年表 昭和(戦前・戦中)

名護の年表 昭和前期(戦前・戦中)

1927年 (昭和2)

10月 青木恵哉来県、癩療養所設立運動を行なう

11月 『琉球共産村落之研究』(田村浩)刊行

この年、羽地の源河の各拝所がオミヤに統合される

この年、大浦地内の楚久・杉武田を分けて三見区を、大浦股・道股を分けて大川区を分立する

1928年 (昭和3)

2月 普通選挙法による初の衆議院議員選挙

4月 第三中学校創立、開校

5月 名護町女子青年団発会

6月 私設義勇消防組を町公営に移す

7月 名護町内実業人を組織する実業団発会

9月 名護の東江袋に甘庶大茎種普及のため糖業試験場名護苗圃が設置される

10月 名護神社造営工事なる

この年、水稲台中65号種が導入される

この年、屋我地の一心会により饒平名に診療所が開設される

1929年 (昭和4)

2月 癩保養院設置問題がおこり、地元喜瀬・幸喜・許田3区民が反対を表明して決起し、名護校で町民大会を開き世論を喚起する

2月 『山原の土俗』(島袋源七)刊行

3月 名護の護佐喜宮造営工事なる

3月 国頭郡各町村組合、県道及び国頭高等女学校の負担をめぐり内紛

11月 羽地の源河・真喜屋で米作改良同盟組合を設立し、台中65号種の試験導入をはかる

12月 国頭高等女学校問題等で郡民大会を開く

この年、屋我地―周道路完成する

この年、羽地村我部祖河の武田薬草園でコカイン(キニーネ)栽培始まる(~ 1945)

この年、羽地の呉我でデイーゼルエンジンによる甘庶圧搾実施.

この年、天仁屋小学校、底仁屋原に校舎を新築.

1930年 (昭和5)

2月 衆議院議員選挙 名護町出身の仲井間宗―弁護士当選

3月 糖業試験場名護苗国技手金城広太郎ら、水稲台中65号の中間苗圃を設置して新品種の普及に努め、これより水稲熱大いに高まる

3月 国頭郡各町村組合(女学校経営共同事務)解散

4月 国頭高等女学校、県に移管され、県立第二高等女学校となる

4月 源河の津波太郎の田で本県初めての献穀田田植え式行なわれる

7月 国頭郡農会主催の稲作改良懇談会を開く

7月 暴風雨の被害甚大 名護の東江・城海岸の20余戸流失

8月 那覇―名護、伊差川―今帰仁仲宗根間の自動車営業許可

10月 名護郵便局、市内電話開設

10月 源河川でアユの人工孵化計画が進む

11月 国頭郡連合青年団の令旨奉戴10周年記念式で禁酒断行を決議

羽地村廃酒期成会創立総会

11月 羽地源河・真喜屋の稲作改良同盟組合、本年も水稲県外種(台中65号種)の指導団地を設ける

この年、羽地の嵐山と屋部の勝山に製茶工場設置

1931年(昭和6)

2月 大浦湾湾岸に海人草養殖所設置を決める.

3月 羽地村民、癩患者収容所設置に反対(~1932年、嵐山事件)

3月 久志村吏員、減俸決議から同盟欠勤

4月 沖縄近海汽船(本朱)設立 名護航路を開く

4月 屋部に郵便局取扱所開設

7月 名護商業者の昭和六会、海運業を開く

9月 名護小学校教員給料支払い遅延

この年、屋我地饒平名の杣山・浜苗代・運天・運堂と、我部の大池原をあわせて行政区運天原が成立

1932年 (昭和7)

