久志中学校

名護市立久志中学校(くし ちゅうがっこう) 2012年3月閉校

教育目標

目的を持ち自ら学ぶ生徒 明るく心豊かな生徒 たくましくねばり強い生徒

校歌 作詞 湧川正義 作曲 伊波裕訓(1975年制定)

大浦湾に陽は昇り

潮の香りたつところ

正大の気は 漲りて

あ丶わが久志中 栄えあれ

希望の光さわやかに

挙りて励む和の心

広き世界の道を行く

わが久志中栄えあれ

学びの庭に光満ち

若き命の火は燃えて

自主創造の声高

あ丶わが久志中 栄えあれ

わが久志中学校

1948年(昭23)4月1日、学制改革により六・三・三制となり、久志・嘉陽・天仁屋に中等学校が創立された。のちに中等学校は中学校と改称され、1957年(昭32) 4月1日、久志中学校・三原中学校となる。1971年(昭46)、久志中学校の位置変更ならびに三原中学校・嘉陽中学校・天仁屋中学校の廃止について琉球政府中央教育委員会により認可され、統合久志中学校発足の準備に入った。

普通教室・特別教室・図書室・給食室など第一期の施設建設の着工後の1972年(昭47) 4月1日、天仁屋中学校・嘉陽中学校・三原中学校を廃止して統合久志中学校が誕生した。統合時の 在籍は237人、12学級であった。

しかし、 新設校舎未完成のため一学期は、天仁屋・嘉陽・三原・久志小学校の校舎を借用した分散授業となり、同年9月、 ようやく遅れていた校舎が完成、分散授業をしていた四教場から移転し全生徒が一堂に会した。

実質統合は同年9月で、開校式を行ない、同時にスクールバスでの通学(有津〜福地)も開始された。1974年(昭49)からは、第二期工事の校地拡張・体育館建設などが行なわれ、学校の施設設備は整備されていった。1975年(昭50)には、湧川正義作詞、伊波裕訓作曲の校歌が制定された。教育活動においては、スポーツ面で開校間もない1972年(昭47)、宜野座地区中体連球技大会で男子バスケットボール・男女バレーボール優勝、第8・9回聖火宿泊記念駅伝大会連続優勝、1981~83年(昭56~58)、地区中体連新人球技大会女子テニス団体戦優勝、1986年(昭61)、 地区中体連夏季大会女子テニス個人優勝など輝かしい記録を残している。

文化面では、1977年(昭52)、第17回沖縄県生徒科学作品展示会理科の部で最優秀賞を受賞、1982年(昭57)には名護市社会教育振興大会の開催校となった。1984年(昭59) から2年間、沖縄県教育委員会・名護市教育委員会から 「理科モデル校」に指定され理科教育の研究実践を行なった。また、1986〜87年(昭61~62) は、文部省の児童生徒の体力づくりのための研究実践を行なう「体力づくり推進校」に指定され、体力づくりの研究を推進し、大きな成果をあげた。1990〜91年(平2~3)は沖縄県教育委員会・名護市教育委員会より研究校指定を受け「目的意識を育てる進路指導」の研究発表を行なった。1991年には日本体育学校健康センター沖縄県支部より学校安全優良校の表彰を受けた。1994〜95年(平6~7)には、沖縄県教育委員会・名護市教育委員会指定「学校保健」の研究発表を行なった。

また、2002年(平14)には、統合30周年を迎え、旧久志中学校の同窓生とともに盛大な式典、祝賀会を挙行し、記念誌も発刊した。

2012年3月、久志小学校と統合された小中一貫教育校久志小中学校緑風学園の発足にともない、閉校となった。

校章について

中心の円と円に内接する四つの弧は、1972年、天仁屋中学校・嘉陽中学校・三原中学校・久志中学校の四校が統合し、 新生久志中学校としての創立と永遠の和を表している。また、中央にペンをかたどり、真理を求め学問に勤しまんことを願いつつ、外周は今まさに飛び立たんとする若ワシを表している。1973年制定。図案は当時教諭の宜野座将秀が行なった。

(宮里博輝・親川一久)

久志中学校 年表

1948年 4月1日 学制改革により6・3・3制となる(久志、嘉陽、天仁屋中等学校創立)

1952年 4月1日 中等学校は中学校と改称され、久志中学校となる

1957年 4月1日 久志中学校は分離し、久志小学校と三原小学校に併設され、それぞれ久志中学校・三原中学校となる

1971年 6月28日 久志中学校の位置変更並びに三原中学校、嘉陽中学校、天仁屋中学校の廃止について中央教育委員会より認可される

1972年 4月1日 四中学校を統合し、久志中学校を創立。生徒237人、12学級、職員27人、初代校長に平識善福就任

4月10日 新校舎未完成のため、一学期間各小学校の校舎を借用して、分散授業を行なう。

天仁屋教場 (職員6人、生徒数37人)、嘉陽教場 (職員6人、生徒数41人)、

三原教場(職員7人、 生徒数61人)、久志教場(職員9人、生徒数94人)

9月1日 実質統合により開校式を行なう(生徒数233人、職員17人、6学級)

1973年 10月7日 校旗制定(寄贈・松田義太郎)

1974年 6月22日 校門完成・統合記念に汀間区から寄贈

1975年 3月28日 体育館完成

7月12日 校歌制定 (作詞 湧川正義・作曲 伊波帯訓)

7月13日 統合三周年記念式典並びに体育館落成式を挙行

1980年 4月30日 国旗・校歌掲揚台設置 (7・8期生寄贈)

8月8日 テニスコート完成

1981年 2月22曰 前庭ヘPTA並びに久志球友会が、琉球松を九本植樹

1982年 4月23日 石碑「立志」前庭に建立(書・松田義太郎、創立10周年を記念し、第9、10期生が寄贈する)

6月2日 10周年記念事業期成会による前庭及び工事の完了

6月24日 地区中体連球技大会で庭球部女子準優勝

1993年 3月17日 職場体験・奉仕学習(1・2年生全員)初の試みとして名護市内の職場にて実施

11月15曰 校則を一部見直し、男子丸刈りから、丸刈り、スポーツ刈り、すそ刈り、刈り上げの選択制、女子は現行を基本に、髪の長さは肩につく程度までとする。

2000年 3月31日 校舎・プール新築完成

4月2日 新校舎へ移動

2001年 7月8日 第30回運動会

2002年 2月10日 校歌碑建立、前庭整備

2月17日 統合30周年記念式典を挙行する