嘉陽の拝所・年中行事

ムラの拝所・年中行事

嘉陽の御嶽は先に挙げたウイグシクとパマイタラシキの二つであるが、この両御嶽は琉球国由来記(1713年)にも記載されている。それによれば、嘉陽城嶽(神名・アカウズカサノ御イベ)、濱板良敷嶽(神名・ソノイタジキノ御イベ)となっている。ウイグシクの山頂にはムラの拝所であるイビと水のカミの拝所があり、この広場はトノと呼ばれる。ここには赤瓦で壁のないアサギが建っていたが、台風で倒壊してしまい、現在は痕跡すらない。いつの時期かは不明だが、このトノ周辺に左綱を巻くピサインナーという儀礼があったという。トノには神が髪を洗ったとされる小さな池があり、神人は自分の姿を映して気を引き締めたと言われる。ウイグシクの拝所は山の上にあるため、体力のない者や老人は下にあるウトゥーシ祠を拝む。ウトゥーシは現在はセメント製であるが、以前は粘土を固めたものであったそうである。9月き9日は村人全員がウイグシクまで登らず、このウトゥーシで御願をする。パマイタラシキの拝所は集落からかなり離れ、県道から少し入った森の中にある。もとはギミ崎の安部と嘉陽の境にあったといい、戦前、現在の場所に移動したという(仲松弥秀氏の1967年の調査ノートによれば、この拝所はテニヤ御嶽と称し、天仁屋の方角を向いていたという。)。

戦前には12人余の神役がおり、行事をとり仕切っていた。聞き取ることができたのはノロ、ニガミ、ワキガミ、ニーブガミ、タイコガミ、サグンガミという神役である。ニーブガミは神酒をつぐ役割、タイコガミは儀礼の際、太鼓を叩く役割、サグンガミは魚を捕り神に捧げる役割であるという。ノロは比嘉家(屋号メージョウ)、ニガミは宮城家(屋号メームトゥヤー)からそれぞれから出ていた(現在ではノロ、ニガミともに役割を担う者が存在しない状態である)。ワキガミはセドヤー、アラカチヤー、オナガヤーなどの旧家から出ていたようである。またニーブガミには比嘉家の男性がなる。集落から二百メートルほど北方にはノロに与えられたノロ地(田)があったそうで、とても良い土地で面積は千坪を超えていたという。

集落の北東部には拝所が集中しており、比嘉家のすぐ東手にはヌンドゥルチの拝所がある。道を挟んで東には大きなガジュマルがあり、アスンナー(遊び庭)と呼ばれる広場になっている。アスンナーにはニガミヤー、アジヌヤー、ニーブガミの拝所がある。この三つの拝所はアスンナーの別々の場所にあったが、近年一つにまとめられた。アジヌヤーには位牌と綱引きに使うトゥールという旗頭が保存されている。この位牌は古いもので何が書かれているかは読みとることができないという。ニーブガミの拝所は比嘉家の拝所であり、ムラ行事で御願することはない。

比嘉家のすぐ西にはティンナドゥンチ(天仁屋殿内)がある。この中には出所がよく分からない七つの香炉が置いてあると言い、5月15日に安部・天仁屋の比嘉門中が御願に来ていた。嘉陽の比嘉門中は次男腹であるといい、長男腹は安部のカヨンヤと呼ばれる家であるという。ティンナドゥンチのすぐ西には獅子を納めているシーシーヤーがある。旧八月十五日のウシデークでは獅子の誕生を祝い、獅子舞が行われる。このシーシーヤーは字が管理している。

ヌンドゥルチ脇のヌンドゥルチジョウグチはカミミチで、葬式の際、この道を通ることはできなかった。また、ヌンドゥルチからウイグシクへのウトゥーシまでの道もカミミチということである。

集落には明治ガー、大正ガー、タニキリチンガー、イズミガーの4つの水源(カー)がある。明治ガーは以前若水を汲んでいたカーである。大正ガーは大正時代に掘った井戸だが、水があまり出なかったということですぐ蓋をしてしまった。この4つの井戸は御願の対象であり、旧1月1日のカーウガミなどに拝まれる。また、ウイグシクヤマのふもとにはヤマダガーと呼ばれる湧き水があって、そこは9月ミズナディの水を汲んだり、産水として利用された。

