。
大森運夫は手堅い日本画だが、短命で終わった中村正義のスピリットが受け継がれている。人形浄瑠璃の大作がいい。人形なのに意志をもってしっかりと自立している。人の手を借りず人形どおしが支え合っているようにも見える。
日本画と洋画に限定されたが、藤井達吉を掲げる碧南市の企画としてはふさわしいものだ。藤井も90歳を超えていれば、当然仲間入りをしただろう。同じ100歳でも鉄斎の頃と今ではずいぶんとちがう。岡山での企画なら真っ先に平櫛田中があがってくるだろう。ふたりいる現役のひとり野見山暁治の97歳の新作が並んだが、力強いタッチで、枯れてはいない。それぞれの作家は40代頃のものと晩年作が並べ比べられたが、その中でも野見山の抽象絵画は際立っていた。
2018年12月8日(土)~2019年2月3日(日)
名古屋市美術館
2018/12/14
展示室には深々とした光景が広がっていた。フィンランドの建築家らしく、北国の風土を、研ぎ澄まされた感覚で、静かに歌いあげている。白を基調にした清潔感は、雪の舞う風土に対応する。水平垂直をベースにしながらも、細部へのこだわりは板材を曲げるという技巧の中に集約する。木の文化に支えられたという点では日本とも共通する。木の肌の温もりが基調をなして、アアルト調というオリジナリティを生み出している。家具の延長上に建築がある。
サナトリウムはベッドから出発するし、図書館では書架が中心になる。会場内にシンプルな病室が再現されていたが、グリーンを基調にした清潔感が見えてくる。窓の外に広がる冬枯れた木立は白い風土に囲まれて、静かにたたずむ術を教えようとして、窓を配備する。自然が自然に形を見つけ出したように、強く自己主張するわけではなく、建物全体が風土になじんでいる。親和力という語も用いられる。
展覧会自体は図面が中心で、地味な印象が強いが、アアルトの魅力がフィンランドの自然と不可分の関係にあることはよくわかる。日本では人気のある国である。有名な椅子は座れるようになっていて、体感を通して固そうに見える木材が、微妙なカーブのおかげで、意外と身体にフィットすることを知る。長椅子に寝そべりたかったという不満が残ったのは、これらの椅子への愛着からだろう。
販売用も用意されていて、その商法には首を傾げるが、公立美術館では販売をしてはならないという古い頭は、変えねばならないのだと思う。ミュージアムショップが目的の観客も少なくない。そのうち並ぶ絵画にも値札がつけられ、売約済みのマークがつくことによって、古美術も現代によみがえってくるだろう。少なくともピカソ以降の現代絵画にはそんな工夫がある方がいいかもしれない。現代美術には誰もが数値化できる基準をほしがっている。
木材へのこだわりは、今では贅沢なものかもしれない。かつては最も手に入りやすい材料が、アートの素材だった。それが今では工芸と名を変えてしまったようで、用の美はもっぱらデザイナーの仕事になっている。アアルトもまた工業化される西欧世界で生き残るためにはデザイナーであろうとした。しかしその思考法は逆転しているようで、プラスチックの造形を木工で実現しているような、一徹な信条がある。職人の手技によって支えられてきた伝統工芸の自負を、フィンランドという土地にとどまることで、確認できたのだと思う。
2018年9月8日(土) - 2019年3月3日(日)
2018/12/8
中国書画の芸術論が下敷きにされていると思うと、現代アートに関しては進んでいると自負する欧米や日本の立場がゆらいでいく。中国五千年の伝統を考えると、現代アートの思いつきの発想などでは、対抗できないような大物がいたことは予想できる。現在の人口を比較しただけでも、逸材の出現は目に見えている。
禅宗ひとつ取っても、奇人変人なのに、デュシャン級のアーティストも実在しただろう。何も作らないのに創作の域を越えたクリエイター、あるいはパフォーマーの存在を私は想定している。チウ・ジージエには、その系譜をたどれるようなスケールの大きさを感じたが、墨絵を基本にした習熟は安定感がある。明時代の小図巻を拡大した模写ひとつとっても、墨のぼかしやかすれは、原作を越えた感があるし、同時に原作の細密描写にも中国文明の恐るべき成果を認めることになる。
