底仁屋の伝統文化

底仁屋の伝統文化

拝所と祭紀

元は天仁屋区の一部で、戦後分離独立した区であるため、伝統的な拝所や祭祀はない。 ただ、御神松(うかみまーち)と呼ばれる老木があり、アブシバレーの時には、供え物をして拝む(島袋正敏:名護碑文記所収)。

芸能

戦後、天仁尾から分離して行政区となったが、村踊りは今でもいっしょにやっている。

現在、旧8月11日の1日だけになったが、分区前までは11日を正日にして3日間やっていた。天仁屋・底仁屋・有津の三つの部落で演目を分け、それぞれで練習を積んできて、本番に天仁屋公民館に設置された舞台で披露した。底仁屋の得意とした演目は、上り口説・下り口説・ゼイ踊りなどで、組踊は「八重瀬」をやった。

現在、エイサーは天仁屋といっしょにやつている。三原から習ったという太鼓を中心としたエイサーである。

出典:「わがまちわがむら