集落の年中行事と行事の地点は以下の通りである。なお、行事の日は旧暦で記す。

1月1日 ハチウガミ(カーウガミ)

集落の拝所を回る。拝みはヌンドゥルチから始まり、ニガミヤー、パマイタラシキ、ヤマダガーと回り、そこで東・西に分かれ、東の者は2つの井戸(タニキリチンガー、イズミガー)を、西の者は西の井戸(大正ガー、明治ガー)を御願する。以前は東・西関係なくすべての場所をみんなで御願してまわったという。

1月16日 ジュウロクニチジューコー

この日は門中がそれぞれアジバカ・ナドーハ・ハーバタに分かれ、墓を拝み、浜におりて食事をした。この行事は四月の清明祭と同じような形との理由で戦後行われなくなり、現在では線香を供える程度である。

1月16日 ピンゲーシ

昔、嘉陽で大火事があったことに由来する。この日は集落の悪いものを祓う日といわれ、戦前すでに行われなくなった行事である。集落の青年が、浜に下りるヌンドゥルチジョウグチ、ナハジョウグチ、イリジョウグチの三つの道のシマハスジと、現嘉陽小学校付近に分かれ、小学校側の青年が「ピードゥイ」と叫ぶと、道に待機していた青年たちが「ホーハイ、ホーハイ」と叫びながら悪いものを追い払った。

3月3日 サングヮツサンニチ

海で亡くなった人々の霊を慰める日。集落前のメーバマに降り、御願をする。以前は、ノロが浜に降りて御願をするハマウリの日であった。

4月吉日 アブシバレー

以前は2日間だったが、現在は1日に短縮された。以前はノロが舟でキョウに渡り、そこから芭蕉の葉で作った小舟を流し、アガリカタバレまで流れていけと唱えたという。現在は弁当を持って浜に下りる。その際、ウイグシクに向かい御願をする。以前は1日目をムンガタイと呼び、家畜と家人すべてが浜におりた。2日目はハーリーや角力をとった。

5月15日 グングヮツウマチー

各門中がその祖先を御願する日。天仁屋殿内には比嘉家が礼拝する。

6月26日 チナピキ

浜で綱を引く。綱引きの際の旗頭はアジヌヤーに保管されているという。綱は集落のアガリ・イリで分かれて引いた。雌綱がアガリ、雄綱がイリであった。ノロはこの日、カミに手を合わせ豊作を祈願する。

8月15日 ウシデーク

ヌンドゥルチの木の下で着替え、アスンナーでウシデーク(臼太鼓)を踊る。また、この日はシーシーヤーの獅子の誕生の日と言われ、獅子舞が奉納される。この臼太鼓の踊りはティンナドゥンチから始まるといわれている。

9月9日 クングヮツクニチ

ヌンドゥルチ、ニガミヤー、パマイタラシキ、ウイグシクをウトゥーシして拝む。昔は各家庭でごちそうを持ち寄り、パマイタラシキの木の葉に載せて皆に振る舞ったという。

9月20日 クガツミズナディ

嘉陽集落最大の祭りごとである。集落の人々全てがウイグシクに集まり、ノロからヤマダガーの水と米を頭につけてもらった。また、その年生まれた新生児の祝いもしたという。ノロなどの神役はヤマダガーの湧き水を取り、ウイグシクの裏から山に登った。

10月吉日 タントイ

稲作をしていた頃の稲の浸種の祈願。現在は行われていない。

11月吉日 シュキウンネー

甘藷を育てていた頃の行事。イモを植え付けた後、成長を祈願した。現在は行われていない。

11月吉日 キリシタン

日取りは聞くことができなかった。その年生まれた新生児の祝い。女たちはその年に生まれた子供をヌンドゥルチで報告して祈願する。その間、男たちは字の事務所に集まり酒を飲んだという。現在、新暦の12月24日にその年生まれた子供の祝い事をしている。

12月8日 ウニムーチ(シワシジョウガチ)

鬼餅をつくり食べる。以前は、集落の入り口に豚の骨を十字状に結んだものをシマハスジに吊し、悪いものが集落内に入らないようにしたという。この日は嘉陽橋にヒジャイナー(左綱)を張った。

出典:「民俗3 民俗地図