3月 名護町内重商間で組織をつくり、社外船瑞宝丸を誘致して日本本土と直接取引を始める

3月 癩療養所設置反対で羽地村役場前にて村民大会を開く

3月 嵐山保養院設置に対して羽地村各字青年団決死総会を開く

4月 名護小学校創立50周年記念式

4月 糖業試験場名護苗圃、農事試験場国頭支場に昇格

5月 羽地村理事者全員、総辞職を声明

5月 羽地の4カ字民1000名、保養院設置反対を叫び名護町に一大示威運動を展開する

6月 保養院設置反対で羽地・今帰仁両村連合村民大会を開く

6月 羽地小学校の児童、ストライキを決行

6月 羽地村役場内に保養院反対の同盟本部をおく

6月 羽地村の自治機関停止

6月 羽地村税不納同盟を組織

6月 羽地村長職務管掌襲撃事件で15名起訴される

6月 名護の食糧欠乏戸数72戸、426人と県に報告あり 猪害が原因

7月 屋部で幽霊選挙のため、名護町会議員選挙、再選挙となる

7月 名護町で3カ月間教員給料不払い

7月 羽地村で3カ月間教員給料不払い

7月 久志村で教員給料不払い続く

9月 農村救済の道路工事で青年訓練所を常欠する者多い

10月 名護町で旧税整理断行 整理委員6名配置

10月 嵐山原保養院問題、依然として反対運動続く

11月 羽地村議選挙、一人も投票せず

11月 名護の城海岸に砂糖同業組合名護支倉建つ

11月 久志村内3小学校で教員給料不払い続く

この頃、新垣バス・平尾バス、那覇―名護間を運行

1933年 (昭和8)

4月 名護町農会普及事業として、乾繭場構内に1年制の女子実業講習所開設(染色機織)

4月 時局匡救事業による名護町内道路、城港橋線及び大兼久護佐喜宮通り開通

5月 宇茂佐及び山入端で産業組合設立

6月 自治機関停止中の羽地村で1年ぶりに村会議員選挙

7月 安和水明橋竣工し、本部半島1周線なる

8月 名護商工会組織なり、旧商業団・実業団解消

11月 名護町制10周年

12月 久志産業組合設立認可

この年、猫川(勝山)青年団結成する

この年、羽地村各字で産業組合設立

1934年 (昭和9)

1月 名護署の幹旋で27小学校少年消防組を組織

1月 『名護町町制10周年記念誌』発刊

4月 県立第三中学校、自治体組織「三中村」をつくる

4月 羽地村中部土地改良組合設立(~1938年完了)

10月 久志村、財政紊乱から教員に給料不払い

この年、羽地の真喜屋、更生部落の指定を受ける

この年、高等科が併置され、嘉陽尋常高等小学校となる

この年、久志の嘉陽産業組合設立

1935年 (昭和10)

2月 名護の岸本久幸、初めてセメント瓦工業を興す(耐風瓦) 本県セメント瓦工業のはじめ

この頃、久志校区を一円とする中部産業組合を設立

この頃、久志の県道開削工事始まる(潟原―久志―瀬嵩)

3月 農事試験場名護支場、水稲品種の交配に成功、国頭1号として普及

4月 国頭郡畜産組合、名護の東江兼久に家畜市場を設ける

4月 名護に原蚕飼育場を11年度より3カ年間継続事業として設置

5月 沖縄MTL(救癩組織)結成される

5月 久志村教員に県視学から直接給料を手渡す

6月 癩療養所設置運動を続ける青木恵哉らに対して、屋部焼き打ち事件おこる

11月 羽地村、優良町村として表彰される(更生の鐘/時鐘設置)

12月 久志村の教員、 4カ月ぶりに教員給料支払われる

1936年(昭和11)

4月 郵便局取扱所、屋部郵便局に昇格

5月 服部団次郎、沖縄癩相談所開設

6月 産連、名護の城海岸に樽板製材工場を建設

8月 羽地の呉我産業組合、土地を購入、組合員が小作し10年後に所有する事業を進める

9月 安和神社のデイゴの老樹、山林会より老樹名木に指定される

10月 田港朝光一等水兵の名護町葬挙行

この年、屋我地垂F便局開設

この頃、県外出稼ぎ女工、再び激増する

1937年(昭和12)

