汀間の年中行事:編集中

◆神行事を中心とした汀間の年中行事

汀間の年中行事を、神行事を中心に復元すると、以下のようになる。

正月〔元旦〕かつては汀間ノロをはじめ、瀬嵩、汀間、大浦の三ヶムラの神人による瀬嵩ウタキ拝みがあった。

1月〔3日〕 カーメー(川拝) 21か所の泉川などの巡拝。井泉の拝みで、「井泉参り」の意。「河願」とあてている。嘉手苅、カニマンガー、マチハマヤー(松浜屋)、イジミガー、イリウフヤ(入大家)で御願を行う。この日、ウプウタキにムラの人口を表すサニを下げる。善後の祝いをカニクウフヤーでおこなう。

〔16日〕クサティ御願(腰当御願) 重箱、餅、酒を供え、クサティで御願を行う。一般の家では墓参りがあった。

〔末日〕(日取)ピーヌウガン(火の御願) 神御願で23か所を拝む。火災防止の祈願。

3月〔3日〕三月三日御願 二か所で御願がある。一般の家ではハマジューコー(浜焼香)といい、海や集落外で不幸にあった人の家族が浜下りして、海にむかい祈願する。

〔清明祭入日 シーミー(清明祭)〕 清明祭を行う。

4月〔日取〕アブシバレー(畦払い) 2か所で御願。 害虫払いの行事である。干潮時に拝所で御願を行う。嘉手苅橋の中央でも御願をし、ごちそうを川に流す。また、バッタを植物の葉で作った小船に乗せて流す。

5月〔日取〕シヌグ拝み(二か所+浜先御願) ノロ、根神、神人、区長などが参加して稲につく虫を採り、女性たちはウェンチュビラシという平石の上で南の海に向かって祈り、男たちがそばで虫を流す。ウェンチュビラシでは神人は白装束になる。

5月(日取り) ウマチー(御祭り)三日前拝 ウマチ一3日前にあたり、ニガミヤーとヌンドゥンチ(現在サンカジュ)で御願を行う。

5月〔日取〕ウマチー(御祭り) ウマチー(稲穂祭り)と山留の御願である。神人は白装束を着る。玉城屋から神酒を持ってくるのが慣例だった。

6月〔日取〕ヤマアキウイミ(山明折目)(アキ折目とも) 宮城真治によると、男神のチヂン神が大浦、瀬嵩、汀間、安部の四か字をまわり、ノロもまわる。この日から新稲を家に入れ、新米で神酒をつくる。稲穂を三本ずつヌンドゥンチ、根神屋に捧げる。まだ稲刈りは終わっていない。

6月〔日取〕ナーガラ倒し ナーガラとは穂刈したあとの稲の残桿のことで、それを倒して土中に埋めることを指すと思われる。

次期の耕し初めか。※現在は廃止(要確認)

〔24日〕カミウガン(神御願) 現在はもとのヌンドゥンチ、根神屋、アサギへの拝みや、タプウタキへの拝みを現アサギのなかでおこなう。かつてはウムイ(神歌)などの練習もしたという。

〔25日〕ウイミ(折目) アサギで白装束の神人が御願を行う。ノロが大浦、瀬嵩をまわる。

〔26日?日取?〕カーミヌホーガイ ノロが安部の根神屋の庭で「カーミヌホ一ガイ」(漁労儀礼とウムイ)、舟漕ぎ儀礼とウムイをしたあと、汀間に帰り、現アサギの庭で同様の儀礼とウムイをおこなう。三人が小太鼓を打つ。ミキ(神酒)を供える。

7月〔日取〕ワラビウイミ? 童折目(7月下旬ころという)。ミキを供える。

〔7日〕七夕御願(二か所)。

〔13日〕ムラ踊りのスクミ(仕込み)の日 御願をして、ウンバハリのアサギマーで踊った。

〔15日〕御願(2か所)

〔16日〕御願(三か所) 踊りのショーニチ(正日) イリギッチャで踊る。

〔17日〕ワカレ御願 御願(1か所+根神屋)をして、最後に踊る。

8月〔10日〕折目 9日~15日までをスバシ(柴差し)といい、10日に各家の隅にグシチ(ススキ)を差した。

〔11日〕綱引き 角力 松明を焚いて綱引きを行う。その後アサギ横の広場で角力大会を開催。

〔15日〕十五夜拝み ウシデークをした。

9月〔9日〕タキヌウガン(嶽の御願)4か所 菊酒、シチグ(餅粉をこねたもの)を供え、お宮、大御嶽で御願。神人は白装束である。区の人口(男性・女性の内訳)が御願の言上で報告される。 このときにもウプウタキにサニを下げたようである。

〔15日〕 カーメー(川拝)(2回目) 嘉手苅、イジミガー、上記近く?、カニマンガーの4カ所で御願を行う。イリウフヤ、マチハマヤーも関係する。最後の祝いは松浜屋でおこなった。

〔23日〕アガリヤー(東り屋)御願 伝吉屋で御願がある。マタヨシヤー(文吉屋)よりご馳走が出る。昔は月が上がるまで三線などで毛遊びをしたと伝わる。

10月?11月?〔10日〕キリシタンチョ一 昨年10月11日以降に生まれた子の祝いをする。神行事ではない。女は根神屋に集まり、男は区事務所に集まった。

〔日取り〕 タントゥイ(種子取)三日前拝、イピーウガミ(イピー御拝) タントウイ行事三日前にノロと根神がイビープックで御願を行う

〔日取〕タントゥイ(種取り) 種取り行事当日は、ウンバハリの一番地屋、松浜屋でおこなった。

11月〔日取〕ウンネ(芋煮)御願 甘藷の御願である。根神屋、ヌンドゥンチでおこなう。イモを集めるのは、玉城屋の役割だった。

11月〔日取〕ピンゲーシ(火返し) 青年会がおこなう。ウンバハリのアダナヤーから火をもらい、ムラの東の入口からイリウフヤーまで「ホ一ハイ、ホ一ハイ」とかけ声をかけながらムラ中をまわる。宮城真治によれば、青年たちが火を焚き、それを消してから、ブリキ缶やホラ貝で音をたてながらムラの西はずれまで行く。瀬嵩に向けて火を追い払うという。

12月〔8日〕ウニムーチー(鬼餅) (五か所で御願) この日にムーチー(餅)と豚のソーキ骨(肋骨)を左縄に差したものを、ムラの東西両入口に下げた。これをシマクサラーといった。お宮で御願後、久昌屋の前浜で御願し、豚肉ほかの供物を海に放り投げ、沖に流した。