呉我の義民

呉我の義民(ごがのぎみん)

無形民俗文化財 未指定

義民は、通称クガニヤマーといわれた玉城金三(1878~ 1954)によって呉我に伝えられた伝統芸能で、その概要は次のとおりである。

宜野湾の伊佐村で,「碑文建てたるお祝」にというから、俗に言う伊佐浜の碑文にちなんだものであろう。つまり碑文建立の祝賀として、地頭を招いて角力大会を催したところ、地頭の名代として甥の首里の士(さむれ―)がカミジャーなる供をつれてやって来る。首里の士は地頭の代理をいいことにいばりちらし、無理に村の若者たちの奉納角力に出て、卑怯な手を使って勝とうとするが、かえって若者頭にたたきのめされて恥をかく。これを遺恨に思つた士は、闇討ちして若者頭を殺してしまう。そこで村の若者たちは毎夜首里のアンニャ村に通い、チョンダラー芸能を稽古して仇討ちの準備をする。そしてチョンダラー姿に身をやつし,うまく屋敷内に忍び入りチョンダラー芸能の数々を提供して、ついに仇の士やカミジャーを討つというものである。

チョンダラーとは、明治初期ごろまで首里のアンニャ村を根拠地として,各地で人形を使って数々の芸を演じた門付芸人およびその芸能である。チョンダラー(京太郎)は、京都からきた太郎の意で、本土から伝わってきたと言われている。祝儀や葬式の時などに、踊りや人形芸居を演じたり、念仏歌をうたった。呉我の義民の中には、扇子舞(オージメー)、御知行の歌(ウチジョーヌウタ)、馬舞者(ウマメーサー)、鳥刺舞(トゥイサシメー)の4つのチョンダラー芸能が残っている。

出典:「名護市の文化財第2集」