辺野古の一里塚

辺野古の一里塚

種別:史跡

指定年月日:※復元

所在地:辺野古

(説明)

一里塚は、街道の両側に一里(約4km)ごとに土を盛り、木を植え、里程の目標にした塚のことです。本土では織田信長、豊臣秀吉の時代に築き始められ、徳川幕府にはいって全国に普及したといいます。沖縄ではいつ頃から造られたかははっきりしませんが、「正保国絵図」(1646年)にはその記載があるといわれ、1609年の薩摩侵攻後からその頃までに設置されたのではないかと考えられます。

1702年の「元禄国絵図」には、首里を起点にのびる宿道沿いに一里塚の印が見え、辺野古もその印があるのがはっきりわかります。その一帯を地元では、「イキリヅカ」と称していることから、この塚が一里塚であることがわかりました。地図によると、市内の数か所にあったようですが、現存するのはこの塚のみです。県内では恩納村真栄田の一里塚が恩納村の文化財に指定されています。