先日東京国立博物館の「斉白石展」で、現代中国の水墨画家の筆さばきに驚嘆した。まったく知らない画家だったが、そこでは墨画というぼかしを基調とした筆法に、細密画を越えた写実主義を目にした。現代アートではなかったが、新旧の区別など問題にならないような、芸術に通底する原理に従っていた。
現代アートが西洋の行き詰まりのはてに、東洋思想と出会うことで活路を見出したとするなら、西洋を学ぶことなく、自然体の思考の中に、原初の真理が潜んでいる。「ひとつのリンゴに何本の木があるか数えよ」という禅問答のような絵が描かれる。見ると一本の木に無数のリンゴが実を付けている。そこではたと考えることになる。リンゴと木を入れ替えると意味は通じる。この原理は「平和な世界」と「世界の平和」との関係のようなもので、入れ替えることによって、思考の実験は進化する。そして平和な世界は絵にすることができるが、世界の平和は絵にはならないことに気づく。
このような絵画の原理を問いかける思考は、書かれた書をなぞりながら消していくというアクションペインティングによっても試されている。これは塗ることと消すこととの関係を問うものだが、塗り重ねることは消すことでもあるという負の絵画の実現をめざしている。消しゴムは、時に絵筆の代わりにもなる。
2018年11月23日-2019年1月14日
三菱地所アルティアム
2018/12/8
影を頼りにしながら、不思議な世界に誘い込む。一頭の動物がふたつの光源によってペアに変貌する。ちょっとしたアイデアなのに、肩を張らずに何気なくて心地よい。白熱灯の柔らかい光が宗教性をも醸し出す。原理としては影絵なのだが、マジックランタンの名がふさわしい。影絵のほうが主役となり、本体は影を生み出すための装置と化している。
虹にさわれないことを知るというのが、この展覧会の原点であるが、それは月に吠える犬に出会った詩人の驚きから発しているような気がする。水面に映る月を取ろうとして溺れたと言ってもいいし、自身の姿に見とれての溺死であってもいい。つまりは虚実の薄い皮膜上に起こった出来事、夢とうつつの交感にゆだねられる。夢から覚める一瞬の心地よさを求めて、すべての造形がそこに集約されていくようにみえる。アリスの部屋に抜けていく演出も、手狭な会場をうまく生かしたもので、このイントロダクションに引きずられながら、一挙に幻想世界へと引き込んでいく空間構成はみごとに成功していたと思う。
2018年11月23日(金)~2019年1月20日(日)
2018/12/8
アジアの木版画運動は魯迅を起点とし、ケーテコルヴィッツの紹介からはじまる。力強い黒のプレスは、このメディアを労働運動の主流に押し上げる。表現主義の自覚は、粗削りなノミのあとに集約する。木版画が闘争にふさわしいのは、ノミの一振りごとのリズムが、軟弱な身体に食い込むからだろうか。
日本の伝統に従えば、浮世絵が引き合いに出されてもよさそうだが、木版画の技法上の成果については何の言及もない。高度に技巧化された江戸の退廃は、目を向けるに値しないとみたのだろうか。同時代を駆け抜けた棟方志功についても無視されている。日本が想定した江戸の大衆性は、別世界の事象として社会主義の目を通しては、評価の対象にはならなかったのかもしれない。
2018年11月28日(水)~ 2019年2月11日(月)
2018/12/8
大掛かりなガラスの造形で話題のデザイナーなので、期待をしてきた。これまではさまざまな大手の企業と組んで、空間を演出してきた。公立の美術館がスポンサーとしてどれたけ企業と対抗できるかに関心があった。入り口の展示室にはガラスの長いすだけが、ぽつんと置かれている。メインの展示室には、光の茶室だけがぽつんと置かれている。最後の展示室には、結晶を埋め込んだガラス作品が2点と、これまでの仕事を紹介したビデオ映像だった。
映像で見ごたえがあるのは、それぞれがガラスの単体として見せているのではなく、それを取り巻く環境がまるごと取り込まれているからだ。その意味ではガラスの茶室は、文字通りの抜け殻にすぎないし、まわりは柵が巡らされ、身体感覚を伴うことはない。ビデオ映像と大差ないともいえる。
唯一の体感は茶室を取り巻くガラスのベンチに腰を下ろせたことか。茶室であるからには、中に入れないと意味はない。ガラスだから外からも丸見えなので、入る必要はないともいえるが、映像では茶室内で広げた手のひらに、虹になった光の粒がふりそそぐようすが写し出されていた。それはガラスを透過する光の効果であり、体感することのできるものだ。現象である光がモノとなる一瞬だ。
