美術時評 2018年11月
journey to the past by Masaaki Kambara
2018年6月27日(水)~2018年12月17日(月)
絹谷幸二 天空美術館
2018/11/25
異質な感じのする美術館であり、展示の光景だった。はじめに3D映像を見せられたが、これがなかなか良くできていて、絵画や彫刻に導入するはずのものが、主役を取られたという感が強い。ホテルに併設したホスピタルに人間ドックで訪れたような不思議な感覚を伴う体験だった。梅田スカイビル27階はちょうど森美術館の半分だなと思いながら、高層ビルの美術館の違和感は、共通するものがあった。画家とはいえ財界や政界との交友が盛んで、画家のモデルケースとして、孤高の天才を気取ることのないトータルな人格の持ち主だと理解した。
フレスコ画の発色にはそれだけで魅了されるものがある。エンコースティックに古代エジプトを仮託した現代美術の作家がいたが、フレスコ画を現代に蘇らせようとする意図はよくわかる。大理石に魅了された現代彫刻のはじまりは、出発点から間違っていたのかもしれないが、彫刻史を綴るには、大理石は必須のアイテムではある。
ボッチチェリの動揺する不安定なイメージは、確かにフレスコ画に属してはいても、絹谷のような暴発するサイケデリックな色彩の氾濫とは異なっている。展示中にはボッチチェルリの模写もあったが、それよりもピエロ・デラ・フランチェスカだという食う虫の好みからすれば、絹谷幸二とはほぼ同年齢だった有元利夫に軍配をあげたくなってくる。
2018年9月1日(土)~11月25日(日)
2018/11/25
はでな目を引くような造形ではない。しかし発散光ではなくて吸収光を内包し、鈍い光を放っている。飽くなき欲望という名にふさわしい類似品の列挙に、唖然としながらも、わずかな差異を見いだそうとしている。なかには近年のレプリカを並べてどちらが本物だと問う。どちらも本物だが、現代の再現技術を前にすると、プラスチック製でもこれぐらいの表現力はあるのではと思う。ただ違うのは肌触りと重みだろうが、ガラスケースに入れて展示する限りでは、どちらも本物だ。
青磁というが青ではない。濁り酒を思わせるような柔和な表情が、何にでもなじむ温和な心を宿してくれる。青銅器をまねた形もあるが、色合いの類似による遊び心に過ぎず、権力や毒々しい青とは無縁なもので、戦いに明け暮れた青銅器時代をパロディにして、ささやかな矛先を向けているようにさえ見える。
絵付けをしたものも多いが、鉄釉の枯れた感じの単純な図柄がいい。朝鮮半島に息づいた土の香りがしている。手慰みのヘタウマな動物であればさらにいい。それよりももっといいのは、少しゆがみをもった円の何気なさだけが目に映る無地の輝きである。絵は反射を嫌うが、器は輝きが命だ。鈍い光を放つ青磁は、反射ではない。物質のなかに光を内包しているのだというのがよくわかる。羊羹に対抗して外郎を開発した美意識に通じるものだ。決して歯切れは良くないが、じんわりと甘みが伝わってくる。
呆れるほどの作品数は、飽くなきコレクターの欲望を伝えるものなのに、その貪欲を支えるのが、柔和を教える物質の力だというのが、何とも面白い。平和になろうとして戦い続けるのが、人の世の宿命なのだろうという点で、普遍の教訓を備えてもいる。見ているだけで優しくなれる他力の願いが託されて、青磁は手のひらの宇宙を創り出してきた。こんな湯呑みで一服をと思うものが何点かあった。ざらついた侘び寂びの日本美とは異なった平和主義が、土と火には内包されていたのだ。
2018年11月3日~2019年1月20日
国立国際美術館
2018/11/25
80年代はどういう時代であったかを知りたくて訪れたが、わかったのは、ひとことで言うのが難しい時代だということだった。たぶん80年代という区切りによって明確に見えてくるものはないはずで、それは10年刻みの年代学が便宜的な区切りにしか過ぎないことに由来するからだろう。昭和の美術というくくりほどには、くっきりとした特徴を見出せないにもかかわらず、日本の作家だけを扱う不自然さが、さらに真相を見えなくしている。明治以降、西洋に数十年遅れで追随してきた歴史が、海外留学組の一定のスパンを置いた移入に、直接外国人がやってきたり、情報伝達のスピードの加速によって、過去と未来がともに現在として、同時期に流入してくる。論理的なイズムの変遷は無視されて、直感的な流行と流通によって、マルチメディア化してくる。それはミクスドメディアというひとつの材料にこだわらない動向にも反映していて、絵画をベースにしながらも立体表現へと実空間を広げていく。
ポスターには日比野克彦の段ボールアートが使われていたが、具体的で明確なイメージを残すという点ではポップアートの系譜が読み取れる。しかしここで重要なのは段ボールという素材であり、それがはらむ問題は大きい。ありふれた出来合いの材料だという点ではレディメードのオブジェとも言えるし、消耗品だという点では旧来の美術という概念への挑戦でもある。反芸術的側面を見せながらも、大衆性を獲得し、美術品としても耐え続ける点で、80年代バブル期の日本を象徴するものでもある。塗装ははげて段ボールがむき出しになってはいるが、岐阜県美術館蔵のキャプションが輝きを放っている。
さすがに国立国際美術館蔵という作品が目立つが、自前のものよりも、どうしても借りてくる必要のあった作家蔵のものに優れたものが目立つ。80年代を展望する年代順の展示であったが、最初の部屋は、どんな展覧会でも記憶に残るものだ。河原温の日付だけの作品が最初の展示品だった。やっぱりと、ああまたかというため息が混じるが、あとには秀逸な作品が続き安堵する。
五十嵐彰雄のフラットでシンプルな画面がいい。きちょう面なまでにドローイングを重ねて仕上げた均一な点描にぼんやりと円相が浮かびあがる。大画面なのは吉原治良をパロディとしている。オマージュというほうが適切かもしれないが、一筆書きの円相のもつ思わせぶりがないのがいい。コンパスで引いたような正確な円が、うっすらと膨れ上がって控えめな自己主張をしている。
大作で埋め尽くされているが、これが80年代の特徴であるかどうかは定かではない。国際美術館という広いスペースを基準にしたセレクションだというのが前提であるだろう。関西という地の利からか、京都市立芸術大学のOB展の様相が見えなくもない。キャプションに卒業大学が明記されると、どうしてもそれに引きずられてしまう。人脈で見てしまいがちなので、民藝館のポリシーは必要とするところだ。
