宇茂佐の小字 区界図と小字一覧

宇茂佐の小字一覧

宇茂佐区小字図

アガリガニク[東兼久原] 現在は住宅が争い。北部農林高校の東側が宮里との境となっている。戦前までは住宅が少なく、畑が多かった。北部農林高校の前のグランドは桑畑、裏のグランドは田だったという。 イディガニク[西兼久原] 宇茂佐の集落の中心部。西の端にクガニムイ(黄金森)があり、獅子が祭られている。東の備にはイームイ〈伊森〉という森があり、そこで船見送りの白い煙をたいたという。 プルジマ[古島原] 西兼久原の北、東屋部川に面する。屋部、宇茂佐の発祥の地ということでそう呼ばれている。大正の初め頃までは2 軒の家があったという。現在は畑などとして利用。 アダナガー[安田根川原] 古島原の東。明治期には田んぼもあったという。古島原との境の丘陵地をイシェラーチジという。 チンポーマシ[大増原] 現在、市営団地が建つ所。以前は畑や山林。東兼久原との境の谷聞をナガサウという。 ウムサバル[宇茂佐原] 字茂佐の東部、宮里に隣接する。現在、耕地整理が進む。以前は田が多かった。そこにナグハガーという名護で一番痩せた土地もあったという。 プーミチャー[大土原]

古島原や安田根川原の北で、東屋部川に面する。ユフタヤー、ドゥルマターに田があった。ユフタヤーの田のほとんどが屋部ヌンドゥルチのものだったという。

シミャー[志味屋原]

別名、アパハともいう。川沿いに低地が多く、以前はほとんどが屋部ヌンドゥルチの田だったという。

シンパ[新波原]

中央を東屋部川の支流である新波川が流れる。その川沿いに少し田があったという。昭和17、8年頃までは、8 軒ほどの家があったという。

シンパヤマー[新波山]

宇茂佐の最も北にある小字。以前は村有林、あるいは字有林だった。現在は農地として利用されている。

宇茂佐は10小字からなる。アガリガニク・イディガニクが集落域であるが、イディガニクが古い。プルジマは宇茂佐・屋部の発祥の地とされる。シミャー・ウムサバル・プーミチャーの水田のほとんどは、かつて屋部ヌルドゥンチなど少数のウェーキの所有であったという。復帰後、チンポーマシ・アダナガーに市営住宅・県立名護養護学校などが、また北のシミャー一帯には市環境センターおよび病院や諸福祉施設の立地があいついだ。ウムサバルの南部では都市計画区画整理事業を終えた。

出典:「わがまちわがむら