金川銅山跡

金川銅山跡

種別:史跡

指定年月日:指定候補

所在地:伊差川

(説明)

伊差川の南側の金川の中流に金川銅山という銅採掘跡があります。「ハニガ-」というのは古い地名で、採掘は王府時代にさかのぼるだろうといわれています。口碑によると、首里円覚寺の大鐘はここの銅で鋳造したもので、薩摩に持ち去られた折り、向こうで鐘を撞くと「金川どんどん伊差川珍らさ、元の沖縄に帰地うや-ひゃ-」と響いたという伝説もあります。

明治にはいって、採掘は明治20年に尚家が試掘許可をとり、同22年借区許可も得ています。同25年には金川、ナシヤ-川をあわせて44,000坪余を借地にして採掘を進め、投資総額は43,000円余、銅の生産高は、明治22~26年間に264,000斤余で、同23年には、98,658斤を産出したという記録があります。明治30年代半ばまで採掘は続きますが休山し、その後、大正2年に四国の渡辺氏によって再開され、14,5名の工夫を使い、日に約70斤製銅しました。当時ここを見学した人は、「一時間もたつとフイゴの音が止んだ。熔けた銅が炉から酌みとられ型に入れられ、三個の製銅が出来上がった。長さ一尺五寸、幅五寸、厚さ一寸五分の大きさである」と報告しています(大正3年1月9日、琉球新報)。大正5年には、鹿児島の玉利盛彦氏が7万坪余りの区域を買収し、工夫12名、雑役夫30名を使い、月に約1万斤の銅を生産しています。

現在、採掘跡が3ヶ所ほど残り、その一つは間口1間×半間、奥行き22間といい、今も鉱滓が拾えます。鉱山跡一帯はジンコウ地といわれ、鉱毒のためか木も生えなかったそうだが、現在はその近くにみかんやお茶が作られています。