1945年

昭和20年

1月 第2次現地防衛召集(満17~45歳の男子)

1月 中南部疎開者受け入れのため、名護町公有林内に避難所365棟設営計画

1月22日 第2回沖縄大空襲 名護町には被害なし

1月31日 第二中学校生徒300名で組織する学徒隊結成(鉄血勤皇隊)

1月 南明治山県有林から大量供木

2月1日 郷土防衛隊召集 名護町関係者480名

2月 県内人口調整で10万人を国頭郡に立退き移動することを決定

2月 市町村単位で国土防衛義勇隊を編成

2月 国頭郡の疎開者受入態勢整う.

2月 名護町の幸地又の食肉加工工場竣工

2月4日 久志村で避難命令がでて、山中に避難する 瀬嵩に機銃掃射があり危機愈々迫ると判断

3月1日 第3回沖縄大空襲 空襲下に本年度徴兵検査を第三中学校で執行

3月 第三中学校等、鉄血勤皇隊を編成して各部隊に配属される

3月23日 第4回沖縄大空襲 米軍の本格的な沖縄作戦始まる

3月24日 前日に引続き大空襲 名護町内に初めて火災おこる.東江及び城海岸の集落炎上

3月25日 夕暮れ、名護町の住民に避難命令がでる 町行政停止

3月26日 米軍、慶良間諸島に上陸

3月27日 護郷隊及び鉄血勤皇隊の一部は多野岳、残りは真部山の前線に戦闘部隊として配備される.

4月1日 米軍、沖縄本島中部海岸に上陸 米軍は沖縄上陸作戦を「アイス・バーグ作戦」と呼び、艦船1500隻、兵員延べ54万人を投入した

4月6日 米軍、名護に進攻

4月7日 米軍、名護湾の沿岸3地点から上陸を始める

4月8日 米軍、名護・羽地線を封鎖、占領

4月 米軍により羽地の田井等・親川・川上区域に田井等地区設置される 川上の前原に軍の食糧倉庫と捕虜収容所が設けられる 田井等収容所等へ、名護町の一部住民の収容始まる またこの頃、米軍は真喜屋に海軍病院、親川に警察署を設置する

4月16日 国頭支隊、八重岳を撤退して多野岳ヘ

4月 米軍、羽地小学校にモータープールをつくる

4月 久志の大浦崎に上陸した米軍は補給基地を建設

6月 日本軍、北部山岳地帯各所で逮撃戦を展開

6月23日 日本軍の組織的な戦闘終結

6月下旬 大浦崎に米軍が駐屯し、山中に避難していた住民は下山を始める

6月末日 今帰仁。本部・伊江の住民は、米軍により大浦崎に集団移住を命じられ、急ごしらえのテント小屋生活が始まる

7月2日 護郷隊解散

7月 汀間~天仁屋の住民及び避難民ら、米軍によって追い立てられ、万余の人々が集められた

8月4日 米軍、北部掃討戦を終了を宣言

8月 瀬嵩で青空学校が開設される

8月15日 [日]天皇、「終戦」の詔書を放送する。