汀間

汀間(ていま)

汀間区の現況 世帯数:125世帯 人口:263人(男143人・女120人) 面積4.39k㎡

汀間区基本データ

◎区加入世帯数: 123世帯(加入率98%)

◎小字名:村、湊川、西原、村後、恩計、嘉手刈

◎組織:特になし。行事の際に前組(メーグミ)と後組(クシグミ)に分かれる事がある 班…1~5班

◎社会教育団体:婦人会・子ども会・青年会・成人会・老人会

◎その他・サークル団体ミニデイ、グランドゴルフ、踊り

◎主な産業:水産業が盛ん。農業はカボチャ、ウッチン、さとうきび等

◎主な区行事:清明祭、アブシバレー、学事奨励会、夕涼み会、綱引き・角力大会、敬老会、区民運動会、キリシタン、書き初め会、新年会、産業品評会

◎主な伝統芸能:七月踊り、ウスデーク

◎区文化財:カニマンガー(金丸泉)、汀間当の碑、石敢當、汀間ノロ衣装(着物、勾玉、簪)、区歌(汀間賛歌)

部落の中心にあるサンカジュー(拝所)は区民の心の拠り所になっています。

その他、尚円王と関わりのあるカニマンガー(金丸泉)などの拝所も残っており、旧暦の八月ウイミという御願行事で公開される宝物は貴重な歴史資料となってる。

汀間は、方言でティーマと呼ばれ、大浦湾に面している。東に汀間川(流長5.6km)、西にティマダ川があり、大浦湾に注いでいる。河口に舟揚場があり、かつて山原から薪や竹などを積み込んだ港であった。汀間の地名は、汀間川とティマダ川の間にあり、大浦湾の海岸に面した汀(水際)に位置することに由来するという(久志村誌)。北には一ツ岳(295m)があり国頭山地へと続く。東の安部との境の海岸には、汀間当節で知られるカヌシチャ浜がある。

現在の汀間ムラは汀間川河口に形成されているが、対岸の「かてかる村」(ハデール)と、ムラから少し北に離れたウンバハリから移ってきた人々によってつくられたとみられている。現集落は碁盤目状に整然とし、各屋敷を囲む福木には樹齢三、四百年と推定されているものもある。明治半ばには久志間切(村)のなかで最も大きな戸数と人口をもち(戸数125)、大正末の一時期には久志村役場が汀間のムラヤーに置かれたこともある。大正14年、汀間ムラの一部(シネーガチ、ミチェーガチ、ゲーヤ)を割いて、字三原がつくられた。幅広いティーマガーラ(汀間川)はフンナト(小湊)ガーとも呼ばれ、河口は山原船の寄港地としてにぎわった。当時は現在の三原小学校の下まで山原船が入ってくるほど水深が深く、台風時の避難場所にもなった。

集落は、汀間川の河口の海岸低地に位置し、碁盤目状に整然と区画され、また福木で囲まれた屋敷林が目立つ。汀間川沿いに小さな集落ウンバハリ(恩計)があり、ヌンドゥンチ跡やアサギ跡があり、一部はそこから移動してきた。また、一部は川を越えたカデカル(嘉手苅)から移動してきたと伝えられる。

主な施設に、汀間区地区会館(公民館)・久志中学校(現緑風学園)・汀間漁港がある。

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