汀間の芸能史

汀間の芸能史

あらまし

汀間の七月踊りは、25年前までは3日間やっていた。まず、初日のスクミには、恩計原のアサギの前でやり、正日と別れは村の後方にあるイリギッチャでやった。その後、しばらく途絶えていたが、8年程前に土地攻良事業の完成を記念して復活した。現在は、1年おきに、旧7月15日だけにやっている。以前は、三原まで回ったマチマーイ(道ジュネー)や棒もあったが、今はやらない。最初に「長者の大主」を演じて踊りに入る。その中でも有名なのは久米ハンタマーという女踊りである。「大浦大主」「伏山敵討」などの組踊や狂言も盛んだったが、今はやっていない。字の先輩方は組踊の復活を望んでいる。

戦後になって、エイサーが盛んになった。お盆の晩、大太鼓とパーランクーを持った青年たちが、各戸をまわり村を賑わす。

旧8月の十五夜にはウシデークがある。白い衣装をきたノロ・根神をはじめとする数人の神人を中心にして、部落の婦人たちによって行なわれる。婦人の中でも年配の方々が先頭になり、アサギ庭に円を描きながら舞う。

汀間の芸能の特徴

ウシデークが、年配から若い女性へと現在まで伝承されていることは、特筆に値する。

また、旧盆の7月15日ウークイ(祖霊送り)の日のエイサーと翌日16日に村踊りが行われてきたことも特徴である

芸能組織

〔組織〕

1979年(昭和54)の復活以後、実行委員会を立ち上げ、村踊りを実施している。

〔経費〕

村踊りの近年の経費は収入、支出とも約60万円である。エイサーの運営資金は、ほとんど当日の各家からの寄付金によるが、区からも補助金がある。

汀間の村踊り

◆労働・遊びに伴う芸能、民謡

現在では聞き取りが困難だが、『沖縄民俗』(第十三号)には、ハーミヌホーガイの神歌、まりつき唄、出産祝いの唄、ヤーフキユーエー(家葺き祝い)の唄、パカヌスージ(墓の新築祝い)の唄、結婚祝い唄、トーハチ(米寿)の唄、入り船ユエー(祝い)の唄、出港の唄、アミオロシの唄、進水式の唄、毛遊びの唄、旅立ちの唄、クシュクイ(腰休め)の唄、綱引きの時の唄、浮気女をうたった唄が記録されている。

(山内範正・市史事務局)