底仁屋の人口と産業

底仁屋の戦後の人口の動向を見ると(推移グラフ参照)、昭和35年には25世帯・人口135人である。同40年代前半まではほとんど変化なく推移したが、その後少し減って昭和57年には94人になった。近年は蛸える傾向にあり、昭和60年現在109人である。25年前に比べて2割ほど減少したことになる。世帯数はこの間ほとんど変わらず、近年やや増えて、現在28世帯を数える。25年前に比べると、3世帯増えている。

底仁屋の産業の現状を産業別就業者の構成について見ると(同表参照)、就業者60名の内、第1次産業78%、第2次産業5%、第3次産業17%という構成で、第1次産業に従事する人が圧倒的に多い。底仁屋のこの就業者構成は、ここ15年ほとんど変化していない。第3次産業はサービス業が主である。

底仁屋の基幹産業である農畜産業について見ると(艇業基本統計表参照)、現在農家は20戸で、経営耕地は全体として15haを保有している。以前に比べて大きく減っているのは、土地改良事業が実施中のためである。作物の収種・戦培面積では、キビが第1位で、果樹・野菜類.施設園芸・パインの順となっているが、販売では施設園芸が伸びている。底仁屋は、名護市でも早い時期に野菜作りや施設園芸に取り組んだところである。また、底仁屋花き団地が、昭和56年度(ビニールハウス約1.5ha)と同58年度(同約1.2ha)に整備された。畜産はもともとあまり盛んではない。

出典:「わがまちわがむら