屋我の伝統文化

拝所と祭祀

近世の屋我の御嶽として、「由来記」には屋我之獄(神名マレカ神根森之御イベ)が記される。また、屋我ノロ火神と神アシアゲがあり、そこで行なわれる祭祀は屋我ノロが司った。当時の月々の祭祀は、一覧表の「由来記」記事に見る通りである。

集落の北の外れにある松林の丘はヤガウガミといい、そこにアサギとニガミヤーがある。さらに北にヤガグシクがあり、旧9月9日の豊年祭にはここを拝んでから祭に入ることになっている。グシクの南側をプルジマと呼び、屋我発祥の地である。その近くにヤガガーとミーガーという拝井泉がある。集落の北東側の海岸近くにはキンザ・トウガミという拝所があり、旧10月のウンネーの時に拝まれる。

伝統的な年中行事は、表に見る通りである。旧1月1日のハチウガン(初拝み)、2月15日の二月ウマチー、5月15日のウマチーにはヤガウガミを拝む。4月のアブシバレーは饒平名・済井出と合同で祈願する。その際、屋我は虫を入れて流す舟を準備することになっている。8月11日にはハタスガシといって、旗の虫干しを行なう。9月9日は豊年祭で饒平名ノロを中心にしてニーヤー(根屋)・ヤガウガミ・ヤガグシク・ヤガガーの順に拝み、その後ヤガウガミで踊りが行なわれる。

芸能

5年に一度の村踊りは、集落の北の外れにある、アサギと呼ばれる小高い丘で行なわれる。そこに仮設舞台を設けて行なわれていたが、昭和61年には常設の舞台が新設され、その年には落成を祝って確大に村踊りが催された。以前は1日8月9日に庭出(ミャーイ)じゃし、10日に仕込み、11日に正日、12日別れと4日間やっていた。演目には、若衆舞い・二才踊り・長者の大主があり、戦前には、組踊「姉妹敵討」「執心鐘人」もやっていた。二人棒・三人棒などの組棒もあったが、今はない(宜保栄治郎:名護市の民俗芸能)。

出典:「わがまちわがむら