名護のひんぷんガジュマル

名護のひんぷんガジュマル

種別:天然記念物

指定年月日:昭和31年10月19日県指定→平成9年9月2日国指定

所在地:名護299ホカ

名護のひんぷんガジュマルは、沖縄島北部の名護市の市街地にあって、路上に生育する巨樹である。

樹高19メートル、胸高幹周10.1メートル、枝張りの長径27メートル、樹冠面積約600平方メートルに及ぶ堂々とした容姿を誇り、樹齢240年と推定される。

ガジュマルはクワ科イチジク属に分類される常緑高木で、アジア・オーストラリアの熱帯及び亜熱帯に広く分布するが、日本では屋久島、種子島を北限とし、琉球列島の低地や石灰岩地帯には極く普通にみられる。

幹や枝から多数の気根を生じ、幹から出た気根は他の幹と〓(*1)着し幹面に凹凸のある大幹を形成したり、幹枝から下垂する細い気根が多数結束して縄状になったものが幾本も垂れ下がるなどの奇観を呈する。また、本樹種はしめころし現象を有することでも知られている。すなわち、ほかの樹上に着生したカジュマルの実生が気根を寄主の幹枝に絡ませつつ生育し、締めつけによりこれを枯死させて大木になることがある。

沖縄の民家建築では、外からの目隠しのためだけでなく、悪霊を防ぐ信仰上の理由から正面の門と母屋の間にひんぷんと呼ばれる屏風状衝立が設けられることが多い。ガジュマルの木をこのひんぷんに見立てて墳墓の前庭や街なかに植栽することがあり、ちょうど街並みの入口に位置する名護のひんぷんガジュマルは、地元で「ひんぷんがじまる」と呼ばれ神木として大切にされてきた。また、このガジュマルの傍らに旧藩時代に建立された「[[三府龍脉碑]さんぷりようみやくひ]」なる石文がある。この石碑がひんぷんの形状に似ていることからひんぷん[[石]しい]と呼ばれ、そこに生育するガジュマルを地元では「ひんぷんがじまる」と呼ぶようになったともいわれている。 南西諸島はガジュマルの分布北限地帯にあたる。広く自生するほか植栽木も少なくないが、名護のひんぷんガジュマルは現在知られる最大の巨樹であり、今なおその樹勢は旺盛で、その学術的価値は高く、天然記念物に指定し保存を図ろうとするものである。

「名護市文化財案内人養成講座資料」より

乾隆15年(1750年)具志頭親方(ぐしちゃんうえーかた)蔡温は、当時の運河開通論と王府の名護移遷論議を鎮圧するため、 三府龍脉碑を建てました。 この石碑がヒンプンのように見えることからヒンプンシーと名付けられ、その隣に生育するガジュマルもいつしかヒンプンガジュマルと呼ばれるようになりました。

推定樹齢 280~300年、樹高19m、胸の高さでの幹周囲10m、樹冠の広がりは長いところで直径30m、堂々とした容姿は市のシンボル、そして街のヒンプンの役割をになっています。ヒンプンガジュマルの特異な景観は古くから衆目の的となり、写真におさまる周辺のようすで街の移り変わりを知ることができます。

名護の街の移り変わりを見てきたヒンプンガジュマルはまさに「市民」の木です。

だんじゅとゆまれる 名護の番所

松とがじまるの もたえさかえ

名護の番所が東江銭ヶ森から旧市役所の位置に移ったのが、1695年だから、今から287年前のこと。その当時すでにこの松に抱きついた「がじまる」が有名で、ために名護の番所も評判になったということだから、樹齢もおそらく300年はくだらないであろう。

私が子供の頃、城の東殿内、山入端松清翁(山端浩氏の祖父)から聞いたのは、なんでもいまのガジマルの位置に最初は松だけが生えていたが、その後ガジマルが生えだし松の木にからまり、後には松の木が枯れて、ガジマルだけが根を据え、大木になったということである。

以下略

「名護の名木 『市民の広場』昭和57年8月 宮城盛雄氏」より