瀬嵩

瀬嵩(せだけ:シダキ)

◆瀬嵩の現況

瀬嵩区 昭和61年頃 世帯数:85世帯 人口:503人 面積4.81k㎡

瀬嵩は、方言でシダキと呼ばれ、「海の瀬」に因むといわれている。近世の史料では「せたけ村」「多嘉山村」とも見える。東海岸の大浦湾の湾岸に位置する。康煕58年(1719年)羽地の真喜屋に通る道が開かれ、久志間切の番所が久志から瀬嵩に移され、以後、久志間切の行政の中心地であった。村時代の役場が置かれていたところでもある。集落の南の丘は御嶽となっている。

集落は、北の一ツ岳を水源とする瀬嵩川の下流に位置し、沖積低地や砂地に形成され碁盤の目状の形態をなしている。かつてのウマバ(馬場)が、集落内をほぼ東西に走り、また主要道路の役割を果たしていた。後に郡道となり、さらに県道70号線(名護国頭線)となった。現在の県道は、集落内から外れ南側の海岸寄りを通っている。

戦後すぐに疎開・避難民を集めた収容所が各字に作られたが、瀬嵩には久志東部の中心施設が置かれ人口が3万人を数え、一時的に瀬嵩市となる。

主な施設に名護市役所久志支所、久志小学校(久志中学校と統合し現緑風学園、汀間へ移転)、久志幼稚園(緑風学園新設に伴い汀間へ移転)、久志郵便局、名護警察署瀬嵩巡査駐在所、久志農協、久志農協集荷センター、久志保健指導所、名護学院などがある。

出典:「わがまちわがむら

・瀬嵩のわがまち・むらのアルバム

・瀬嵩の集落・環境屋号図

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・瀬嵩の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)

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