玉那覇酒造所
玉那覇酒造所 名護町字宮里113
昭和5年に設立。経営者は玉那覇実信。首里の人だが泊のメーミチに家があつた。屋部に酒屋を立てる計画であったが宮里につくった。サキタリヤーは首里の人。名護の人は農作や養豚もしていた。酒粕を豚の飼料としていたので豚は赤肉が多かった。どの酒造所も100頭前後の豚を飼っていた。戦時中は材料がないので酒をつくってなかった。
戦後、豊里和子さんが買って豊里酒造(豊和)に変わった。 (談 慶佐次興栄、上間春江)
「名護やんばるの酒」より
玉那覇酒造所 名護町字宮里113
昭和5年に設立。経営者は玉那覇実信。首里の人だが泊のメーミチに家があつた。屋部に酒屋を立てる計画であったが宮里につくった。サキタリヤーは首里の人。名護の人は農作や養豚もしていた。酒粕を豚の飼料としていたので豚は赤肉が多かった。どの酒造所も100頭前後の豚を飼っていた。戦時中は材料がないので酒をつくってなかった。
戦後、豊里和子さんが買って豊里酒造(豊和)に変わった。 (談 慶佐次興栄、上間春江)
「名護やんばるの酒」より