2月 衆議院議員選挙 名護出身の仲井間宗一3選

2月 宮城鉄夫の墓に碑を建立

4月 真喜屋、県部落更生共進会に入賞、模範部落の折紙がつけられる

4月 久志郵便局に電話開通する

5月 県会議員選挙 名護の山入端隣次郎3選 羽地の宮城真治当選

5月 海軍簡閲点呼執行のため駆逐艦菊月、名護湾に来航

7月 [日・中]「日中戦争」始まる

この頃、辺野古の美謝川、行政区をつくるほどになる

8月 動員下令、名護町在郷兵32名応召

8月 防空法の実施により防護団が組織され3日間にわたる民防空演習が行なわれる

8月 名護町各部落一斉に村芝居の取り止めを決議

9月 名護登記所新築移転

9月 名護で国場上等兵の町葬挙行

11月 名護町で中部土地改良組合設立

名座喜・湯比井・宇座・宇茂佐原・志味宮原一帯に農道・耕地潅漑並びに白銀ダムの建設工事始まる

この年、振慶名の部落移転200年の記念行事として根神屋を建設する

この年、済井出の大堂原にハンセン病患者の住宅をつくる

1938年 (昭和13)

4月 名護町で林野条例実施 巡守3名を配置して公有林野の積極的営林に乗り出す

4月 屋部川河口に水門工事竣工

4月 屋部寺改築、渡波屋公園工事着手

5月 名護町に第2回動員下令 在郷兵96名応召

6月 辺野古に郵便局開設(初代局長に辺野古出身の比嘉興明)

7月 名護町営食品市場改築工事竣工

7月 名護町に市街地建築物法適用

11月 屋我地に県立国頭愛楽園開園

11月 国頭郡役所跡に国営職業紹介所設置

11月 消防組・防護団を改編、名護町警防団を組織

12月 名護町産業組合設立認可 同時に字単位の3組合を解散

この年、羽地中部(羽地大川)の土地改良事業完結する

この年、羽地小学校、田井等福地原に新築移転

この年、羽地の親川で茶の共同栽培に着手したが(番所跡570坪、山奉行所跡115坪)、戦時体制下で失敗、あと字の共有地にする

1939年 (昭和14)

2月 県立第三中学校の紛争俄然進展、全生徒も声明書を発表

3月 本県初の常設託児所が名護町に設置される

3月 名護町負債整理組合条例制定

3月 名護から朝日自動車の小型バスが初めて瀬嵩まで運行される 以後毎日運行

5月 国頭郡畜産組合、大阪へ山羊皮を移出

6月 汀間の農家32名で有畜農業経営組合を設立

7月 名護町漁業協同組合、従来の自由漁業を廃し共同漁業を決定

8月 全市町村に警防団結成される

8月 第3次動員下令 名護町の在郷兵7名応召

9月 [世]第2次世界大戦始まる

9月 宇茂佐信用販売購買利用組合解散,

10月 価格統制令施行にともない、統制経済趣旨徹底のため、名護町有志大会を開く

10月 名護町木炭生産者組合結成

10月 県立第三中学校、神宮国民体育大会の国防競技で優勝する

10月 山入端信用販売購買利用組合解散

10月 羽地村森林組合設立

11月 愛国婦人会羽地村分会発会

12月 名護小学校新校舎竣工、落成式を挙げる

この年、源河川のアユ狩りを楽しむ観光客増える

この年、汀間まで郡道延長

1940年 (昭和15)

1月 中頭郡農事大会、中頭東部一国頭間の鉄道敷設要請決議

1月 源河川を禁漁区に指定、県がアユの増殖計画

2月 名護町でも紀元2600年祭記念式を挙行

2月 炭焼部隊に呼応し、名護町でも製炭勤労作業班を結成

3月 国頭図書館(国頭郡教育部会経営)、名護の天田原に新館落成、移転

4月 久志小学校に青年学校を併置する

5月 食糧米の配給統制始まる 米穀小売業を制限

11月 名護商工会、商業報国実践会を結成

11月 無限責任久志村販売購買信用組合設立

12月 源河川で本県初のアユの人工孵化(約350万尾)を始める

12月 県工業指導所、古我知焼窯跡調査を計画

1941年 (昭和16)

1月 大政翼賛会国頭郡支部結成

3月 大政翼賛会沖縄支部、3郡協力会議員を決定

3月 名護町に国営職業訓練所、新築落成

4月 国民学校令施行 小学校を国民学校と改める。

5月 名護町警防団、貯水タンク30カ所築造を決める

6月 沖縄―の健康優良児に名護小学校の津波みつさんが選ばれる

7月 県鉄道国頭線延長問題おこる

8月 名護署管内闇防止のため豚の戸籍簿作成を決める

10月 大政翼賛会名護支部結成

11月 安里延、『沖縄海洋発展史』刊行

12月8日 [日・米]対米英戦争宣戦布告、太平洋戦争始まる

12月 名護町翼賛壮年団結成

この年、羽地村の各産業組合解散

1942年 (昭和17)

2月 名護町にも防空建築法適用

2月 名護町に森林組合設立 林産物の生産販売を統制

2月 羽地村警防議会設立

3月 国頭郡翼賛壮年団結成.

