山田

山田区の現況

世帯数:117世帯 人口:429人 面積0.36k㎡

山田は、方言でヤマダあるいはヤマダーと呼ばれ、通称サガヤーまたはマンティナとも呼ばれる。山田の名称はヤマダターブック(山田田袋)の水田地帯にあったことに由来するという。振慶名や田井等からは、振慶名山田と田井等山田と区別した呼びかたもなされる。

集落は、伊差川から田井等へ向かう国道58号線の途中、南側山手に入った所に位置する。南の山地ハサナー(232.3m)に水源を発する尻無川[しりなしがわ]が集落の中を北流し、途中で金川と合流する。

集落は、公民館付近を中心として形成されている。昭和58年に山田市営住宅ができ、その周辺や国道58号線沿いに住宅や事業所が建ち、集落の景観が変わりつつある。

主な施設に、山田市営住宅がある。

山田区のあゆみ

明治12年の廃藩置県の頃、家禄を失った首里・那覇の士族と振慶名・田井等・伊差川などのジンチュ(地人)たちが、新しい土地を求めて、ここに住み着いたといわれる。振慶名・田井等・伊差川のハルヤーであった。草分けとして住み着いた人達は、5,6代になるという。

山田は、昭和22年に振慶名・田井等・伊差川にまたがる区域に行政区山田として成立した(地籍は未分離)。かつて美田をなした東の山田ターブックや西のイセーダー帯は、今ではキビ畑が広がっている。

戦後の人口の動向は、推移グラフに見るように、昭和35年に255人、その後ほとんど変動なく、昭和49年頃から僅かに増え始め、同58年山田市営住宅建設によって一挙に世帯数は62から113に、人口も259人から433人に増加した。昭和60年の世帯数117、人口429人であり、25年前に比較して、世帯数は2.5 倍、人口は1.7倍に増えた。

山田の産業の現状を就業者の構成で見ると、就業者173名のうち第1次産業31%、第2次産業29%、第3次産業40%という構成である。15年前に比べて、第1次産業の比率が半分以下に減り、第2次・第3次産業は2倍に増えている。ただ、農業の就業者自体はあまり変化していないが、新しくできた市営住宅の人々の職業種によって、全体として農業従事者の比率が下がったと理解される。

農業について見ると(農業基本統計表参照)、これまでキビと水稲が基幹作物であったが、最近では水稲が激減し、野菜類の比重が高まっている。ここ15年、農家数の変化はなく、また経営耕地面積も全体として4分の1程度の減少に留まっている。

耕種の収穫面積ではキビが多く、水稲がそれにつぐが、水稲自体は15年前に比べて3分の1に激減している。この間に伸びたのは野菜類である。現在進められている土地改良事業によって、将来の新しい展開が期待されている。

なお、畜産では養豚が200余頭の規模で行なわれているが、全体に占める比重はそう高くない。

伝統文化

拝所と祭祀

戦後、田井等。振慶名・伊差川から小字を分けてできた行政区であるため、伝統的な拝所や祭祀はない。

芸能

以前は、旧7月15日のお盆に家々を回るエイサーが行なわれていたが、今は公民館前の広場での盆踊りに変わった。

伝統的な芸能はないが、敬老会の時、お年寄りのために婦人会が中心になって踊りなどを披露している。

文化遺産

山田には指定された文化財はない。また、地域史料等についても、これまでのところ確認されていない。

山田の行事・活動一覧 昭和60年1~12月

1.1 初ガリー *三味線会

1.3 第37回初会 *59年度出生児祝

2.12 子供映写会

3.14 役員会 *本年はあと5回開催(4,5-2回、8,9月)

3.26 婦人常会

4.9 新入生合同祝

4.23 戸主会(総会)

4.30 成人会総会

6.12 各団体の役員会

7.3 第6回区民運動会

7.14 産業まつり *成人会主催

7.30 小・中・商父兄会

8.13 一般常会

8.28 成人会

8.30~31 盆踊り(旧7.15~16)

9.9 3団体(成人会・婦人会・青年会)合同常会*9.20にも開催

9.15 敬老会

10.29 -般常会

11.8 区有志の集まり

11.18 婦人常会

11.20 成人会

12.23 羽地中父兄会

12.24 一般常会