我部の伝統文化

我部の伝統文化

拝所と祭祀

近世の我部の御嶽として、我部之嶽(神名中森の御イベ)がある(由来記)。当時は屋我地に村落が移動する前で、現在の今帰仁村湧川地内に御獄があった。さらに、我部ノロ火神と掟神火神があり、祭祀場としては我部の神アシアゲと松田の神アシアゲがある。祭祀は我部ノロが司った。当時の年中祭祀は、麦二祭・稲二祭・年浴・柴指などがあった。

我部の伝統的な集落はムラウチと呼ばれるところである。そのほぼ中心に上アサギ(松田アサギ)と下アサギ(我部アサギ)、そしてハミヤー(神屋)がある。そのすぐ北にウチガミヤー、西にヌルヤーがある。集落の北の小高い丘がウガミ(御嶽)で、その西に我部拝所がある。拝井泉は、集落の北の外れにプルガーがある。

現在行なわれる年中行事は、表に見る通り。旧1月1日のハチウガミ(初拝み)は、プルガー・ハミヤー・ウチガミヤーの順に拝む。2月ウマチーには、ハミヤーとウチガミヤーを、そして4月のアブシバレーには、上アサギ・下アサギ・プルガー・ガブウガミの順に拝む。5月5日と9月9日のテラウガンには、ハミヤーとウチガミヤーを拝んだ後、ワルミ水路を渡り、男はワルミ寺、女はフルガーを拝み、あと下我部のアサギ跡を拝む。

我部ノロの管轄は、呉我・振慶名を含み、旧6月25日と8月10日にはそこへ出向いて祭祀をする。

芸能

戦前まではエイサーもあったが、今では盆踊りに変わった。村踊りも、以前は旧8月に4日間、アブシバレージャー(畦払座)・アサギ庭・平松で行なっていたが、現在では公民館で催すのみである。ピーラルラーを先頭にした道ジュネーや棒もあったが、今はない。昭和7年頃には、組踊「伏山敵討」「謹佐丸敵討」も演じた。最も得意とするものは高平良万歳で、今でも最後に演じられる。最初は長者の大主で、あいだに真喜志康忠一座などの芸を入れる(宜保栄治郎:名護市の民俗芸能)。

出典:「わがまちわがむら