天仁屋の人口と産業

天仁屋の人口と産業

天仁屋の戦後の人口の動きを見ると、昭和22年には戸数142.人口648人であった(久志村誌)。その後、昭和35年には73世帯・人口376人である(推移グラフ参照)。それ以降はわずかながら徐々に減少傾向となり、昭和56年には189人まで下がったが、近年はやや増加してきた。昭和60年現在211人を数える。25年前に比べると、半分近くに減ったことになる。世帯数は、ごくわずかながら減り続け、昭和55年には53世帯となったが、近年は少し増える傾向にあり、現在62世帯を数える。25年前に比べて、11世帯減っている。

天仁屋の産業の現状を産業別就業者の構成について見ると(同表参照)、就業者91名の内、第1次産業80%、第2次産業10%、第3次産業10%という構成で、第1次産業(農畜産業)が圧倒的に多い。第2次産業は建設業が主である。

天仁屋の基幹産業である農畜産業について見ると(農業基本統計表参照)、現在農家は43戸で、全体として52haの経営耕地面積を有している。急に減ったのは、天仁屋地区県営畑地帯総合土地改良事業(72.1ha、昭和55~61年度)が実施中のためである。作物の収種・栽培面積が減っているのも同じ事情による。作物はキビが中心で、パインがそれに次いできた。近年は、野菜類に加えて、昭和57年度に天仁屋花き団地(ビニールハウス約1.3ha)が整備されるなど、花き類や施設園芸が伸びてきている。畜産は、以前からあまり盛んでない。

出典:「わがまちわがむら