大学名がない場合は、天王寺や西脇という高校名が浮上してくる。大学には行かなくても有数の進学校だという予備校の提供する受験情報と化してもいる。固有名詞抜きの本質だけをびしっととらえた解説に出会うと感動する。作品だけでは理解を越えている現代美術であるだけになおさらだ。最後のコーナーに当時の美術書が資料展示されていた。私も親しんできた大阪と京都を拠点とする芸術学の人脈がうかがえて、懐かしいものでもあった。
2018年11月10日(土)~2019年1月27日(日)
2018/11/15
好きな作家のひとりだ。そんなに多くを読んだわけではないが、安治川を舞台にした泥の河が、自分の原風景でもあったので、親近感を持っていた。今回、年譜を見ていて私の出た幼稚園と同じではないのかと思い、さらに近くに感じた。最近ちょくちょくと文学館に訪れることがある。美術館と違って、ヴィジュアルに欠けるので、よっぽどのことがないとその気にならない。
今回の展示でもヴィジュアル面で頼るのが、映画化された原作をクローズアップして見せるスチール写真だ。これが基準となると、どれだけ映画化されたかが、文学的評価のバロメータともなり、疑問符を感じることもある。松本清張などは実に多くの小説が映画化されていて、中には「砂の器」のように、映画の方に軍配が上がることにもなる。
宮本輝の「泥の河」も新人作家のあの時点では映画の方が有名だっただろう。自分史から思い起こすと、当時の大阪には川舟の家もあったし、そこに住む同級生もいたように記憶している。昭和30年代の貧しいけれども、時代も自分も若かった頃の話だ。ポンポン船に乗って対岸に行くと西区から此花区に変わった。歩いて行くときは安治川の隧道のひんやりした感覚が、体に染み込んでいて、川の底を歩いて異界へと向かうワクワク感が、子ども心を羽ばたかせてくれた。そんな情景描写とセリフの端々が、小説と映画が相乗効果となって、私の中で一体化している。こんな景色でも小説の舞台になるのだという、およそ情緒や風情とは対極にある町工場と商店街の雑踏を思い浮かべる。
このまったりとした時の経過は、同時代の東京を映し出した「下町の太陽」などとは異なった大阪文化に根ざした特質のように見える。近松的情景と言い直してもよいかもしれない。追手門学院大学の第1期生の卒業アルバムが展示されていて、宮本正仁のページが開いている。見開きのページに写っている他の7人はすべて女性である。極めてプライベートな個人情報に目が向くのは好ましくないと思いながらも、展覧会に足を運んだ土産とばかり、眺めてしまう。
パネル化された名セリフだけでは満足できないファンの欲望は、さらに生原稿の筆跡に、創作の秘密を探ろうとする。1500枚を超えた原稿用紙が山積みにされている。長編小説を書き終えた達成感は圧巻であるが、膨大な時間をかけた成果が10センチほどの紙の厚みに過ぎないという感慨もある。たかが文学と思う一瞬でもあるだろう。一枚一枚を丹念に見ていくと、思考の跡が浮き上がり、完成作以上に面白いはずだ。
展示されて目に触れるのはごく一部だが、今回でいえば、「幻の光」の書き出しの1ページに目が止まった。タイトルが黒くくるくると塗りつぶされていて、横の一行に「幻の光」となっている。最初の題名は異なっていたということになるが、私の目には「波の闇」と読める。読めないように塗りつぶすのが、この人の特徴のように見える。升目にはしっかりと一字一句をていねいに埋めているが、ここでは人物の年齢を三十歳と書いて、余白に二を加えている。しばらく書いたあとで、年齢設定を二歳増やしたということだ。
これは原稿用紙時代の産物でもあり、上書き保存されてしまう現代の執筆状況では、見つけることのできない醍醐味だろう。書体が文体に先行して、語りはじめている。澁澤龍彦や三島由紀夫の原稿用紙を見たときに受けた衝撃は、出版物を通しては味わえないものだった。そして戦勝記念として万年筆が、並行して展示されている。大写しに引き伸ばされた書斎の写真からは、書棚にどんな本が並べられているかを見届けようとする。時に意外なものを読んでいるのだと気づくと嬉しくなってくる。
アースシネマズ姫路
2018/11/14
カメトメの略称で話題になっている映画だが、やっと見た。姫路駅前のシネコンである。亀はゆっくり歩くので、兎を止めるほど簡単ではないが、この映画のめまぐるしい場面の展開は亀どころではない。前過ぎる座席を取ったので目が回る。はじめの30分ほどで、何だただのスプラッタームービーだと思うと、やがて終わってしまう。そして面白いのはそこからだ。単に面白いだけではない。映画理論の興味の対象が満載されている。
カメラを止めるなというタイトルが、種明かしされるのは、その時点からで、長回しやロングショットの名で呼ばれるが、ここではワンカットという語をもちいて劇中劇のタイトルが付けられている。全編ワンカットの映画として「エルミタージュ幻想」が知られるが、はじまりはオーソンウェルズの「黒い罠」あたりからだろうか。技法的には面白いがともに大した映画ではない。
カメラを止めないでワンカットにこだわるというのは、「カットの文法」を否定しようとしてのことだ。映画の虚構はカットのつなぎ目に起こる。真実を描くにはカットをしてはならないという理屈だ。本物らしく見せるという一言に尽きるのだが、そこまでしてカメラを回し続ける必要は、実はない。それを逆手にとってパロディにすると、この映画のようなコメディが生まれる。
一度だけカメラに向かって監督がカメラを止めるなと叫ぶ場面がある。その場合のカメラとは私たち観客のことを指す。つまり観客に向かって語りかけるという点で、「勝手にしやがれ」のオマージュになっている。そして手持ちカメラで画面が揺れる効果も、ヌーヴェルヴァーグへの賛歌だ。つまり個人映画礼賛という意味からは、ハリウッドの大資本に対抗しても、ここまでできるのだという自負でもある。おかげで目が回る。
映画にとってカメラとは何かという業界内での哲学が、一般の観客にもよくわかるからこそ、話題の映画になった。誰もがカメラの不思議を感じていて、その秘密を知りたいと思っているということだ。カメラを写すもう一つのカメラがあるという二重構造は、映像を前にした不思議の原点だ。つまり誰が見ている映像なのかという問題が浮上する。鏡の前に立って、見ている自分と見られている自分が同時にいるのと似ている。
