屋部区の人口と産業

屋部地区の中心であった屋部は、以前から人口規模が大きかった。

屋部の近代の人口を見ると、まず明治13年には戸数263、人口1,426人(内男758)を数える。この年、名護間切13ヵ村の中で人口第1位である。また、他の村と比べて、女に対し男が90人も多いが、理由は明らかではない。同36年には1,851人(内男928)で、この間人口は1.3倍に増えている。この年、屋部は名護間切11ヵ村で名護(元の東江・城・大兼久)に次いで第2位の人口規模である。また、同年の平民人口1,407人に対し、士族人口は400人(22%)で、名護間切ではやや士族人口の割合が高い村であった。

戦後の人口の推移を見ると(推移グラフ参照)、昭和35年には243世帯・1,271人であった。その後、人口は昭和42年頃まで僅かながら増加を続けた。同45年に一時的に急減するが、その後は同54年まで再び徐々に増えて、同年1,350人に達した。それ以降やや停滞し、最近は増加傾向にある。昭和60年現在1,329人を数え、25年前に比べて1.05倍増加している。世帯数はこの間徐々に増え続け、現在371世帯を数える。25年前に比べて1.5倍に増えた。

屋部の産業の現状を見ると(同表参照)、就業者535名の内、第1次産業22%、第2次産業18%、第3次産業60%という構成で、昭和50年以降第3次産業に従事する人が多くを占めるようになった。

その第3次産業では、サービス業(42%)と卸小売業(28%)が7割を占め、運輸通信業(14%)・公務(12%)がそれに次ぐ。第2次産業は、製造業。建設業がほぼ同数である。

第1次産業(農畜産業)は、昭和45年~50年にかけて従事者・農家数とも大きく減ったが、その内容を見ると(農業基本統計表参照)、現在農家は96戸で、全体として75haの経営耕地を有している。屋部の農業は、以前はキビ・パインを中心としていたが、最近はキビに加えて野菜や養豚業が伸びている。作物の収種・栽培面積はここ15年の間に145haから73haに半減したが、中でもパインが大きく減っている。一方、野菜類・花き類が近年大幅に伸びている。昭和50年代後半にかけて農業の基盤整備が進められた。昭和56年度には屋部花き団地(ビニールハウス1.5ha)、また同59年度には野菜団地(ビニールハウス1.1ha)が整備された。この間、北の丘陵地の長筋山原では、農地開発事業で14.4haが造成され、あわせて新波ダム(溜池)の整備により畑地の灌漑もなされた。

畜産は養豚が中心で、屋部養豚団地の整備(昭和52~54年度)によって飼養頭数が急増し、現在2,000頭規模で養豚が行なわれている。

出典:「わがまちわがむら