ステンドグラスが日本美と邂逅したとするならば、欧米人を喜ばせたにちがいない。茶の文化をこよなく愛する西洋が、素材としてのガラスを取り入れて、陰翳礼讃にぶつけてみせたのだから、東洋的神秘を凌駕する光の神学に確信を得たということにもなる。
茶室が魅力ある空間芸術であることは誰もがわかっている。しかし一点でこの展示空間を完結するには、力量がいる。ガラスの冷え冷えとした冷たさがそれに横槍を入れる。たとえ国宝といえどもたった一点で、場を満たすことのできるものが、どれほどあるだろうかと考える。茶碗の内部空間が、茶室の外部空間と呼応する。今回は美術館がそれを覆う鞘堂になる。
究極の展示学を思い浮かべながら、これまで茶の美術はそれを探求してきたのだと思う。そして果てには何もない空間を虚として実現しようとした。佐川美術館でもそんな試みに出くわしたことがあるが、暗闇の中でスポットライトで演出しても、まやかしにしか過ぎないだろう。
つまりその前で立ち止まり、立ち尽くし、時の流れを止めてしまうような作品に出会いたいと思う。もちろんそれは一瞬であってもよい。その一瞬に永遠を感じ取れる充実感があればと願うのだ。観客をとどめる方法はいくつかある。腰掛けを用意するというのもそのひとつだし、読みきれないほどの長い解説をつけるという手もある。
しかし、近づけないためのストッパーだけは余計だろう。見えないバリアをどう構築するかは美術館の課題だ。位相大地のうがたれた穴に人が落ち込まないために、柵をめぐらす以外に、考えをめぐらすこと。難問を前に余計な自問をしていた。
2018年10月17日(水)~12月20日(木)
2018/12/8
チラシに誘われて長崎からの帰りに足を伸ばした。細密描写を特徴とする女性作家四名の競演を期待したが、肩透かしを食った。確かに優れた才能が、佐賀に固まって登場したことは認められるが、作品が1点ずつしかなくて、評価のしようがない。名前はインプットされたのでこれからが楽しみだと言うに留める。10年後に同じ展覧会を各作家が20点づつ持ち寄ってクオリティの高いものが実現してほしいと、かつて勤めた佐賀大の旧職員の片割れとしては思った。
併設の「第59回 佐賀県学童美術展」は見ごたえがあった。ことに鉛筆画に興味を持って丹念に見た。興味はこの時期の子どもの世界の把握の仕方にある。鉛筆画はそれを生のかたちで伝えてくれるように思う。授業での課題という誘導があることは差し引きながらも、同じ主題を個々の個性がどう描き分けるかを比較できる点では興味深い。
小学校一年生では、画題に「ともだち」とあっても、美しく描こうという意識はない。しかしそこに愛情と愛着は感じる。恐怖を感じたり、関心のないものには向かわないはずで、鼻をむき出しにしたり、とぼけた顔をしたりはしているが、親しみを込めてしか、描こうとはしていないようだ。
二年生になると顔だけでなく、違和感なく手が添えられる。顔と手がバラバラに動いていたものが、一体感をもって動きはじめたという印象だ。三年生では手と顔が目立っていたという印象は遠のいて、身体全体のなかにうまく収まりをつけている。自然な描写に一歩近づくが、絵としての面白みは退行する。四年生では、顔は輪郭は残すものの、表情はなく、目鼻さえ描かないものも登場する。五年生では四肢の末節的な表現ではなく、ポーズ集とも取れる関節の動きに興味を移し、外見として見えるものから、解剖学的知識を伴った見えないものへと向かう絵画の高度化の過程が読み取れる。六年生ではねじれやひねりにより、壊されたバランスを面白がる目がうかがえるが、処理の仕方が未解決のままでいる。中学生になってからもこの動向は続くが、美術教育の側が、戸惑いをもっているようで、中途半端な印象の残るデッサンになっている。もちろん線描画を完成作へと至る下絵、あるいは観察メモとして位置づけるなら、それで問題はない。
小学校4-6年
中学校1-3年
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 世界文化遺産登録記念
2018年11月23日(金)~2019年1月27日(日)
2018/12/7
