年表 昭和40年代

年表 昭和40年代の出来事

参考文献:5000年の記憶 名護市民の歴史と文化

1965年 (昭和40)

1月 佐藤・ジョンソン共同声明

2月 米軍、北ベトナム爆撃を開始

4月 ベトナム紛争介入抗議県民大会

5月 第1回名護町社会教育研究大会

6月 名護城で「和球の碑」除幕式

6月23日 この年から慰霊の日を23日に改める

7月 沖縄からB52ベトナム爆撃

8月 佐藤首相―行来沖、来護

10月 名護西海岸が沖縄海岸政府立公園に指定

この年、羽地西部土地改良組合設立

1966年 (昭和41)

3月 屋我地、金島点灯

4月 名護町の自動電話開通

6月 名護町役場前庭の「名護親方程順則聖人像」入魂式

7月 東映「網走番外地」、名護の城海岸でロケーション

10月 医療保険適用

10月 名護町に琉球林業試験場落成

12月 名護岳に名護青年の家開所

1967年 (昭和42)

1月 名護町新生活実践協議会総会

1月 北部製糖羽地事業所落成(稲嶺)

2月 教公二法の実質的廃案協定結ばれる

3月 名護町立崎山図書館開館

4月 名護町立南保育所開設.

6月 第1回名護町総合共進会

9月 名護ブロック合併促進協議会第1回総会

9月 羽地村議会、水道公社の源河川採水に同意.

10月 第20回名護町陸上競技大会,

10月 『久志村誌』発刊

この年、イリオモテヤマネコ発見され、新種と認定される

1968年 (昭和43)

1月 ジョンソン米大統領、主席公選を認める

1月 第1回名護町青年駅伝大会

2月 B52、嘉手納基地へ常駐をはじめるB52撤去要求県民大会

2月 名護ブロック町村合併総会

4月 全軍労、10割年休闘争

7月 名護の農業試験場移転をめぐり町民大会を開く

7月 名護ブロック町村合併促進協議会総会で、合併のめどを1969年7月1日に決定

9月 台風16号デラ通過、名護の東江・城・港区の護岸決壊

11月 主席・立法院議員選挙 初の公選主席に屋良朝苗当選

11月 嘉手納基地でB52墜落事故

11月 いのちを守る県民共闘結成

12月 5カ町村合併臨時総会

12月 辺野古に米海軍弾薬基地(核貯蔵)の建設計画が明るみに出て住民にショックを与える

1969年 (昭和44)

2月 2・4ゼネスト回避される

2月 いのちを守る県民総決起大会

2月 第10回名護マラソン

4月 沖縄連と沖実委、初の沖縄デー統一集会

4月 北部工業高校・産業技術学校開校

5月 北部畜産振興期成会発会

5月 北部養豚業者組合結成

6月 全軍労24日寺間スト 安保廃棄・B52撤去・即時無条件全面返還要求県民大会

6月 安和・勝山区民、琉球セメントエ場の煤塵に対し抗議集会を開く

7月 名護町青少年l建全育成大会

7月 名護の第1地区土地区画整理事業起工式

7月 町村合併第1回総会

7月 水道公社、福地川ダム建設に着工

9月 合併5町村議員全員懇談会

9月 沖縄三育中学校が旭川に開校

10月 名護、台風12号で大雨 降雨量800mm、家屋浸水3000戸余

11月 佐藤・ニクソン共同声明

11月 琉球セメント煤塵防止で安和・勝山区民200人が工場に座り込む

1970年 (昭和45)

2月22日 5町村の合併決まる

3月15日 名護町議会、合併は「対等」形式を決める

5月 稲嶺で養鶏のニューカッスル病が蔓延、 8万羽を焼却処分する

5月 喜瀬の部瀬名岬に海中展望塔が完成する。

6月 沖縄返還協定作成交渉はじまる

6月 沖縄本島内の電話のダイヤル化が実現する

8月1日 名護町・屋部村・羽地村・屋我地村・久志村の1町4村が合併して名護市誕生、市制を施行する

8月 沖縄海中公園が開園

9月 琉球政府、沖縄の長期経済開発計画発表

9月 初の市長選挙 渡具知裕徳当選

9月 初の市議会議員選挙24名の市議誕生

11月 国政参加選挙

12月 名護市広報「市民のひろば」創刊

12月20日 コザ暴動

1971年 (昭和46)