3月 名護町警防団、本県初の優良警防団として大日本警防協会より表彰される

4月 南方占領地へ出漁団を組織、名護町組合から35名参加

4月 安和・山入端にまたがる猫川に行政区勝山が成立(80戸・250人)

5月 衆議院議員選挙 名護出身の仲井間宗一4選

7月 国頭郡役所跡に国頭地方事務所復活

8月 全国体育大会土嚢運搬競技で第三中学校優勝

9月 沖縄県鉄道名護線延長問題展開し、実地調査に乗り出す

9月 山里永吉、再び古我知焼窯跡を発掘調査

この年、屋我地農会が50屯製糖工場の操業を始める

この年、農業組合法の施行により、久志・嘉陽・中部の3産業組合を統合し、久志村農業組合を設立する

この年、行政区豊原が成立

1943年 (昭和18)

2月 名護電灯、九州配電に統合、九州配電名護電業局となる

2月 水稲嘉南2号の普及始まる

3月 名護町大兼久に火葬場建設

4月 山入端・屋部の山間部を分けて行政区旭川・中山が成立

4月 天仁屋分教場、高等科を併置して独立、天仁屋国民学校となる

6月 国頭職業指導所(元国営紹介所)改め、国頭勤労動員署となる

6月 産業団体統制令施行に伴い、町農会・町産業組合その他産業諸団体を統合して名護町農業会発足

9月 翼賛会国頭支部、村芝居にかわる「邑祭り」を創案

10月 147銀行名護支店開業

12月 大政翼賛会国頭支部、本年度第1回協力会議を名護町図書館で開く

1944年 (昭和19)

1月 名護町の九年又ダムエ事着工

1月 名護町にも陸軍諸学校志願者の検査場を開設

2月 名護町の大兼久を、東・中・西・南・北の5行政区に分割

2月 名護町に県農会畜産加工場竣エ コンビーフ製造に乗り出す

3月 名護町内に球部隊所属第7080特設警備本部設置名護・羽地両町村在郷兵240名が応召入隊

3月 国頭郡女子挺身隊第1部隊(250名)を結成

3月 羽地青年学校、自前で校舎等を建設する.

3月 読谷山・伊江飛行場設営のため労務徴用始まる

4月 名護小学校第1校舎独立して東江国民学校となる

4月 久志国民学校から久志青年学校独立し、三原の南風廻原に新設

6月 球部隊所属鈴木隊、名護町に進駐

7月 暁部隊、造船用材として名護町の銭川森の松林(風致林)を伐採する

7月 各町村に防衛隊編成される

8月 護郷隊(球1818遊撃隊)編成 本部を名護町に設置 名護・羽地・本部・今帰仁4町村の青少年350名を召集訓練する

8月 戦局悪化し、学童・住民の本土疎開始まる 集団疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、766人の児童を含む1484人が死亡

10月10日 米機動部隊による第1回沖縄大空襲名護湾に碇泊中の軍船・漁船7隻撃沈 陸上には被害なし これにより住民、近郊の山に避難壕の構築を始める

1926年(昭和元) 1927年(昭和2) 1928年(昭和3) 1929年(昭和4) 1930年(昭和5)

1931年(昭和6) 1932年(昭和7) 1933年(昭和8) 1934年(昭和9) 1935年(昭和10)

1936年(昭和11) 1937年(昭和12) 1938年(昭和13) 1939年(昭和14) 1940年(昭和15)

1941年(昭和16) 1942年(昭和17) 1943年(昭和18) 1944年(昭和19) 1945年(昭和20)