杉本博司の写真が拡張高い。クラシックでありながら前衛的であり、展覧会の通奏低音として、鳴り響いている。過去の記憶を呼び起こすイメージはぼんやりとしてモノクロ写真のなかに封印されている。固定されていて微動だにしない。シルバープリントの仕上がりは、以前松江で見た塩谷定好のノスタルジーを思わせるものだ。記憶をたどるようにぼんやりとした暗がりから立ち上がってくるリアリティがある。
ギベルティの天国の門は、念入りに写されている。アダムの誕生から始まって、各面はレリーフとは思えないほどにリアリティを実現している。こんなに目を凝らして見たことはなかった。カトリックの信仰の姿が浮かび上がってくる。それは16世紀後半に、日本から来た四人の若者が目にしたものでもあった。私が長崎まできた理由はこの展覧会のチラシに使われたパンテオンの空だった。もちろん写真家がとらえた現代の空だが、それは四百年前天正の少年たちが見た空でもあった。ぽっかりと穴があいた古代ローマの奇跡に驚異したに違いなく、彼らの豊かな感受性は、西洋文化の結晶を生まれて間もないマニエリスムとともに感じ取る絶好の時期に遭遇していた。その好機がまた彼らの悲劇にもつながるという点で、時代に翻弄された人生の悲哀を感じさせるものだ。
キリシタンの受難の時代は26聖人の殉教図に結晶されている。南蛮屏風の異国情緒のすぐあとにやってくる悲劇だ。若桑みどりさんの情念がクアトロ・ラガッツィを書かせたが、それを受けてこの展覧会が成立した。杉本博司の写真がそれに共鳴した。以前伊東マンショの肖像画を掲げた展覧会を神戸の市立博物館で見た。「遥かなるルネサンス」というのが展覧会名で、副題に「天正遺欧少年使節がたどったイタリア」とあった。この時思ったのが、彼らが見たであろう作品を集めた展覧会が可能だろうということだった。この時は短命に終わるブロンズィーノの悲しげな少女像が話題になったが、視点は歴史的実証よりも、マニエリスム期の作品紹介に終始していたように見える。
少年使節のルートをたどると、イタリアに到着する前に、ポルトガルからスペインを巡っている。イタリアでは歓待を受け、単なる旅行者では目にできない美術品に接している。北イタリアのヴィチェンツァでは、できて間もないオリンピコ劇場を訪れており、今回の杉本の写真にはその時の目の愉楽の一コマが再現されている。
写真は凍りついた記憶だが、手ざわりの確かさは、シルバープリントの秘密として、イメージをこえた物質感を備えている。モノとなったイメージというのが正直な印象だ。現代の写真が失ってしまった鉛色のどんよりとした重みを加えている。色を伴わないにもかかわらず、色彩をねじり込んだような、粘り気のある質感だ。すべては一定のリズムをもって、統一感のある同じことばを語っている。
かつて見た記憶のヴェールに覆われているという点で、それらは共通している。歓喜するには沈みすぎてはいるが、ときどきはさまれる海景が、効果的に希望と不安を映し出している。茫漠とした水平線は、どこの海かすらわからない。もちろんタイトルを読めば、一箇所に確定されるが、海に乗り出すものの不安をみごとに写し出してもいて、波は立たないが、海鳴りをなす通奏低音が響きわたってくるようだ。
2018年11月1日(木)~12月9日(日)
山口県立美術館
2018/12/7
ボストン美術館から来た二件の屏風の保存状態のよさに驚いた。隣にはかつては襖で、今は掛軸に移し替えられている山水図が並び、対比をなす。痛々しいほどに傷みは激しいが、桃山という時代の特性を考えると、こちらの方に臨場感が感じられる。戦乱の世を生き抜いた姿が、色彩を落とした、あるいは剥落したかつての栄光が、鈍い輝きを放ってくれる。
長谷川等伯や海北友松や岩佐又兵衛と同時代を生きて、桃山から江戸への移行期に特有の美意識が、際立っている。この時代、桃山の春が江戸幕府の統一に向かって収束していく。それは安定へと向かう一方で、若者の自由は失われていった。少し早ければ天下人にもなれるという夢が野望を伴い、うねりとなって息づいていた。遅れてきた青年と言った論者もいる。
かぶき者という無頼漢の誕生を抑制し、戦いを抑え込み、見かけ上の平和政策が打ち出される。絵画世界にもそれは反映する。雲谷等顔の山水図を見ていて気づくことがある。そこには桃山から江戸への推移が読み取れる。初期のものが、見晴らしの利くパノラマ風景であったのに対して、後期になると中央に大きな岩山が立ちはだかり、見通しが悪くなっていく。まるで江戸の閉塞感を象徴するかのようにである。