エベレスト登頂の映像には、登山家よりも早く登頂したカメラマンがいて、登山家を待ち構えている。いつの頃からかメーキング映像という舞台裏を写したドキュメンタリーの方が、本編よりも楽しませることになった。それだけ本編がつまらなくなったという話だ。この安上がりの映画の場合もそうだ。本編とメーキングを抱き合わせて一本の映画にしてしまう。辻褄を合わせるためにさまざまな工夫が盛り込まれる。鑑賞者の残像が、ここでの頼りだ。この場面は見たことがあるという記憶があればこそ面白いが、映画の申し合わせ、つまり文法がなければ成立しない。
現実と虚構の間にアートが生まれる。虚実皮膜論が映像理論の原点となる。すべてが虚構なのに戸惑いを覚える。嘘つきのつく嘘は嘘かという合わせ鏡の神秘が、窓や鏡の魅力を、引き出してくる。カメラとは窓であり、鏡でもあるからこそ、その神秘の源には、ガラスあるいはレンズという素材が本来持っている透過性という特性が横たわっている。古くは水面を見とれて溺れるナルシスからスタートして、映画という光を暴き出す装置に至ったという話である。
トリュフォーの映画「アメリカの夜」は、撮影現場から始まるが、それがわかるのはカメラが引かれていって、周りにスタッフがいることがわかってからだ。この肩透かしの醍醐味を、映画は面白がってきた。絵画では画中画としてさらに古くから成立している。本物だと思ったら、実は描かれた絵だったという絵がある。つまらない映画も撮影現場とだき合わされると面白くなるというのは、トリュフォーがヒッチコックから学んだ教訓である。
2018年11月10日(土)~2019年1月27日(日)
東京都写真美術館
2018/11/10
建築写真の系譜をさぐる。出発はパリの街並みを写し出したアジェから、ニューヨークのアボットへと続く定番の写真史である。そして一足飛びに現代日本の建築写真家列伝となるが、建築物を忠実に再現したとは言えないようなものも入ってくるので、モチーフを建築に求めた写真芸術のあれこれというあたりが妥当な企画意図だろう。
写真家の側からいうと渡辺義雄の伊勢神宮、石元泰博の桂離宮、村井修の丹下健三、二川幸夫の民家、原直久のイタリア山岳都市、北井一夫のドイツ建築、奈良原一高の軍艦島、宮本隆司の九龍城砦、細江英公のガウディ、柴田敏雄の橋梁、瀧本幹也のル・コルビュジェということになる。最後の2名はディテールの拡大に終始していて、建築物に寄り添いながらの撮影とは言えない。
個人的には磯崎新と篠山紀信が組んだ「建築行脚」のシリーズに、強い衝撃を受けたことがある。特にマニエリスム建築の原色の豊穣には、これまで経験したことのない性的興奮を建築写真に感じ取った。細江英公のガウディには三島由紀夫や土方巽の肉体が宿っている。色彩を廃して明暗だけの光に還元された場合はなおさらである。
伊勢神宮や桂離宮とは対極にある血と肉を感じさせる建築を考えれば、森山大道の新宿や石内都の横須賀も浮上してくるだろう。日本美の潔癖なまでの精神主義に落とし込むのではなく、雑多な無国籍のアジアンテイストを、香港や上海とともに開かれた日本の象徴として建築に仮託できる写真家の登場を待ちたいと思う。蜷川実花が京都の花街を写した写真展があったが、そこから人物をすべて消し去って、なお色香を放つものが残れば、それは見事な建築写真ということになるだろうと、勝手に夢想をしている。
2018年10月27日〜11月25日
東京都写真美術館
2018/11/10
ソン・ニアン・アンのグランプリ受賞作品『Hanging Heavy On My Eyes』を見ながら考えさせられた。写真の今後を占う上で、基調となる展覧会だと思う。紙ベースを踏襲することで、クリアなデジタルプリントの仕上がりが実感できる。デジタルデータとしてリトマス紙の役割を写真が果たすのだという発見はあったとしても、それをアートの世界に持ち込むなど、誰も思いつくものではない。
写真とは光に反応する濃淡のことだという究極の定義を文字通り忠実に実現している。究極の写真がここにあるという意味では、こんなにもシンプルな、しかも美しい作品はない。醜いものも美しく表現できる写真の魔術は、これまで数多くの名作を生み出してきたが、本作もその延長上にある。
はじめて見たときには、誰もこの作品の意味に気づくことはないだろう。トーンの違うグレーが並んでいるだけのことだが、しばらく見続けていると、ある発見がある。一定の規則を持って並べられグループの12分割を見届けたあたりから、これはカレンダーではないのかと思い始める。そしてグレーが大気汚染の濃度の日々の記録であるという正解にたどり着く。
本当は種明かしをしないほうがいいのかもしれない。モザイク処理された不明確な変化だけがあり、目を凝らすとぼんやりと真実にたどり着ける。モザイクとはそういうものだ。ビザンチン美術はそのかなたに、神の世界を見極めようとした。この大気のヴェールを取り除けば何があるのか。死に瀕した地球なのか、輝ける未来なのか。そんな思いをよそに、ヴェールは真っ黒に塗りつぶされることになるかもしれない。あるいは真っ白の究極の抽象絵画に行き着くのか。写真家の意志とは別のところで、それは変化する。地球規模の人類の意志がそれを決める。写真が真実を写すという意味で、この不確定は理にかなっている。これほど写真らしい写真はないのではないだろうか。
2018年10月2日(火)~11月25日(日)
2018/11/10
何気なく見過ごしてしまう場合も多いと思う。何を問題にしているかは、見る方の感受性の問題だが、解説を聞かなくても、伝わってくるからこそ、映像の力ということになる。異様なものが日常ありふれた視点で描かれている。肖像写真という分類で気づかないままでいいのだろうが、それらの一人一人がマイノリティのレッテルを背負っていることを気づいてみせることは、鑑賞者の優しさである。
新人の登場は、分野に活気を与える。限られたスペースで一人だけ代表選手を見つけるのは、企画者にとって責任の重い選択だ。日本もアジアに属するからには選ばなければならない。確固たるコンセプトを立てることで、説得力は獲得できる。今回の選出はその点で成功している。
日本から選出された須藤絢乃のメッセージを受け取るためには、ジェンダーと変身願望というテーマに反応するアンテナが必要だ。そしてそれを統一テーマとしての「愛について」に落とし込むことで、くっきりと見え出してくる。ファッショナブルな流行写真と見ても構わないが、底辺にある心の闇は、横たわる棺にリボンを付けるというパフォーマンスを伴うことで、追悼という意味を鮮明にしている。
2018年9月15日(土)~11月11日(日)
山種美術館
2018/11/10
