運天原

運天原(うんてんばる/うんてぃんぶろー)

運天原区の現況

世帯110 人口390 面積1.00k㎡

運天原は、方言でウンティンブローと呼ばれ、屋我地島の北西部に位置し、運天水道(ワルミ水路)を挟んで対岸には今帰仁村の運天と上運天がある。北に古宇利島、その遠方に伊是名や伊平屋島、そして北東には国頭や大宜味の連山が望める。弁ガ崎付近の塩田跡から対岸の運天港がよく望める。現在、塩田跡にクルマエビ養殖場がつくられている。集落は、千枚岩からなる丘陵地や海岸に近い低地に家が散在している。集落の形成は、そう古くはなく明治初期に首里や那覇から寄留してきた人たちからだと言われている。

昭和6年に饒平名と我部の一部を合わせて、新しく行政区を設けたこともあり、僅か四つの小字からなる。主な施設に運天原公民館や沖縄養殖センターがある。

出展:「わがまちわがむら

人口397 世帯数120

明治前期から主に首里系の士族が屋取集落を形成する。昭和6年、饒平名の杣山、浜苗代、運天原、運堂と我部の大池を合わせて行政区運天原が成立。昭和26年地籍字となる。戦前海岸に塩田がつくられ、製塩業が盛んであった。近年、丘陵地では県営圃場整備事業が進められた。県史跡の運天原サバヤ貝塚、市史跡のオランダ墓(1846年建立)がある。

出展:「名護市の小字

運天原のわがまち・むらのアルバム

運天原の集落・環境屋号図

運天原の小字 区界図と小字一覧

運天原のあゆみ、小年表

運天原の人口と産業

運天原の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)

運天原の伝統文化

運天原の文化遺産