一方、禅思想を反映して、等顔は繰り返し達磨図を描いている。このモチーフそのものは手も足も出ないという意味をもつが、顔立ちが徐々に柔和になっていく。手も足も出ないと分かりながらも、睨みを利かせていた姿が、平和主義へと身を翻したと読むことが可能か。群馬図を見るとのどかな放牧の平和が語られている。軍馬ではない。鹿図になると、さらに家族の平和が語られる。強力な角は備えてはいるが、それが力を発揮することはなく、もっぱら雌鹿を魅了するためのシンボリックイメージにすぎない。つがいの雌雄の恋愛譚が、そこでは綴られているのだ。角を突き合わせる欲望の三角関係には至らず、男どおしの略奪戦にはならない。つまりは江戸幕府の成立を支える図像学となっている。
桃山を彩る絢爛な洛中洛外図は、この画家にはない。代わりに登場するのは、農村の耕作図で、多くの人物がうごめく群像としては共通するが、遊楽図ではなくて、労働風景であるという点に注目してみる。ファッショナブルで無意味な運動ではなく、耕作という実利と実益を兼ねた行動となる。
武士として生まれ、京に出て絵師となり、大名家に支えるという経緯は、岩佐又兵衛と共通している。又兵衛の場合は越前福井藩であったが、等顔は山口毛利藩を拠り所にして名を成した。又兵衛の遊楽は、かぶき者が闊歩する洛中洛外図や豊国祭礼図に結晶したが、やがて戦国の情念は絵巻群に封印され、最後は江戸幕府を讃える東照宮の扁額となって、型に収まってしまう。
同時代を生きた等顔の歩みは、雲谷派として、脈々と続くが、その図像学は、等顔を継いだ一人が描く鷹図にとどめを刺す。屏風に押絵となって止まり木に留まる鷹が一列に並んでいるが、一様に紐に結ばれて束縛されている。籠の鳥ではないという点では、自由はまだ残されてはいる。しかし飛び立とうとすると、足が拘束されていることに気づく。飼いならされ、牙を抜かれた武士の姿が、そこには仮託されている。紐はカラフルで、ねじれたり束ねられたりしているが、長いのか短いのかすら見分けがつかない。その手綱の目立った表現は美しく、いつまでも記憶に残るものだった。
2018年11月3日(土)~12月16日(日)
2018/12/2
先日国際美術館で見た80年代展と比較することになるが、切り口は異なっている。いずれにしても一言ではいえない多様な時代ではあるようだ。編年順ではなく傾向で分けているのでわかりやすい。最初の部屋では戸谷成雄の荒削りな樹木が林立している。円空仏を思わせる表現主義だとすれば、辰野登恵子の絵画の場合も同じ道筋でとらえられる。美しいものではないが、表層の目に触れる面ではなくて、裏側をひっくり返したような血のこびりついている襞の層を見せようとする。それは内面という言い方もできるが、それによって触覚でしか感知できない精神性を獲得している。内側をそのまま目にすることは難しいが、時折姿を見せてくれる。噴火に伴う溶岩はそんな一例だが、戸谷の初期のシリーズにポンペイがある。
それと対極をなすように、表層を上っ面としてのみとらえ、内面の不在が暴露される。ここで日比野克彦がクローズアップされているのは、国際美術館でのセレクションとも共通している。仕上がり感はひとまず置くとして、時代の特性を感じ取る力を宿すものだ。段ボールは何にでも変身する。無宿者の建築になるというのが用の美の主張であるが、ここではヤンキーの着るジャンバーにしても、野球のグラブにしても、スニーカーにしても、ビッグサイズで、用をなさずにアートになろうとしている。
やがてはバブルに至る80年代の幕開きに、富と同居する清貧の象徴を見事に輝かせたという点で、アートはまさに錬金術だということを教えてくれた。泡のようにはかなく消え去って行く日本経済の狂乱は、段ボールのもつ特性でもあった。ロビーには段ボール製の茶室が設置されていたが、やっぱりここにくるかと、がっかりしながらも利休の前衛性はそんなものではないだろうにとつぶやいてみた。四畳半の室内には青々とした畳が敷かれていた。
2018.12.4(火)-12.9(日)
倉敷市立美術館
2018/12/4
日本画とガラスとの二人展の形だが、平面と立体なので競合することなく、空間を分け合っている。もやのかかったおほろげなイメージ世界を探り当てるという点では共通点を持ち、興味深く見ることができた。不確定な時代を生きるなかで確実な感触をもった実体を手に入れたいと思いながら、模索を続けていく。しかし描けば描くほど遠のいていくものがある。