このところ日本画は岡山にいて、竹喬美術館の企画展を中心に京都画壇ばかりを見ていたので、院展については懐かしく目に映った。観山の不動明王に接して、30年も前にこの作品の来歴について調べ、新発見だと興奮したことがあった。小冊子に発表したもので、ほとんど相手にされていなかったはずだが、今日の解説を読むと私の出した説が紹介されていた。もちろんそんな説もあるという扱いだが、地方の無名の学芸員の仕事でも、見ていてくれる人もいたのだと、久しぶりに美術史研究の醍醐味を味わった。
今は浦島太郎状態だが、ぼんやりと輪郭だけは覚えていて、この作品が地球を一周して山種美術館にたどり着いたという話を書いたのだ。岡倉天心が大観と春草をつれてニューヨークに行き、そこでの展覧会に、当時ロンドンにいた観山が作品を送ってきた。展覧会目録にFudoとあるのが、山種蔵の本図になるというのが私の出した推定である。
不動なのに猛スピードで雲に乗ってやってくる。一般には「走り不動」ということになるが、動かないから不動なのに、天心からの依頼を受けて、ロンドンから一目散にニューヨークに駆けつけたとすれば、辻褄にあっている。このギャグは天心の喜びそうな話であって、観山の信頼度を挙げたに違いない。雲に乗って疾走する不動は、アメリカ人向けに描いたかのように、まるで波乗りだ。
この不動の猛スピードをのちに小林古径は、清姫に用いている。美男子を慕う女の恋情を空を飛ぶまでに加速して見せた古径の創意もまた、天心好みの系譜を受け継いでいる。東西の対決になるが、この清姫と華岳の日高川、どちらに軍配があがるだろうか。もちろん甲乙はつかないまま、軍配は安珍清姫の道成寺伝説そのものに上がることになるのだろう。個人的には川本喜八郎の人形アニメが好きだ。
2018年10月2日(火)~12月9日(日)
東京国立博物館
2018/11/9
フィラデルフィアにあるデュシャンが丸ごときている。レディメイドを看板に掲げてはいても、この美術館がもつオリジナリティが輝きを放っている。デュシャン入門としては、これほど適切な企画はないだろう。おまけに利休をぶつけるなどは、東博にしかできない力業だ。近代や現代美術館がうらやましがる展覧会であり、旧来の日本美術史の重箱つつきから考えると、画期的な企画と言ってよい。
便器と竹筒を並べたチラシを見ながら、やられたと思ったが、たぶん便器と竹筒だけが並んでいるのだと大した期待もなくやってきた。それがデュシャンの大きな肖像が会場を取り巻き、レーニンや毛沢東であるかのような個人崇拝の気味はあるが、デュシャンの顔はそれだけのオーラを持っている。手書きメモを通して見えてくる始祖の実像ということになるのは、スポンサーの意図としては差し引くとしても、謎めいた反芸術の肩透かしは、嘘に塗り固められて、ますますミステリアスなものに見えてくる。女装をしたローズという名の写真は、紛れもなく真実であり、ムット氏という変名も、確かに手書きで残されている。
消耗品なら写真でもよさそうなのに、再制作を試みている。作者自身の自作ならコピーではなくレプリカと呼ぶ方がいい。しかしこのレプリカにどれほどの意味があるのかという疑問も含めて、現代美術の思考を問うための拠り所となっている。
一階に降りると休憩室の入り口に日本初のTOTO製の便器がガラスケースに入れられて展示されていた。ここは美術館ではなく博物館だという点で、当たり前のことながら博物館は美術館以上に現代アートに近いのだと、改めて思った。デュシャンの便器は、実際は90度寝かされているという決定的な違いはあるのだが。
日中平和友好条約締結40周年記念
2018年10月30日(火) ~12月25日(火)
東京国立博物館
2018/11/9
墨絵の極意を見た気がした。そんなに古い時代の画家ではないが、中国五千年の奥深さには、脱帽せざるを得ない。白紙に二点、蝿を点じた絵がある。払いのけようとしたらいなくなってしまいそうな殺気である。西洋画の伝統として、ルネサンスの画家が腕自慢に蝿を額縁に点じた例はある。さかのぼればギリシアの画家が好んだだまし絵に由来する。しかしリアルに彩色することもないのに、まさに蝿そのものがそこにある(1)。斉白石の個人的発明ではないはずで、脈々と続く中国画の極意としか言いようはない。その証拠は蝿だけにとどまらないことからわかる。昆虫だけではない。日頃目にする野菜や果物も手に取るように質感が伝わってくる(2)。淡彩が載せられればさらにリアリティは増す。油彩画のリアリティとは違うが、写実主義の本質は実はこちらの方に軍配は上がりそうに思う。その勝因は見る者の想像力を引き出しながら、全てを描き尽くさないという点にあるようだ。
故宮博物院に白菜を彫り出した名品があるが、白菜の色調を自然界に見つけ出したというのが出発点で、あとは鑑賞者の目と翠玉の瑞々しさを、イメージ上でかぶせるだけのことだ。人工的に似せようとしない点に、鑑賞者を刺激してやまない特徴があるのだろう。
雪舟が涙で鼠を描いたという話もこの類いのリアリティを伝えるものだろう(3)。薄暗い柱の脇にかすかな涙の跡が、鼠に見立てられる。見る者の想像力の勝利であったに違いない。明治の超絶技巧はこのところもてはやされているのだが、水墨画の伝統にこんなリアリズムが潜んでいるとは驚きだ。
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2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)
2018/11/9
フェルメールほどではないが、ムンクも人気のある画家だ。夜間開館のせいもあるのか、ビジネススーツ姿の中高年の男性が目を引いた。最近では西洋美術史はビジネスマンに、必要な教養の必須アイテムになっていて、美術展通いは経済人には、恒常化しているらしい。西洋美術史を生業とする身には、ありがたい話である。
ムンク展にはこれまで何度となく足を運んできた。ただし私はビジネスマンではない。今回も若い頃の感動の、追体験に足を向けた。「叫び」の来日が売りになっているようだ。どうってことのない小品だが、人の情念をこんなに適切に捉えたものはない。画家としての力量を越えて、感受性の豊かさだけが、研ぎ澄まされている。ナイーブな若者の精神を、見事にキャッチできる能力は、絵としての完成度のことではない。大げさなまでにデフォルメされた、悲しみのしぐさに起因している。水辺にたたずむ後ろ向きの男女(1)、男の首にかじりつく吸血鬼と化した長い髪の女(2)、画面の脇で頬杖をついてもの思う男。これらは繰り返しムンクの絵に登場するモチーフだ。
