瀬嵩の文化遺産

瀬嵩の文化遺産

文化財・史跡

瀬嵩の名木といえば、まず久志小学校の裏の丘にある「校園松」(推定樹齢200年)が挙げられる。ふもとにはウブガー(産川)もあり、昔から大事に保護されてきたのであろう。久志小学校校歌の一節にも「瀬嵩が丘の松風に/星霜うつる百余年……」と歌われ、人々から親しまれてきた老松である(比嘉一雄:名護市の名木所収)。

公民館広場には推定樹齢220年を経る福本や、見事なホルノキ(推定樹齢90年)、 巨大なモクマオウ(推定樹齢40年)が生育している。

碑文・ハル石

瀬嵩では三立原にあるハル石「ね・さんたち原」が、昭和58年3月23日に市の史跡に指定された。県内では数少ない根石を持つ土塚がよく保存されていて貴重である(名護市の文化財第二集)。

公民館広場の隅には、日中戦争から第2次世界大戦・沖縄戦での久志村出身戦没者364名を慰霊する久志村「黎魂之塔」が建つ(名護碑文記)。

  • さんたち原のハル石
  • 黎魂之塔

地域史料

瀬嵩は、沖縄戦直後、北部でも大規模な民間人の収容所が設置され、瀬嵩市の中心機関が設けられた。中南部からの疎開・避難民の人々も多くここに収容され、生活を共にした。ここで亡くなった人々も多い。瀬嵩公民館には当時の貴重な記録である「墓地台帳」が保管されている。

伝説・昔話

高山城の按司とウミグヮ墓」「瀬嵩の始まり」「瀬嵩のヌルガー(祝女井)」「五つ若森」「カンサと瀬嵩(シダキ)カマルー小」

組踊「高山敵討」