浅野有紀さんの描き出す風景は、銀箔のグリッドに支えられている。いつも格子戸を通して世界をのぞき見るような視点が、爽やかなのに悲しい表情を浮かべている。目を凝らすと見えてくる鉄格子の拘束と言ってもよいだろう。そこに日本画という枠組みへのこだわりも成立する。縦長の構図は、短冊に走り書きされた平仮名のように、流れるような平安朝の響きをもっていて、きめ細かく雅びだ。そこにもののあわれを見てしまうのは、読みすぎだろうか。絹本か紙本かの区別は、一般にはあまり問題にはならないかもしれない。しかしデリケートな肌へのこだわりは、日本画を極めるなかで必須のものだろう。絵画はもともとは建材の上に描かれた。岩肌や漆喰の壁からやがては板の上に、そして第二の建築である服地の上に移行し、布地を経て生活から切り離されて紙の上に描かれるようになった。
浅野さんの紙本画では、時折グリッドを突き抜けて雷鳴のような鋭角の直線が走る。それは宗達や北斎に対抗して、日本美の正統を主張しているように見える。縁取りに用いられたこげ茶色の発色がいい。横長の大画面には、地響きを立てて閃光が霊峰を横切っている。描きこみが足りないように見えるが、余白がイメージ誘導の余韻を残している。光悦のような書家がいれば、ジャズのセッションのように、この余白を埋めたくなるだろう。
田邊茉子さんのガラスについては、10年前に考えたことがあった。寝ているものが立ち上がるだけで造形は、完了するのではないかと書いた。立ち上げるのではなく、立ち上がるまで待つという自然主義が必要だとも思った。立ち上げようとする力技が、相撲の醍醐味ではあるが、相手の力を利用して倒す頭脳派の力士もいる。あれから10年、気になっていたが、あいさつ文に結婚、子ども、100キロという文字が見えた。赤ちゃんが生まれて太ってしまったのだと勘違いをした。読むとあの頃は100キロの素材を相手にしていたという弁明だった。言いわけに聞こえなくもないが、問題は第2章に入った現在の造形にある。
過去の栄光があるだけに難しいところはある。近作は奥まった場所で、壁を背にしてくつろいでいた。立ち上がるガラスは中央で自己主張しており、さすがに重厚だ。難産の末に産み落とし、立ち上げた傑作だと思う。この調子で創り続け、ガラスが自然に立ち上がるのを待てば良いと思っていた。そしてやがては寝ていても凄みのあるガラスにたどり着くのではないかと期待した。
路線を変更したのは、生活環境の変化によるものだろうか。身の丈にあった肩の張らない造形を求めていることは理解できる。ラフスケッチのような針金造形とも取れる自由な動きは、かつてはガラスに埋め込まれていたイメージの開放ではあるのだろう。ガラスに見えないという難点をどう払拭するかという難問がある。単なる現代アートに成り下がらないことが必要だろう。
このときガラス棒が身をねじり自己増殖を繰り返して、壁一面に広がっていく姿が、私には見え出した。軽やかな転身の可能性はある。白い棒を半透明にするだけでも、工芸作家に戻ることは可能だ。下手をするとチフーリになってしまうが、まずはガラス棒を地に這わせ、それを立てて壁面に展示する。シリーズ化して数十点たまれば、壁一面を覆うことはできるだろう。会場に合わせてさまざまなパーツの組み合わせも可能になる。
今はまだ余裕はないのかもしれない。偉大なる創造主となった身が、虚構の造形に戻るには、子が親を捨てるまで待たなければならない。しかし子育て中、赤ちゃんが自立し、立ち上がるのをじっくり観察するなかから、次のステップが見えてくるのではないかとも思った。よちよち歩きも悪くはないが、やがては壁によじ登り上昇をめざすはずで、そんな可能性が「meta」と題した現在のシリーズには内在しているように見える。
2018年11月15日(木)~12月2日(日)
岡山県立美術館
2018/12/2
伝統工芸については、何もことばがでないのが普通だが、時折発想とアイディアのおもしろさがあって、ことばにしたくなる。今回は金魚が大きな鉢のなかに身をよじっている陶芸のユーモアに目がとまった。シンプルな染付けのブルーにおおぶりの金魚はそぐわない。そしてタイトルを見ると小枝真人「染付金魚鉢」とある。金魚を描いた鉢だから、金魚鉢に違いないのだが、ここに金魚を入れると、描かれた青い金魚を見て、ほんものの金魚はどう思うだろうか。そして首を傾げた金魚を思い浮かべながら、「用と美」について思いをはせてみる。あでやかな白地に金魚は生えるはずだ。見えない色を感じ取ることで、青磁の鉢は色絵に変貌する。伝統工芸は不在をすくい取る大いなる脇役に他ならない。
