組踊 高山敵討

組踊「高山敵討」

高山城の按司は家巨大浦大主の謀反によって討ち滅ぼされた。高山按司の忠臣菊村大主と有銘の比屋は、主君の仇を討つペく時期をうかがっていたが、なかなか機会が到来しなかっ た。風の便りに大浦大主は、八月十五夜の月見の晩に、瀬嵩東り浜にて瀬嵩美童を集めて臼太鼓(ウシデーク)を躍らせ、月見の宴を盛大に催すとの情報を手に入れた。それ絶好の時機到来と、旧主に忠誠を誓った人々を集め、夜陰に乗じて酒宴たけなわの大浦大主を討ち果たした。大浦大主には思兄、思妹の二人の子どもがあった。親が討たれると同時に二人は手に手を取って現在の御産子(ウミングヮ)のある場所に逃れた。追っ手の厳しさに兄はいち早く森の上に逃れたが、妹は森のすぐ下で討ち果たされた。兄もカ尽き果ててあえなく打たれた。

親の悪欲の報いとはいえ、罪のない幼い兄妹の末路を哀れに思い、部落の人々がねんごろ に弔い成仏を祈った。これが現在では拝所として崇められている。