短命な生のフリーズを思い浮かべるが、実際のムンクは結構長生きをしている。しかし心の動揺は晩年までおさまることはなかったようで、幼児体験とも取れる人生の悲哀と、血の恨みは、引きずり続けている。まるで十字架を背負った罪人のようにさえ見える。自画像を描くということは、自分を客観的に捉えているということだ。スーツを着て真正面を向いた骸骨のような風貌は、老いの持つ隔絶した時間を示し、居合わせてはいても、見つめてはいない。不条理な時間のずれが層をなし、時には置き時計とパラレルになって立ちすくんでもいる(3)。
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2018年10月16日(火)〜2019年1月20日(日)
2018/11/9
上野公園を突っ切ってフェルメール展を尻目にルーベンスにたどり着いた。同じ17世紀の画家だがフェルメール人気はまだ衰えを見せず、雨の中だが長蛇の列が続いていた。ルーベンスもこれだとかなわんなと思ったが、何のことはない。あっさりと入場できた。17世紀バロック随一の画家なのに、オランダの市井の画家に引けを取るとは、プライドが許さない。これはルーベンスの代弁というよりも、若冲とともに異様とも言える狂騒する日本に向けての、一極化回避の弁でもある。
ルーベンスの豊満過ぎる肉体は、現代の食事情に生き写しのことでもあり、見たくもない我が身に、目を背けたくなるのはわからないでもない。しかしその豊かさは目を凝らしてみると、フェルメールやムンクでは味わえない品位の高さがある。気品の尺度として絵画の讃歌が語られている。ルーベンスの絵はいつも上を見上げながら鑑賞している。針仕事や手紙を書いたり読んだりするしぐさのように、うつむいて目を落とすものではない。
見上げないと見えない大作が多いということでもあるが、天上に目が向かうカトリックの、確固たる宗教性に裏打ちされたものでもある。ヨーロッパの美術館を巡ると、どこに行ってもルーベンスだらけである。日本人の感覚からすると、はじめは圧倒されるが、ついにはもういいわという反応を示すことになる。
一体どこの人かと思うほど、イタリアにもドイツにも、フランスやスペインにもルーベンスは君臨している。ことに王宮がそのまま美術館になったところは多く、ルーベンスの大作が圧倒的な迫力で迫ってくる。色白の可憐な少女の風貌なのに、ヴォリューム感のある肉体の勝利を宣言している。めくるめくバロックそのものということになる。オランダの小市民的な日常も悪くはないが、西洋を理解するためには、まずルーベンスかなと思っている。
2018年9月14日–12月9日
東京国立近代美術館工芸館
2018/11/9
日本を愛するスウェーデンの工芸家の紹介だが、ガラスも陶器も染織もあり、工芸全体をひとつの美意識で統合しようという試みだ。職人の技を尊重し、自らの手を超えて、工芸の諸分野を統合し、ビジネスとして、日本の企業とも手を組んで、デザイナーとしての立場を自覚する現代性が見えてくる。インタビューの言葉の端々には、ものづくりから発した工芸の思想がうかがわれた。
あくまでも上質な食器である限りは、表現性を期待するほうに無理はあるのかもしれない。展覧会として見るには、鑑賞性が問われるが、使いたいとは思うが、見ようとは思わないという感覚は、いつもついてまわる。用は美ではあるが、美は必ずしも用ではないという点に、近寄りがたく、触れがたい作品力のあり方のちがいを見た気がした。美し過ぎると近寄りがたいが、壊れやすくても近寄りがたいのである。
今回はガラスケースではなく、ありふれたテーブルに、薄いガラスの食器が並んでいる。水差しにコップのふたがされているデザインに目は向くのだが、テーブルに足を引っ掛けないかを気にしながら、さらに一歩ガラスに目を近づける。
イケアに行けば入館料なしに体感できるような触れがたい危機回避を、何も工芸館にまできて鑑賞することもないのにと思う。もちろん博物館という旧態依然としたライトボックスに閉じこもるのではなく、現代の博物館はイケアやニトリのショールームにあると主張することはできる。ディスプレイを楽しむのなら、ユニクロや果てはドンキホーテだってよいのかもしれない。
しかし一方でガラスケースがなければ触れてしまいそうな誘惑があって、それを美術館で体験したいと思っているのだ。しかもその果てにはガラスケースを外しても近づきがたい美の殿堂がある。触れてみたいというレベルを超えた、触れがたい究極が、美術を、工芸を、歴史をかけて鍛えてきたのだと思う。
スタイリッシュで北欧独特の美意識に根ざした食器ではあるが、透明感にスルーしてしまわない引っ掛かりを、個人的には求めているのだと思う。冷たく研ぎ澄まされ、緊張感を伴う個人主義の対極に、使い古された、あるいは濁ってしまったガラスの温かみがある。正倉院の瑠璃椀とまでは行かなくとも、倉敷ガラスのような図太いまでのしたたかさを、手にしたいと思っている。個人主義の果てに、失ってしまった集まり、寄り添う気配がそこにはある。
現代の孤独を反映して、スウェーデンの風土に憧れる目は、確かにある。素材に美を感じた時、ガラスは透明感に向かうのだと思う。対極にあるのが土の郷愁だとすると、それもまたガラスの可能性のひとつではある。しかし素材はガラスではなく、食材の側にあるとすれば、話は変わってくる。主役は食器でなく、料理であるなら、透明感は主役を盛り立てる究極の仕掛けということになる。このことはなぜ絵付けをしないのかという質問の答えとして、作家のインタビューでも触れられていた。食器そのものを見るという美術鑑賞の矛盾は、いつもまつわりついてくる考察だ。今回も工芸館にあらざるさわやかなポスターに誘われて訪れたのだが、すっきりとしない後口を残していた。
2018年10月10日(水)~12月24日(月)
2018/11/9
アジアの中に日本も含まれるので、千葉で見た1968年展と重なる部分もあり、理解は深まるのだが、このセレクションでいいのだろうかという疑問も起こる。つまり日本については情報が多過ぎて、選択が難しいということだ。もちろん中国などはもっと多くて広いわけだから、知らないことの方が多いはずだ。国際的に名を馳せるアイウェイウェイなどが出ていれば安心するのだが、なぜ蔡國強はいないのとか、リーウーハンは、韓国のくくりでいいのかなど、お国自慢になりがちな民族運動をどうまとめていくのかという難問が横たわっている。