染織では村上良子さんの紬織着物「風」を前に、はたと考えた。いつもは斬新なカットの切れ味で目を引くが、今回は白地のままで、絵柄はない。光の関係でシワに見えるが、柄はないのでやはりシワだ。しかし目を凝らすとぼんやりと柄が立ち上がってくる。写真うつりが現代の工芸を支配するなら、この作品はそれとは真っ向から対立するものだ。こんな実験ができるのも、人間国宝を経た今になっての遊び心からだろうか。
遊びと見ることもできるが、織りのもつ奥義を求めての姿とも取れば、画家が最後に行き着く一線や一点にも似て、目に映る表層のうつろいを取り除いたはての究極だと思う。つまり絵ではないという染織の原点に立ち返る求道者の思いを読み取りたくなってくる。何点も並ぶ着物の中で、自己主張する絵柄の効果は、展覧会のものであっても、着物のものではない。ピンと張ったキャンバス地に支えられたタブローにはシワはない。たわみや折れといった布地の特性が、絵画を否定する。背中に広がる抽象絵画ではないことに気づくと、目立たず沈みこむメディアの特性に思いをはせることになるだろう。ここでもまた用と美について考えてしまうことになった。
2018年12月26日(水)~30日(日)
神戸三宮・大丸ミュージアム(イベントホール)
2018/12/27
先日佐賀県で同様の展覧会を見たが、地域差があるのかに興味があって、兵庫県の場合を観察した。その中でことに、人と世界との関わりをベースに絵画に現われた空間意識を追ってみた。小学生の6年間の歩みが興味深い。
はじまりは小学校一年生から。真正面を向いた全身像が多い(1)。顔と腕が目立つ。バンザイのポーズが多く、手のひらは大きく開いているのが特徴だ。ライオンは顔だけが前向きで、胴体は横向きだ。
二年生になると横向きが現われるが胴体だけで顔と下半身は前向きだ(2)。顔だけが横向きの人物もいるが、口は前向きになっている。エジプトの絵と比較すると面白い対比をなす。中には見事な動きのある横向きの姿も描かれている。まれに後ろ姿が当時するのが興味深い。
三年生になると、後ろ姿に背景が加わる。後ろ姿が見つめる消防車が丹念に描きこまれている(3)。黒いクジラを中心に泳ぐポーズを取る姿が描かれるまでになる。つまり単独の人体ではなく、環境と対応する人物の描写が誕生する。時には作業をする複雑なポーズにまで至る。
四年生になると、風景に目覚め、人物は環境に埋没するまでに至る(4)。人は自然の一員だという社会性の芽生えとも受け止められる。五年生はその延長にあって、大仏を前にした人間のように、大小の逆転劇を面白がる姿が見えてくる(5)。
しかし六年生になると一転して、人物のいない風景画が増えてくる(6)。もちろん見ている自己の視点は常に意識されている。客観的な描写に対する興味は、中学生になるとますます増大する。絵画表現の多様性は増すが、写実へのこだわりが美術の中心的課題となる。
中学二年生では絵画ならではの追及が求められる。モチーフの発見やタッチを生かした絵画技法のオリジナリティを主張も強くなっていく。つまり絵画の専門化がはじまり、万人に開かれた一般教育の場を失いはじめる。
中学三年生になると、見事な時の一瞬が固定され、絵画のアイデンティティを主張している。高校生に至り、本格的な油彩画の技法への興味は、油彩ならではの表現性にとらわれて、表現力の豊かさに釘付けになっている姿が見て取れる。生徒の去った教室の椅子の並ぶ佇まいは、油彩画の本領を発揮する。
同時にそれは西洋画の教育システムを受け入れることでもあって、画家のアトリエそのものが作品のテーマになっていく。最後に高校三年生にたどり着いた成果は、空間と絵筆とトリックが、導入された鏡写しの視覚的虚構だった。多重な理解へと誘うラビリンスが、絵画の醍醐味を教えてくれる。
小学校から12年間の進化がたどれて面白かったが、美術教育の誘導がなければ、子どもはどんな経緯をたどって空間認識を深めていくのだろうかという疑問が残った。それにしても個々の絵を見ていても面白いし、全体を現代が生み出した必然と見ても面白いものだった。佐賀と比べて、地域の差はほとんど問題にならないように思えた。
