屋我

屋我(やが)

屋我区の現況

世帯71 人口248 面積0.73k㎡

屋我は、方言でヤガと呼ばれ、周辺の村からは、ウプヤガ(大屋我)と呼ばれる。真喜屋側から屋我地大橋を渡りきった所が屋我である。屋我地島への入り口に位置し、東は東シナ海に、南は羽地内海に面している。羽地内海にはジャルマ島をはじめ小島が散在し、釣り糸を垂らす小舟の浮かぶ風景がよくみられる。屋我地ビーチでは、夏場を中心に海水浴やピーチパーティーをする人たちで賑わう。

県道110号線沿いには、コバテイシの大木が10本余りあり、気持ち良い並木をつくっている。この大木は、1858年古島から村移動した時に植えた記念木だと伝える。故地である屋我グシクは、北山城が尚巴志に滅ぼされたときの落武者が築いたという伝説が残っている。主な施設に屋我市営住宅や屋我地ビーチ・屋我地自然休養村管理センター・沖縄タイムス保養所がある。

出典:「わがまちわがむら

人口 252 世帯数 69

屋我には市内最古の墨屋原遺跡群や墨屋原浜崎遺跡など、3000~2000年以上も前の古い時代の遺跡がある。また、屋我の発祥の地である屋我グスク遺跡(グスク時代後期~近世)は屋我の聖地でもある。屋我はウプヤガ(大屋我)とも称され、屋我地島で最も古い村で、ここから饒平名、済井出が分かれたという。咸豊8年(1858)、風水がよくないという理由で現在の墨屋原に移勧した。昭和28年、宿願の屋我地大橋が架けられたが、チリ地震津波(同35年)で破壊され、同38年現在の橋が完成した。屋我地ビーチや自然休養村施設がある。

出典:「名護市の小字

屋我のわがまち・むらのアルバム

屋我の集落・環境屋号図

屋我の小字 区界図と小字一覧

屋我のあゆみ、小年表

屋我の人口と産業

屋我の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)

屋我の伝統文化

屋我の文化遺産