考えすぎると何もできないから、とりあえずは紹介に徹するというスタンスになる。こんな人がいたのかという、多くが初体験であり、感動するには情報が少な過ぎる。一点だけをみての判断は危険であるが、民族主義は加味しているものの、どこか共通したモダニズムの路線に世界は一つという嘯きも、聞かざるを得ない。松本俊夫「つぶれかかった右眼のために」とオノヨーコ「カットピース」が唐突に登場するが、映像とパフォーマンスというアヴァンギャルド双璧の牽引者に向けてのオマージュ以上のものには見えない。
マニアックな世界にどっぷり浸かったとは言えないが、面白くみたのは、ポスターにも採用されたワサン・シッティケート「私の頭の上のブーツ1993 年」で、頭の上にブーツを載せて歩き回る映像パフォーマンスである。真面目な顔をして当たり前のようにして市街を歩く姿は、折本立身のパン人間のようにも見えた。
2018年9月19日[水]- 11月11日[日]
2018/11/9
懐かしい言葉があふれていた。三里塚にベトコン、当時はラジカルに聞こえたが、今は死語となって久しい。だからこそ懐かしいのでもある。文字情報が満載の展覧会である限りは、当時を同時代として過ごした者にとっては意味があるかもしれないが、現在の若者がどう反応するのかが気になる。企画した学芸員が若者の代弁者であり、面白がるのだからそれでいいという楽観もあるだろう。
しかし本当に美術館として取り上げるだけの実りある季節であったのだろうか。ガリ版で刷られたアジビラにしても貴重なもので、そんなものよく残していたなということになるが、それを面白がる視点は博物館の学芸員の視点であって、美術館には馴染まない。つまりは何をポスターの写真に使うかということになると決定打に困るということだ。
横尾忠則や高松二郎や篠原有司男といったビッグネームとは異なった、不満分子のぐつぐつと煮えたぎる沸点が見えてこそ、1968年展というタイトルに対応するのだろう。大阪万博を境にくっきりとした前衛美術の明暗も、商業ペースに同舟するかしないかの偶然の天命に従うだけのことでもあって、九州に湧き上がる息吹は、地方の時代の輪郭を浮き彫りにしていく。大阪に集結した東京勢の非デリカシーを目に余るものと見た者もあるだろうし、全くの無視を決め込む賢人もいた。
お祭り騒ぎはサイケデリックという語で集約されるポップカルチャーの終末にふさわしいものだったかもしれない。ガラスケースに入った共同幻想論や大江のフットボールや赤ずきんちゃんの表紙を見比べながら、ポップに同居するモノ派の源流をも感得することになる。ポップの原色主義が急に禁欲的な自己戒律の掟を前に、表現をゼロにしようとしたわけではない。このことは1968年を境に逆転劇が演じられるのではないことからもわかる。
この展覧会では最後にモノ派の動向を新人の登場として、くっきりと際立たせて見せたが、60年代を次の70年代と区切るためには、効果的な誘導だった。ただし年代的にはかなりの振れ幅がある。関根伸夫の位相大地がエポックメーキングとなるというのは、今では定式化した教科書的事実になっている。ここで重要なのはパフォーマンスが彫刻となったということであって、穴を掘ったり木を切ったりすることが、出来上がった作品以上の価値を持つ。商業的土壌を排斥にかかったという点で、若者にだけ許されたヌーヴェルヴァーグだったのだろう。モノ派の登場は、バロック的豊穣を否定してプロテスタント的禁欲を、ぶつけた価値観の逆転劇だったとみてよいだろう。
2018.10.6(土)~ 2019.1.20(日)
2018/11/8
相変わらず見応えのある展覧会だ。考えさせられるだけでなく、エンターテイメントに目配せを怠ってはいない点がいい。得てして深刻で残酷になりがちなテーマを、緩和させながら浸透させている。池田学まであったが、確かにそこで描き出されたのは、細密描写に目が奪われがちだが、カタストロフだった。自然の猛威は、戦争に仮託した人間の欲望をご和算にするようにしてやってくる。
いくらかは馴染みの作家やビッグネームが混じらないと、企画意図に脈絡をつけられない。森美術館の恵まれたスペースを満たすには、新人の力作をスタンダードの指標と抱き合わせてやることが肝要で、味付けはところどころに著名作家のスパイスでバランスを整えることで果たされる。もちろん力点は新人の発掘と紹介に置かれるべきだろう。
最後のコーナーに参加型の一部屋があった。靴を脱ぎ、青のチョークを受け取り、壁面や床に彩色をする。中央に傾いた小舟があって、そこにもすでに塗り込められたブルーが鮮やかに廃船を浮き上がらせている。津波のあとに出現した非日常の光景であり、人類が何度となく繰り返し見てきた記憶である。近くは3.11のあと打ち上げられた陸上の船であり、古くはアララトの山頂に現れたノアの箱舟であった。そしてこの自然の猛威が、人災に姿を変えると、ビルに突き刺さる航空機のイメージと重さなってくる。そうしたカタストロフを追悼するように、ブルーが塗り込められていく。
今回のチラシにはこのディテールが採用されていたのだと、現場に立ち会ってやっと気づくことになる。作者名を見るとオノヨーコとあった。先日広島の現代美術館で感動的な壁画に出くわしたが、それは子どもたちの手によるものだった。ここでも一人ひとりの祈りが、作品となって結晶していく。会期の終了とともに完成し、また何もない空間へと戻る。
この参加型のパフォーマンスは、カットピース以来、一貫してぶれることはない。ハサミを持って衣服を切り、少しずつ分けもつこと。下着まで切り裂かれていく辱しめを通して見えてくるのは、獣性の共有と当事者としての自覚であり、いつまでも忘れない光景を記憶にとどめている。
2018年11月2日(金)- 2019年2月24日(日)
2018/11/8
二、三十年前なのに二、三百年も前のものに見える。つまり時間を超越したものが、民藝にはあるのだ。こぎれいに埃を払われて、ガラスケースに収まっている姿を見ると、民藝のもつもうひとつの姿が見えてくる。それは民藝の体質にもあったのだと思うし、今回の企画者である深沢直人氏とも共鳴しあったものなのだろう。
柳宗悦のコレクションに、便器があって、今回ガラスケースに入れて、「泉」だと言って驚いて見せたが、すべてはショーケースの中の形として、用途は棚上げされているという点で、共通するものがある。先日考古館にバーナードリーチが並べられて面白がったのだが、埃がかぶったままの考古学的現実から、匂いを消し去ってフォルムだけを抽出する点で、本来民藝が目指していたはずの理念が揺さぶられる気がしたということだ。