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2018年9月15日(土)〜12月24日(月)
横尾忠則現代美術館
2018/12/1
相変わらず楽しませてくれる空間づくりだと思う。描きなぐりの個々の絵にはそんなに魅力はないが、それらが重なり合いながら創り出す空間は、見事な統一と調和を現出する。これが画家本人のものなのか、美術館という組織の企画力なのかは定かではないが、これまで展示されていない在庫品を一掃するという自虐ネタは、この画家のスタンスにふさわしいものだ。
監視員は祭りの赤いハッピを着ている。美術館というしかも公立館という役所の機構を解体する。ロビーには赤提灯が並んでいる。壁面の絵画だけが邪魔ものとばかりの空間演出を、いつも面白がって見にくるのだから、今回も売約済みのような捺印をキャプションに見つけると、この絵は人気があるのだと思う。作者自筆の制作メモが絵のわきに貼り付けられていて、絵よりもこちらの方にオリジナリティを感じてしまうから不思議だ。
2018年11月23日(金)~12月24日(月)
神戸ファッション美術館
2018/12/1
最初に出てくるのは、「モノからコトへ」という表題を掲げて、炊飯器とプリペイドカードが、並べられている。デザインの考え方が大きく変わってきているのだということを伝えようとする。昔はモノを作ることがデザインだったが、今では機能を考えてやるのがデザインということか。
一枚のカードは特定の機能を備えているが、取り立てて特殊な形をしているわけではない。展覧会という形式自体がモノを見せるシステムであるだけに、カードを並べると何とも奇妙な光景が目に浮かんでくる。機能のちがうカードを二枚並べて展示したところで、ほとんど意味はない。カードを手にとってその機能を確かめるという、鑑賞とは異なった参加者の行為が要求されてくる。
体験型鑑賞という美術館崩壊の移行期を物語るネーミングもあるが、美術館も何とか時代の流れに取り残されないように生き残りをかける。ファッション美術館の入居する閑散としたビルのグッドデザインがまずは求められているだろう。もはや箱モノの時代ではないということだろうか。
昔なつかし・昭和レトロキャラクターデザインの先駆者
2018年10月6日(土)〜12月9日(日)
2018/12/1
懐かしい映画ポスターを見ながら、いろんなことがわかってくる。ポスターを描いた土方重巳よりも、映画の方に意識が行く。これはグラフィックデザイナーにとって健全な姿だ。土方の名はどこを探しても出てこない。戦前から戦中にかけて、こんなに量産していても裏方だということだ。往年のジェラールフィリップやジャンギャバンが出てくる。日本映画では原節子がいるし、高峰秀子もいる。ルイジュヴェは親の世代から聞いていた名優だが、個人的には馴染みはない。写真ではないだけに、これは誰だろうという興味がある。あまり似ていないのもあるという証拠だ。正解は文字によってなされるが、肖像としての不足分は雰囲気を通じて良き時代を映し出している。
最低限の文字情報をたずさえて、ポスターは成り立っている。土方のポスターを見てわかったのは、脚本、演出、撮影というのが、映画スタッフの三本柱だということだった。監督という名が登場するのは、土方のポスターでは1948年からで、それ以前は演出と呼んでいる。敗戦後は横書きが左から右に綴られるようになる。映画史の動勢がポスターを通じてよくわかる。
戦後のブーフーウーやサトちゃんのキャラクターデザインや、子ども向けの絵本によって、土方の名がやっと登場する。作・飯沢匡、画・土方重巳というコンビを通じて、映画から舞台への興味の移行も読み取れる。絵画から始まりエンターテイメントへとメディアを横断していく姿は、マルチタレントとしての資質を伝えるものでもあり、時代をとらえる感性とアンテナの確かさを物語る。映画が銀幕の郷愁として昇華するためには、潔く捨てる決断が必要だった。無名のまま、ずるずると斜陽化する映画産業と運命を共にすることもできただろう。
ながらく広告業界に身を置いたデザイナーが、アートに変貌を遂げて名をなすサクセスストーリーに似ている。横尾忠則や大林宣彦はビッグネームになったが、まだまだ土方重巳の名は知られていない。