久志地区小年表

久志地区小年表

1673年 名護間切10カ村。金武間切2カ村をもって久志間切が成立。

1687年 番所を久志から瀬嵩に移す。瀬嵩と真喜屋間の山道を開削し東宿のコースを変更。

1736年 大鼓村新設。1781年富久地村、1817年宮城村に改称。

1747年 川田。大川に船改所を設ける。

1834年 久志間切に下知役設置。

1883年 3月 番所の一部に久志小学校開設。

1896年 久志小学校に御真影を奉戴。

1897年 4月 間切島吏員規定公布。最後の地頭代松永久米吉(汀間)が最初の間切長になる。

11月 国頭郡農産物品評会を久志間切役場で開く。

1898年 久志校に高等科設置。

1902年 7月 久志間切の春季原山勝負開催。

1904年 4月 久辺尋常小学校生徒、指導標を立てる。

9月 遼陽占領祝捷会を久辺校で挙行。

11月 新入営兵送別会を瀬嵩の馬場で行なう。

1905年 10月 第1回国頭3間切(久志・金武・恩納)教育研究会を久辺校で開く。

1907年 11月 無限責任久志間切販売購買信用組合設立。

1908年 4月 沖縄県島映町村制施行。久志間切は久志村に、各村は字に改称。

宮城盛元(慶佐次)村長になる。

4月 久志金武両村対与那原民が対抗(6月末迄)。

5月 川田尋常小学校改築落成式並びに御真影率戴式を挙行。

1908年 11月 久志尋常高等小学校増築落成。

1910年 9月 各学校において日韓合併祝賀会を催す。

1911年 11月 久志・嘉陽・久辺3校連合の大運動会を瀬嵩馬場で開く。

久志村青年会結成。

1912年 1月 天銘小学校において3カ字連合青年会を開催。

12月 明治山造林を決定。

1913年 10月 瀬嵩馬場で久志青年大運動会を開く。

1914年 1月 久志村役場火災。瀬嵩山当屋を借り仮役場にあてる。

4月 島袋秀七(辺野古)村長に就任。

8月 久志村公金費消事件。

1915年 8月 久辺学区域連合青年会、第4回連合青年会及び農作物品評会を開催。

1916年 4月 吉元長整(慶佐次)村長に就任。

6月 久志村有志大会、役場前において開催。

7月 久志村村会議員14名当選。

12月 天銘校において同学区連合青年会を開催。

1917年 7月 春季原山勝負を嘉陽校で開く。 原は瀬嵩、山は汀間が優勝。

8月 久志村販売購買信用組合解散。

1920年 4月 玉城定善(汀間)村長に選任される。

5月 衆議院議員に当選した仲田徳三(金武)の祝賀会を久志校で開く。村民千人余り参加。

8月 比嘉万章(汀間)村長に就任(民選村長)。

1921年 郡道開通。

1923年 4月 東村分村。

1924年 8月 島袋秀七(辺野古)村長に就任する。

1926年 村役場移転。汀間から瀬嵩前徳村の民家を借りる。

1928年 4月 宮里善助(大浦)村長に就任。

1980年 9月 村長有給条例許可。

1931年 2月 大浦湾沿岸に海人草養殖所設置を決める。

2月 小僑川興仁(三原)村長に就任する。

3月 久志村吏員、減俸決議から同盟欠勤。

1932年 7月 教員給料不払い続く。

9月 産業振興資金償還で訴訟。

11月 村内3小学校で教員給料不払い続く。

1933年 12月 久志産業組合設立認可。

1934年 10月 財政紊乱から教員に給料不払い。

1935年 2月 比嘉為― (辺野古)村長に就任する。

村役場を東兼久の元養蚕室に移転。

久志校区を一円とする中部産業組合設立。

県道開削工事始まる(潟原―久志―瀬嵩)。

5月 久志村教員に県視学から直接給料手渡しあり。

12月 4カ月ぶりに教員給料。

1936年 8月 玉城定喜(汀間)村長に就く。

1937年 4月 久志郵便局に電話開通する。

