親川グシク

親川グシク

種別:史跡

指定年月日:指定候補

所在地:親川

(説明)

親川グシクは羽地グシクとも呼ばれ、羽地按司の築いたものだと地元では言い伝えられています。このグシクは、有名な水田地帯であった羽地タ-ブックヮの東側、親川部落の北東丘陵上に立地します。ここは現在でこそ村ばずれのサトウキビ畑地帯ですが、近世の間切時代には、すぐ南に羽地間切の番所が造られ、明治になると羽地小学校も建築され、羽地間切の中心地であったことをうかがわせます。標高約50mの丘陵頂部を囲むように築かれた石垣は、後に持ち出され、現在完全に残存している部分はありません。しかし、この石垣によって囲まれる連続した3ヶ所の広場があることが推定され、この中や石垣の周辺から土器や中国製の磁器が採集されています。これらの事実により、このグシクが多くの人々の労働力の結果成立し、グシクに関係していた人々が直接にしろ間接にしろ中国(明)と交易していたことがわかります。さらに築かれたのも14世紀頃(約600年前)と思われます。

一見、「荒城」にしか見えない親川グシクも、羽地のみならず名護市全体の歴史を解明するための重要な遺跡です。