安部の村踊り

安部の村踊り

〔方言呼称・期日・場所〕

安部ではホーネンサイ(豊年祭)と呼ぶ。旧暦7月13日、15日、16日と三日間にわたり行われていたが、現在は旧暦8月13日にスクミ(仕込み。リハーサル)を行い、本番は15日に敬老会と一緒に行う。場所は区公民館である。

〔由来・伝承〕

豊年祭は戦前から行われていて、芝居もあり、他の集落からも大勢の人が見に来る程盛んだったという。また、身内に不幸があっても出演しなくてはならず、きびしい指導者もいたとのことである。現在の80代の方達が青年の頃は、人口も多く、踊りの上手な人もたくさんいて、踊りたくても出演者として選ばれない人もいたようだ。

〔舞台構造〕

公民館が出来る以前は、野外に客席を設けて行っていた。旧公民館においても、ホールが狭く若者らは遠慮して外から舞台を見ていた。また、出演者の着付けは舞台裏屋外にテントとブルーシートを張り、ゴザを敷いて行っていた。現在の公民館になってからは、着付けする部屋もあり、心配なく行われるようになっている。

舞台(村踊り会場)と拝所の位置関係は全体図参照。

〔演目〕

「かざやで風」「上り口説」「花風」が奉納踊りとして大事にされている。

〔組織。指導者・伝承方法〕

青年会、婦人会それぞれの踊り手に任せている。現在指導者はおらず、ビデオをみながらの練習がほとんどである。どうしても分からない所は、その踊りの先輩の家にお願いに行き、個人的に習う。

〔稽古の仕方・期間〕

演目の踊り手で決める。それぞれの練習日と時間が重ならないようにしている。また、兄弟で踊り手の場合は自宅で練習する事もある。昼間のほうが練習できる踊り手もいる。旧暦8月13日の道ジュネーの夜にスクミとなっているが、近年、道ジュネーと豊年祭を同日の旧暦8月15日に行う年もある。また、2002年(平成14)、2008年(平成20)、2009年(平成21)と不幸が続いたため、道ジュネーの祈願は行ったが、豊年祭としては芝居、民謡を他から頼んだ。

〔衣装・道具・楽器〕

衣装・道具・楽器は区長が管理者となり、公民館で保管している。生地が裂けたり破損したりした衣装や小道具類は、道ジュネーに利用している。また、青年たちの体格が良くなっているので、男物の着物は全て大きいサイズに買い替えた。女物の紺絣もクリーニングにより縮んでいたので買い替えている。「かぎやで風」の着物も借り物だったので、二人分の衣装と小物を揃えた。さらに、旗頭も虫食いにあい、使用できない状態にあったので、ウニホーヤーを建て直した後に新調した。

演奏の主体となる楽器は三線である。2004年(平成16)までは、比嘉由仁が三線を受け持っていたが、その後は主に比嘉の声を吹き込んだカセツトテープを使用している。現在地謡のいないのが当区の一番の悩みとなっている。

〔祈願・道ジュネー〕

祈願は、旧暦8月十三日の道ジュネーの日に行われる。区の守り神である鬼の面を、道ジュネーに参加する区民一同で祈願する。現在は神役がいないので、老人会の中で祈願を受けてくれる方を中心に祈願を行っている。これからの神役の後継者も悩みの種である。

ウニホーヤーで祈願後、鬼の面と旗頭を取り出し、旗頭を孟宗竹の先に取り付ける。青年一人が道ジュネー用の着物を着て鬼の面をかぶり、ブラ(ホラ貝)の合図で始まるハヤシに合わせ踊り始める。踊りとハヤシが終わると、小屋の前で「かぎやで風」「上り口説」「花風」と三曲が踊られる。ウニホーヤー、ニーブガミ(柄杓神。スクドゥヌヤー〈筑登之屋し、ニガミヤー、ウィーヌシマの拝所で踊りがなされ、アサギの側、メームイ、イリジョーグヮーでガーエー(気勢上げ)がある。「ガーエー」は「アブノニーセーターヤ」(安部の青年達は) の歌で始まる。公民館前でウニホーを踊らせた後、公民館の舞台の左手にビンスーと鬼の面を並べて安置する。近年は、メームイ、イリ ジョーグヮーは借家と空家になっているので、静かに通り過ぎるだけである。( 道ジュネー :安部ではミチジュネーと呼ぶ。毎年旧暦8月13日に行われるが、近年では旧暦8月15日に行われる年もある。)

〔記録〕

2004年(平成16)、2005年(平成17) の敬老会・豊年祭プログラム、地謡の比嘉由仁に関する新聞記事、『区だより七号』(道ジュネーについて)、1992年(平成4)の名護市文化財係による道ジュネー調査記録が名護市史編さん係に保存されている。また、『久志の民話』には「安部鬼面加那志」の民話が掲載されている。他にビデオ記録として、2004年の川田組(区内の業者)による録画と1992年、2005年の名護市教育委員会文化課による録画がある。

道ジュネー

安部ではミチジュネーと呼ぶ。毎年旧暦8月13日に行われるが、近年では旧暦8月15日に行われる年もある。

長者の大主

安部ではチョージャヌウフスーと呼ぶ。豊年祭では、必ず最初に演じられ、幕開けの芸能となっている。安部の開り神である鬼の面に豊年を祈願し、孫、二才の順でカリーの踊りを舞う構成となっている。台本は保存されていないが、台詞については、大主役から次の大主役にと口頭で継承され、踊りの指導は前任者などの経験者が行っている。

登場人物としては、大主一人、マーガ(孫。若い女性2人)、ペーチン(親雲上。青年2人)の計5人である。配役に特にきまりはないが、大主役はなかなか演じ手がいず、現在は50代男性により演じられている。マ―ガ役は、子ども会の女子二人が演じているが、現在の子ども会はほとんどが男子なので、これからのマーガ役をどうするかが課題となっている。ペーチンの青年2人は、豊年祭に初登場となる踊り手が主に演じることになっている。

衣装・小道具は、大主が青い着物に光沢のある金糸入り帯、平たい帽子に、白ひげ、扇子、杖。孫は赤い着物に金糸の入った打掛、頭には金色の髪飾り、花の警をつける。ペーチンはニーセー(二才)踊りの格好で、内一人は鬼の面に供えるビンスー(瓶子) のお膳を持って登場する。使用楽器は三線・太鼓であったが、現在は三線だけになっている。

組踊

「姉妹敵討」「久志の若按司」等の組踊があったが、伝承されていない。戦前から戦後にかけての指導者としては奥平シンジロウが挙げられる。

芝居・劇

「貞女と孝子」「アカツキノ合唱」「渡嘉敷親雲上」「奥山の牡丹」等が演じられた。現代劇は地元で創作したものもある。南洋帰りの池原繁が伝えた劇もあったという。

棒も盛んだったという(『名護市史本編11 わがまち・わがむら)。現在では聞き取りできない。

綱引き

綱引き用の藁はかつて、各戸から保有する水田面積に応じて何束かずつ徴収された。浜での綱引きは、ムラヤー前の道を境に家々を東西にわけ、東(アガリ)の雄綱、西(イリ)の雌綱でひいた。カヌシチャやイーバルの寄留人も参加し、人数が少ないアガリ組に入ることが多かった。このとき、西が勝つと喜ばれたという。記録としては、区作成の2004年(平成16) 「海神祭・綱引き・ハーリー・相撲行事式次第」2005年(平成17)行事の写真とビデオ録画(名護市史編さん係・名護博物館調査)がある。

出典:「民俗3