「こぎれい」という美意識は、茶の湯がデザイン化されてしまった「きれいさび」に対応するもので、本来宿していたざらつきや歪みを、目に優しく中和させ、商品化することで、牙を抜いて飼い慣らす家畜化の歴史をなぞってもいる。ミレーの描く農民の生活にも似て、美しくて遠くでは讃美歌が鳴り響くが、匂いは消え去ってしまっている。純粋な目の人に行き着く印象派へと至る美術史とも連動するもので、同時にモダンデザインの誕生を促すものだ。この点で民藝はデザインと結びつく。
柳宗悦が集めた一万七千の民藝品から、展覧会を構成する適度なセレクションを試みる。分類してガラスケースに入れて、心地よい長めのキャプションを付ける。
鑑賞者はそれを手掛かりに、美の方向づけをされ、目のウロコをはがされて、日用品が美の玉座に着く姿を追体験する。本来は自力であるはずの鑑賞という芸術体験が、他力の安易に流されようとする。
2018年9月26日~12月17日
2018/11/8
モネやゴッホの前で凡庸にも映るのは、気の毒なような気がする。まとめてボナールを見るのはそんなに機会があるわけではない。何十年も前にボナール展を梅田のデパートか京都の美術館で見たような記憶があるが、その時は荒っぽいタッチの仕上がりに、完成度の低さを感じたように思う。
モーリス・ドニをまとめて見たいという思いが、ヴァロットンの展覧会に接して以来、強まっている。それと連動してボナールも世紀末のパリで印象派とフォーヴィスムの狭間で体感した真実の一コマを映し出しているように思う。タッチの粗さと感じたのは、版で押したような絵のスタイルに由来しているようだ。それも芋版のようなプリミティブな装いに、味わいを見損ねたということだろう。しかしこの芋版のような味わいの中に、西洋文化の求めていた原点回帰の視覚があるのだろうと思う。
ボナールの場合、それを浮世絵に見出したかどうかは確認していないが、ペイントではない方法としてプリントを面白がったことは、初期の作品にポスターや書籍の装丁や挿絵などを多数残していることからもわかる。そしてそれらグラフィックデザインに飽き足らずに、油彩画の愉楽へとたどり着いたのだと思う。
水浴の裸婦は、これまで戸外のモチーフだったが、ここでは秘められた密室を舞台としている点で、大都会に展開する新しい主題となっている。都会生活者のデカダンスは、ボナールにも濃厚なようで、残されたスナップ写真を通じてそのありかを知ることができる。旅行を楽しむ8ミリフィルムも残されていて、画家としての成功をうかがわせるものでもあり、ハングリーに根ざした世紀末の魅力は、晩年には失われていたようだ。
2018年10月24日(水) ~ 12月3日(月)
2018/11/8
国民的画家だという表記に対して、面目躍如たる混雑ぶりである。併設のボナール展との落差は歴然としている。どこがそんなにいいのかというと、とにかくわかりやすい。印象派が好きな日本人なら、東山魁夷が好きだ。風景画家だといってよいだろうが、人物はいないのに人間的な温かみのある自然を、見事に描き出している。
唐招提寺の襖絵などは、波(1)だけしか描かれていないのに、生命感を持っていて、呼吸をしているのではないかと思ったりもする。波を描いているというよりも、波を起こしているといった方が正しい。同じように雲を起こし、風も起こす。
それは自然に対して目で見ているのではなくて、体で見ているからだと思う。だからこそ風景は明暗ではなくて、冷温で体感される。特徴的なブルーともグリーンともつかない独特の色あいは、寒色なのに温かみのある大気に包まれている。「道」という代表作もそうした一点だ。道以外には何も描かれてはいない。わかりやすいという定評が、これまでの大衆性から脱して、芸術へと昇華した記念碑ではないかと思う。その後に描く真っ赤に紅葉した山の幾何学的抽象のフォルムもいい(2)。
道を見ていて、さまざまなアートシーンが脳裏をよぎる。チャップリンのモダンタイムスも見えてくるし、クォヴァディスでもある。植田正治や杉本博司の写真の一コマも内包しているし、岸田劉生の切り通しの道が下敷きにされてもいる。シンプルな形の中に、人類の普遍的な歴史を丸ごと閉じ込めようとしているようだ。
道は中心から少し左にずれている。それは道の先で右に折れているからだろう(3)。バランスを保とうとしてシンメトリーが崩れる。確かに一本の道なのである。それは旅人が真っ直ぐに進むための意志の道標でもあって、二股に分かれるY字路ではないという点に注目する必要がある。人は常に迷いの存在であり、そのためにYという字が用意された。キリスト教文化では、最後の審判と結びつけて、左右のシンボリズムを形作った。右は英語ではライトで、正しい方向で天国に通じる。左の道は地獄に向かうが、こちらの方が広くて歩きやすい。
そんな西洋の図像学を通して見ると、ここでの道は天国に向かっていることがわかるし、画家は道の左の下隅に落款を押すことで、自らは地獄の方向に向かっているのだという自戒の念を見せようとする。晩年の仏教の帰依も、若い日のドイツ留学で果たした西洋との出会いに基づいているのではないかと思う。
突如現れる白馬のイメージは、光り輝く仏陀を描いた平山郁夫と連動するし、何よりもユニコーン伝説が下敷きにされているのだと思う。インドの山奥に生息するこの霊獣は、たった一頭で突如現れては、いつのまにか消えてしまう。まぼろしにしか過ぎないのにはっきりと見えることが、ドイツのメルヘンの森の描写を通して実感できる。
仏陀はここではブッダという方がいい。ゴッダマシッダルタというカタカナ表記を通して、ドイツの文豪と出会うことができるし、東山魁夷の宗教観とも通底する。ドイツ時代に描いた石の建築のディテールに寄せるまなざしには、確固とした物質文明に支えられた、重厚な西洋精神に挑む東洋の若者の、ナイーブな心情が吐露されている。
そして印象派がしたように、その後それを大気のヴェールで覆い尽くそうとするのだ。ある一定の固有名詞で語れる風景ではなくて、明暗の階調を伝える、作品名の頻出を通して見えてくるものがある。残照、秋翳、映象、月篁などお茶碗の名前のような二文字が続いている。ここには印象日の出に始まったジャポニズムの完結を、日本画という手段を通して、試みようとしているようにも見える。これらもまた明暗ではなく、冷温だという点で、印象派を超えた予感が、西洋人をも魅了したに違いない。
「青響」と題された、森を俯瞰した一点で、本展の解説者は青銅器の色合いを引き合いに出している。そして饕餮文に興味を示した、画家のイマジネーションを考えようとする。青銅器に広がる緑青は、庭をおおう苔のようなものだが、目に映る明暗を越えて、本体を温かくヴェールで包むものだ。饕餮とは目だけの怪物のことだが、この生命体誕生の予感は、ここでも森の緑の間に、深く切り込まれた谷合いに、シルエットとなって見え出してくる。目を凝らすとそこには、一人の影が立っていて、私の目には鑑賞者を誘う、剃髪した画家の輪郭がぼんやりと浮かんでいる(4)。
