旭川の伝統文化

拝所と祭祀

旭川が区として独立したのは、昭和18年。それ以前は、屋部と山入端部落の一部であった。したがって、伝統的な拝所や祭祀は少ない。

現在、上福地にウタキと呼ばれる拝所はあるが、そこを拝むのはアブシバレーの時だけである。また、仲上原にティラヤマといい、昔、坊主が住んでいたとされる洞窟がある。そこは、旧3月に仲上原の人たちが拝んでいる。その他、公民館の前にも小さな洞がある(国頭の村落)。

現在も続く伝統的な年中行事は、表に見るように、旧4月のアブシバレー、5月のウマチーなどがある。

芸能

旭川には、伝統的な村踊りはない。ただ、昭和25、6年頃から敬老会を兼ねて村踊りをやりはじめた。その時、海外移民に出た人たちからも寄付を集め、衣裳などをそろえた。踊りは近くの屋部や山入端から習い、また、戦争中に捕虜生活の中で覚えた芸能なども演じた。高平良万才・万才口説・鳩間節などの踊りの他、組踊「姉妹敵討」も演じた。その組踊は山入端から習ったものであるが、読み下しだけは、ふだんから聞き憤れていた屋部のものを参考にした。特に有名だったのは劇で、他部落からわざわざ見にくるほどだった。踊りは、旧8月に2,3日間やったが、昭和30年代に入ってパインが導入され、村が忙しくなり、10年間ほど続けていた踊りもできなくなった。

現在、旧盆には青年会を中心に太鼓を持って踊るエイサーをやっている。それをやり始めたのは8年程前からで、それ以前はティーモーイ(手舞い)を中心とするエイサーを踊っていた。

出典:「わがまちわがむら