安部の人口と産業

安部の人口と産業

安部の戦後の人口の動きを見ると、収容所時期、中南部などからの疎開・避難民で安部もいっぱいであった。その時期を過ぎた昭和21年1月でも、人口は524人を数えた。疎開や避難で仮住いをしていた中南部の人々も帰村して、地元も落ち着きを取り戻した翌22年10月には、戸数100。人口435人となった(久志村誌)。

その後、昭和35年以降の人口の動向は、推移グラフに見るとおり、同年71世帯・人口369人である。人口は徐々に減り続け、昭和57年には160人まで下がったが、その後は安定し、昭和60年現在177人を数える。25年前に比べて、約半分に減ったことになる。世帯数は、昭和40~ 50年代前半にかけて50世帯台になったが、近年やや増えて、現在67世帯である。25年前に比べると、4世帯減ったことになる。

昭和32年に土地改良事業が行なわれ、田や畑などの改良に合わせて、ダムや用水路の整備が実施された。昭和45年頃まで、ウフブック(大袋原)を中心に稲作が行なわれていた。

安部の産業の現状を産業別就業者の構成で見ると(同表参照)、 就業者74名の内、第1次産業64%、第2次産業9%、第3次産業27%という構成で、第1次産業に従事する人が3分の2を占めている。第2次産業は建設業が主である。第3次産業は小売業が多い。

安部の主産業である第1次産業を見ると(農業基本統計表参照)、現在農家は36戸で、全体として約22haの経営耕地面積を持っている。経営耕地ならびに作物の収穫栽培面積は、ここ15年の間に半減した。キビ・水稲が大きく減ったためもあるが、安部地区土地改良総合整備事業(12.9ha、昭和57~63年度)が実施中という事情がある。昭和58年度には安部野菜団地が整備されたこともあり、近年施設園芸が伸びている。

畜産は、ここ10年肉用牛が20頭規模で、また養豚が300頭規模で経営されている。

出典:「わがまちわがむら