三原の伝統文化
三原の伝統文化
三原の伝統文化
出典:「わがまちわがむら」
拝所と祭祀
元は、字汀間区域の一部であった。ここには廃藩置県後、中・南部の士族たちが移り住んだ所で、拝所や伝統的な祭祀はない。ただ、旧6月25日に汀間で行なわれるシヌグ御願には、区の代表者が参加している(国頭の村落)。
芸 能
出典:「わがまちわがむら」
伝統的な芸能はないが、戦後すぐエイサーを始め、村を活気づけた。昭和22年の公民館建設の際には、エイサーで各戸を回って集めた資金が大いに役立った。太鼓を中心としたにぎやかなエイサーであるが、最近は村に残る青年が少なくなり、続けるのが難しく、ここ2, 3年やっていない。
三原の芸能のあらまし
出典:「芸能」
我が区の芸能の特徴
村踊りはない。 エイサーは形を変えながらも現在に引き継がれている。
芸能組織
〔組織〕
1998年(平成10)二見から天仁屋までの久志地区10区の青年が集まり、二見以北青年団を結成した。年によって活動量に差はあるが、2007年(平成19)現在、組織として続いている。
〔経費〕
二見以北青年団の運営資金は、行事の際の寄付、各区青年会の分担金、ホテル等に依頼された際の謝礼金でまかなっている。
芸能の変遷
〔由来〕
戦前から行われている伝統芸能はエイサ―だけであるが、由来等は不明である。
〔戦前〕
不明である。
〔米軍統治下の時代〕
戦後すぐエイサーを始め、村を活気づけたという。
〔復帰後〕
1985年(昭和60)頃から中断していたエイサーを、青年会が1995年(平成7)に汀間から習って復活させた。
〔現在〕
太鼓を取り入れた辺野古エイサーを習得し、二見以北青年団によるエイサー活動を行っている。