1月 名護市老人クラブ連合会結成 民間団体では最初の統合

1月 毒ガス撤去作業はじまる

2月 大浦湾を中心に臨海コンビナートの建設計画促進のため本土調査団が来沖

4月 名護・久志漁協合併

4月 サンゴを食い荒らすオニヒトデが西海岸に異常発生

5月 返還協定粉砕全県ゼネスト

5月 久志に私設沖縄貝類標本館落成

6月 カラ梅雨で、水道公社が非常事態を宣言

6月 川上公民館敷地に「羽地大川改修顕彰記念碑」建立

7月 名護市青年団協議会結成

7月 第1回名護市社会教育研究大会

7月 名護の九年又ダム千上がり、夜間断水へ踏み切る

7月 名護青年会議所、全琉初の「模擬市議会」を開く

8月 [世・米]ニクソン米大統領、 ドル防衛非常事態宣言

8月 立法院、通貨切替えに関する要請と海洋博誘致を決議可決

9月 名護市婦人連絡協議会結成

9月 喜瀬海岸、市民海水浴場に指定される

10月 辺野古の核貯蔵庫、国会で暴露される

10月 日本政府、1975年に沖縄で国際海洋博覧会開催を決定する

11月 沖縄返還協定批准反対ゼネスト

11月 参議院沖縄返還協定特別委員会、返還協定を強行採決

11月 屋我地の饒平名で「こどもあそびひろば」を区民協力してつくる(924席)

この年、安和・勝山区のセメントエ場煤塵問題、会社側と円満解決にいたる

この年、屋我地の饒平名・済井出で沖縄農業開発実験調査地区構造改善事業に着手(55ha)

1972年 (昭和47)

1月 第10回名護桜まつり

2月 沖縄国際海洋博覧会誘致郡民大会

3月7日 全軍労、無期限スト突入(4月10日打ち切る)

3月 名護高等学校、春の甲子国大会に出場

3月 名護市営市場に2階を増築して、市で初めての市営住宅(12世帯)ができる

3月 名護市青年団協議会、第1回青年祭を開く

3月 天仁屋・三原。久志の各小学校に併置されていた中学校を新築の久志中学校に統合する

5月9日 琉球政府、CTS(石油備蓄基地)用地として宮城島と平安座島間の埋立認可

5月 名護湾の埋立、認可される

5月15日 施政権が日本に返還され「沖縄県」となる(本土復帰)

どしゃ降りのなかで沖縄処分抗議5・15県民総決起大会開催

5月15日 通貨交換始まる 1ドル対305円

5月 名護市福祉事務所開設

5月 在ペルーの名護市出身者、「名護市郷友会」を結成

5月 古我知焼窯跡、県史跡に指定される

5月 久辺小中学校分離

5月 復帰を境に辺野古の基地の街衰え始める

5月 辺野古ダム、県企業局に返還される

5月23日 沖縄開発庁沖縄総合事務局開局

6月8日 那覇防衛施設局開設

6月25日 戦後初の沖縄県知事選挙 屋良朝苗(革新)当選

6月30日 自衛隊、沖縄への本格的移駐開始

8月 名護市総合計画審議会発足

8月 仲宗根重吉著『饒平名郷土誌』発刊

8月 第54回全国高校野球選手権大会で名護高校は、北関東代表の足利工業高校に1点差で惜敗

10月 国民健康保険制度スタート

10月 住民登録実態調査実施

10月 各市町村に農業委員会設置

10月 復帰に伴う本土―沖縄間のダイヤル通話が開通する

11月 名護湾埋立工事起正式

12月18日 沖縄振興開発計画(10カ年計画「一次振計」)決定

12月 名護漁港起正式

12月 羽地大川送水開始

12月 名護市文化財保存調査委員会発足する

この年、嘉津宇岳・安和岳・八重岳一帯が自然保護区として県天然記念物に指定される

この年、羽地西部土地改良事業完了

この年、屋我地東部畑地帯総合土地改良事業に着手

1973年 (昭和48)

2月 屋部地区に簡易水道第3期工事完了し、初の水道引かれる

3月 屋部の久護家、県の有形文化財に指定される

3月 辺野古漁港・汀間漁港竣工

4月24日 米海兵隊、実弾砲撃演習のため県道104号を封鎖

5月3日 沖縄特別国体(若夏国体)開幕

5月 名護市総合計画基本構想を答申

6月 沖縄自動車道起正式

6月 屋部小学校のデイゴ、名護市の天然記念物に指定される

7月 名護市民海水浴場オープン

7月 源河仲瀬原に屎尿処理場完成

8月 名護市制3周年記念 市民の歌、市民憲章、市民の花・木・花木・鳥・蝶。魚・貝を制定

9月25日 CTSに反対する「金武湾を守る会」結成

12月 久志地区の導水トンネルエ事で川の水が消え、名護市が工事中止要求書を提出

この年、安和のくばの御嶽、県民俗文化財に指定される

1974年 (昭和49)

1月 大西区に手づくり公園完成

2月 名護市、「自転車安全利用モデル市」に指定される

4月 古我知で仲宗根隆明、古我知焼を復元

7月10日 伊江島射爆場で米兵による地元青年狙撃事件発生

8月 市長選挙 渡具知裕徳再選

8月 第3回名護市民講座開催

9月5日 公有水面埋立免許無効認定訴訟(CTS訴訟)提訴

10月 羽地内海で共和丸転覆事故

10月17日 県道104号越えの米軍実弾砲撃演習、ゲリラの着弾地潜入で実力阻止(喜瀬武原闘争)

11月 第1回やんばる展開催

11月 名護市商工会青年部創立

12月 第1回久志農業まつり開催