1
2
3
4
2018年9月19日~11月11日
2018/11/4
バーナード・リーチと倉敷との交流を紹介する展覧会だが、倉敷考古館での開催というのがポイントである。常設展として並んでいるのは、弥生時代と古代ペルーの発掘品であるが、それに分け入ってリーチの陶芸や画軸が混じり込んでいる。違和感はない。古代ペルーのプリミティブな絵付けと、弥生土器の風化した土の香りが、リーチの造形と調和して交差する。
近代の造形が何より求めるのは実年齢であって、これから先の寿命を危ぶみながら、土蔵の中で馴染もうとしてきている。民藝というくくりの心地よさから脱皮して、考古学の対象としてチャレンジしようというわけだ。発掘品独特の粗野な生身の肌触りが、そこでは求められている。それは民藝運動が洗練されることによって失ってしまったものでもある。もともとは民藝も土の香りがしたはずであるが、チリを叩いてこ綺麗になって、民芸店の店先に並ぶ中で、自問と自戒を繰り返すことになる。
考古館の弥生の土器にはまだ未だに土が積もっているように見える。40年以上も前、私がまだ岡山での学生時代に博物館学を習った、当時の館長真壁先生の話のナマの声や、考古学教室で発掘したときのままに、今も雑然としたスチールの陳列ケースに入っている。明らかに民芸館の木調棚の黒光りとは異なっている。それらはミイラのようにして、今を生きている。大英博物館の年輪にも似て、民芸はいくらあがいてもエジプトにまではたどり着けない。燻して古拙を見せかけても剥がれてしまう近代の悲しみを、誰もが知っていて、リーチをここにぶつけてみたのだと思う。実はそんな意地悪な企画なのだ。
しかしリーチを通して古代ペルーと弥生の造形に出会えたのだから、世界が広がったことに感謝しなければならない。考古館への訪問は博物館実習以来だったような気がする。あの苔むした静けさはさらに輪をかけているはずだったが、この日は折から原田マハさんのトークイヴェントが終わったばかりの、片付けの時間帯に出くわしていた。末端の愛読者の一人としては残念だったが、はじめて読んだのが「カフーを待ちわびて」で、そのさわやかな結末が、今も記憶に焼き付いている。
美術史の方面でも才女であるが、どんな話だったのか気になる。おかげで大掛かりな機材の片付けのなか、落ち着きなく時は過ぎた。連休の美観地区は復興割の影響からか、必要以上にざわついていた。会期の閉幕が迫り入試業務の合間をぬって、今日しか日はなく思い立ったが、晴れの国の観光地は若者の熱気で華やいで見えた。
もうひとつ面白いことがあった。入場料に図録代が含まれているようで、小冊子だがカラー図版が満載されとても気に入った。今後の資料になると展覧会の日付や発行年を探すがどこにも書かれていない。これまでの別の冊子も置いてあったので、手に取るとやはり発行年月日が書かれていない。つまりこれは意図的なポリシーなのだと理解した。何年の何月に開かれた展覧会だというのは、情報として最初に来るものだろうが、そんなものいらないという意思表示ももちろんあっていい。
民藝運動に支えられた民藝館のポリシーが、作品にキャプションをつけないというのであれば、考古館は数字に頼らないというメッセージになるのだろう。確かに考古学資料に年月日がわかるものはなく、わかればそれは歴史的資料ということになる。大事なのは年代ではなくて、モノをしっかり自分の目で見ろという思想なのだろうと思う。考古学的世界観を前にして、いいことを教わった気がした。
2018年7月11日~12月24日
倉敷市立美術館
2018/11/3
寺松国太郎のサロメに大正デカダンスを感じ取りながら、隣に並ぶ児島虎次郎の爽やかな落差を目にして、ほっとし、絵画のもつ多様性を楽しんだ。倉敷というくくりはあるが、たぶん何の拘束もないだろう。どれだけ多様で自由な造形が誕生するかが、都市文化の尺度だろうと思う。その意味では、制約なく自由にはばたける可能性を、都市がどれだけ用意してくれるかという、主体に対する信頼の問題になる。
今回の展覧会では、絵画と工芸が中心であったが、個人的には大正デカダンスが好みだ。ふくよかなサロメがじっと見つめる生首は、定番の様式ではあるが、寝そべりながらのポーズがいい。皿に載せられて首しかない洗礼者ヨハネを恋するまなざしは、寝そべることで下半身の疼きをも伝えるが、淫らではない。
これまで倉敷で見直すことのできた作家のまとまった作品群を前にして、一芸に秀でる年輪に敬意を表することになる。河原修平もいるし、大野昭和斎もある。一点や二点ではわからない、同質の作品を複数見る醍醐味は、コレクション展でのセレクションの妙ということになる。
中村昭夫の写真に多くのスペースを割いていたが、何となく見過ごしてきた観光地の裏通りを再度見直してみる。今では裏通りの白壁の方が、観光の売りとなってしまったが、写真家のまなざしを通した発見史を形作っている。裏通りに飽き足らず、写真家は水面に目を向ける。時に映し出された写真を上下逆さに展示する。虚実の薄い皮膜に真実のありかを探ろうとする。天の橋立で股のぞきをした時にやっとわかった真実がある。名所絵として定着してきた目の怠慢に揺さぶりをかける。輪郭が歪む名所に危うげな観光地の胡座が告発されている。
以前、日本画でいい仕事をしてきた長原勲さんが、ヨーロッパ遊学ののちに油彩画に転向し、歪んだ輪郭の教会を描き始めた。確固とした石造りの重厚な西洋文明を、水辺に映るイリュージョンに変換することで、日本文化をまるごとぶつけてみせた。印象派の実験を追体験することで、先の可能性に思いをはせることになったが、モネの大聖堂のシリーズが成功したかどうかは疑問で、策士が策に溺れたように見えなくもない。中世以来の文明に挑むには無謀な実験のようであり、積みわらや水面のようには石の文化は思い通りにはならなかった。石に挑まなくとも、油彩画は十分に西洋の伝統を物語っていた。
寺松国太郎の日本画と洋画を見比べながら、厳密に分類する潔癖さよりも描き出す絵画世界の優先が、私などにとっては頼もしいように思われる。これは美術史の評価とは全く別のことであるからこそ、地方の美術館の立ち位置があるということだ。寺松国太郎の紹介に必ず出てくる、小山正太郎や浅井忠とのパイプからは知られざる地方の個の真実を、見定めたいと思った。