二見の人口と産業

沖縄戦直後の昭和20年7月には、中南部からの疎開・避難民などで二見の人口は大きく膨れ上がった。当時トーキ(東喜)と呼ばれた現在のスギンダ(杉武田)には2,254人、スック(楚久)に2,667人、計4,921人もの人々が住んだ。中南部への帰村が進む翌21年1月には、スギンダ323人、また楚久1,190人、あわせて1,513人が二見地内に住んでいた。避難民の人たちがすっかり引き揚げ、地元ももとに戻った翌年の22年10月には、戸数71・人口344人となった(久志村誌)。

その後、昭和35年以降の人口の動きは同年41世帯・247人である。人口は、それ以降わずかずつ減り続け、昭和60年現在87人を数える。25年前に比べて3割規模になった。世帯数はやや減って30世帯台で推移し、現在32世帯である。25年前に比べると、9世帯(2割)減っている。

二見の産業の現状を産業別就業者の構成について見ると、就業者38名の内、第1次産業13名(34%)、第2次産業10名(26%)、第3次産業15名(40%)という雛成で、第3次産業に従事する人がやや多い。就業者は、この15年間に3分の2に減っている。第2次産業は建設業のみである。

農畜産業を見ると、現在14戸の農家で、全体として4.6haの経営耕地面積を有している。作物はキビが中心であったが、ここ10年は野菜類が伸びている。

畜産は、以前100頭規模で養豚があったが、現在は山羊が30頭程飼養される位である。

出典:「わがまちわがむら