名護城

名護城(なんぐすく)(史跡 未指定)

今日では、桜祭りの名所として全国的に有名になった名護城は、名護市の歴史のなかで重要な位置をしめる遺跡のひとつである。

名護城に人々が住み始めたのはいつ頃だったのだろうか。発掘調査の行なわれていない今日では、正確な年代は不明だが、これまで採集された中国製磁器類・類須恵器・グスク土器などの様々な遺物から推察すれば、少なくとも14世紀(約600年前)まではさかのぼることができ、十分に古くなる可能性がある。

時あたかも考古学の時代区分で「グスク時代」とよばれる時代であり、奄美諸島から八重山諸島までグスク(グシク・スク)とよばれている所、またはその近くに人々が居住した時代である。そして、それまで数千年にわたる海山の自然物の採集・狩猟による生活から、農業を中心にした生活に転!奥した時代であった。おそらく名護においても、名護貝塚などの沖縄貝塚時代後期(約2000年~800年前)の遺跡から名護城へ居住の地が移り、同時に自然物採集から農業へと生活の方法が変ったと考えられる。

「グスク」が、最初、聖域だったのか、集落なのか、あるいは「城」だつたのかという論争が名護城にもあてはまるが、これまでの考古学の表面調査や伝承だけからは判断することは困難である。しかし、名護城からは、中国製、日本製の陶磁器、類須恵器、種々の石器などが豊富に採集され、将来の発掘調査によって重要な諸事実を明らかにする可能性を秘めている。

出典:「名護市の文化財第2集」