1939年 久辺男女青年団、模範青年団として表彰を受ける。

1940年 4月 久志小学校に青年学校を併置。

8月 石原買― (二見)村長に就く。

1941年 8月 暴風で久志村役場倒壊。

久志村役場に電話開通。

1942年 2月 久志村翼賛壮年団錬成講習会を開く。

農業組合法の施行により、久志・嘉陽・中部の三産業組合を統合し久志村農業組合を設立。

1943年 8月 安谷屋音房(嘉陽)村長に就任する。

1945年 1月 南明治山県有林大量供本。

2月 避難命令でる。

6月 下旬から大浦崎に米軍が駐屯し、山中に避難していた住民下山を始める。

6月 末日、今帰仁。本部・伊江の住民は大浦崎に集団移動を命じられ、急ごしらえのテント小屋生活が始まる。

7月 汀間~天仁屋の住民ら、米軍によって追い立てられ万余の人々が集められた。

9月 市会議員選挙。瀬嵩市(瀬長清市長)及び久志市(仲里松吉市長)が成立。

11月 大浦崎に集団移住していた今帰仁・本部の住民は帰還を許され、17日までに移動を完了。

伊江村民は久志区の山手に移る。中南部からの住民も翌年6月までにll!買次集団帰還する。

久志国民学校に駐屯していた米軍が大浦崎に移動。

12月 瀬嵩市産業共進会を開催、大川区優勝。

1946年 1月 瀬嵩市・久志市を統合して久志村に改称(当銘由金村長)。

1月 役所庁舎落成(現支所)、久志国民学校より移転。

2月 久志・宜野座・金武の3カ村を一地区として地方庁が宜野座に設置される。

4月 久志村農業組合再建。

久志出張所を廃止。

5月 久志村農業会が再建される。

当銘由金村長名護小学校に転出、後任に安谷屋音房が就任する。

6月 米軍からの補給物資の無償配給が打ち切られる。

1947年 1月 久志村青年会再建。

久志村婦大会結成。

8月 公営バスが瀬嵩まで初めて運行、以後毎日1便運行。

1948年 2月 全琉一斉に村長選挙を実施。

久志村は無投票で安谷屋音房選任される。引き続き村会議員選挙実施。

3月 村産業共進会開催。原は汀間、山は久志が優勝。

7月 通貨改革、日本新円がB円と交換される。

11月 自由経済が実施される。

久志中学校新校舎新築落成。

1950年 2月 村役所建築工事着手。

3月 久志郵便局に市外電話開通、電話交換事務開始。

9月 村長に比嘉敬浩(大浦)当選。

1951年 1月 久志村消防隊を結成。

ペルー在住の久志村人会から村内各小学校に寄付あり。

8月 久志農業組合を解散し、久志村農業協同組合と久志村信用協同組合を設立。

1952年 9月 久志村防犯協会結成。

1954年 9月 村長選、無投票で比嘉敬浩再選される。

1957年 11月 久志村社会福祉協議会設立。

1958年 2月 久志村育英会設立。

4月 村長選挙、比嘉敬浩三選。

11月 久志中学校校舎落成。

1960年 5月 黎明の塔建立。慰霊祭挙行。

1961年 9月 久志村新生活実践協議会結成。

1962年 3月 久志校創立80周年記念式。

4月 村長選挙、松永保市(汀間)当選。

7月 久志村長生会結成。

11月 久志村農業信用協同組合解散し、久志村農業協同組合と改称・改組。

1964年 1月 全村点灯落成式。

1967年 10月 『久志村誌』発刊。

1970年 8月 5町村の合併により名護市の1地域となる。

1974年 12月 第1回久志農業まつり開催。

1975年 7月 福地ダム・石川導水トンネル通水式。

1976年 5月 久志中学校で県植樹祭を催す。

1977年 3月 キャンプシュワーブ・明治山一帯に米軍戦車道を建設。

1980年 2月 久志地区青年団協議会発足。

1984年 7月 久志マラソンコース公認。

出典:「わがまちわがむら」より