豊原の人口と産業

豊原の人口と産業

豊原の戦後の人口の動きを見ておくと、収容所時期、中南部からの疎開・避難民などで豊原も人口が大きく膨れ上がった。収容所生活から開放された昭和21年1月でも、611人を数えた。中南部の人々が帰村して、地元も落ち着いた翌22年10月には戸数49、人口174人となった(久志村誌)。その後、昭和35年以降の人口の動きは推移グラフに見るように、同年55世帯・294人である。人口はそれ以降わずかずつ増えて、昭和60年現在448人を数える。25年前と比べて1.5倍に増えたことになる。世帯数もほぼ同じ推移をたどり、昭和48年には122世帯となった。現在は118世帯を数える。25年前に比べて2.1倍の増加である。

豊原の産業の現状を産業別就業者の構成について見ると(同表参照)、就業者199名の内、第1次産業23%、第2次産業25%、第3次産業52%という構成で、第3次産業が半ばを占めている。ここ15年、就業者数は1.7倍に増えたが、第3次産業の比重は以前と余り変わっていない。第1次産業が10%減った分、第2次産業(とくに建設業)が増えている。第3次産業では、サービス業が卸小売業をやや上回っている。

4分の1を占める第1次産業(農畜産業)について見ると(農業基本統計表参照)、農家数は15年前から7戸減って、現在23戸である。豊原の農業はキビ作を基幹としてきた。経営耕地面積は、全体として約13haであるが、15年前に比べると半分以下に減っている。作物の収種・栽培面積もこの間に半分近くに減ったが、それはパインとキビに著しい。近年の動向として、野菜類・施設園芸がやや伸びている。畜産はあまり盛んでない。

出典:「わがまちわがむら