嘉陽

嘉陽(かようく)

嘉陽区の現況

世帯59 人口138 面積589k㎡

嘉陽は、方言でハヨウと呼ばれる。集落の北をナコーガキ川が東から西に流れ、ウッカ橋で嘉陽川と合流し、太平洋に注ぎ出る。集落の背後にあるウプウックは、かつて旧久志村随一の肥沃な水田地帯として知られた。集落東方の海上には、砂岩からなる嘉陽のキョウと呼ばれる岩礁がある。

集落は、嘉陽川とナコーガキ川がウッカ僑で合流する海岸寄りの砂地に形成され、碁盤目状の形態をなしている。集落と海岸線との間を県道70号線(名護国頭線)が通る。

主な施設に、嘉陽小学校・嘉陽診療所(現在閉鎖中)がある。

出典:「わがまちわがむら

砂地に立地する現集落には、沖縄貝塚時代後期からグスク時代の遺跡(嘉陽遺跡)が分布している。嘉陽グスク(上グスク)の西麓にはグスク時代中期~近世の嘉陽原遺跡がある。近世史料には「かやう村」ともみえる。キョーと呼ばれる地先の岩礁は、ニライ・カナイの神が足をおろす聖地である。

昭和22年、嘉賜福地原を三原区に飼人した。昭和39年、東京オリンピックの時、聖火が宿泊し、その記念碑が建てられている。また、これを記念して久志マラソンが始められ、今日に至る。嘉陽小学校は明治29年久志尋常高等小学校の分教場として発足した。

出典:「名護の小字

風土

嘉陽は眼下に望む太平洋と、清らかな湧き水が潤す生命あふれる森に挟まれた、大変豊かな環境にある。旧久志村の北端にほど近い場所に位置する、人口105、世帯数54(2009年3月31日現在)の小さな集落で、人口の42.9%が65歳以上という、名護市で二番目に長寿の集落である。かつて久志村随一の肥沃な美田を作り上げた先人たちの優れた知恵が、今なお暮らしの中に息づいており、自給自足で生きてきた人々のたくましいエネルギーを感じさせられる。

集落に面した海岸沿いにはアダンの並木が続き、東西1kmに広がる白い砂浜には毎年ウミガメが産卵に上がる。その浜から30mほどの海に浮かぶキョウ(岩)は、ニライカナイから来る渡来神の「足掛かりの地」ともいわれ、聖なる岩礁として美しい海辺の景色を際立たせている。天然記念物であるジュゴンが食するリュウキュウアマモなどの海草・藻の広がるイノーは、ウニやモズクといった海の幸の採集場としても大切にされており、こうした嘉陽をとりまく豊かな自然環境は人々のくらしと直接結び合いながら、長い歴史と独自の文化の構築を見守り支え続けてくれているものである。

集落発祥の地とされるアジヌヤー(按司の家)は集落内東側にあって、その横には名護市の名木にもなっている立派なガジュマルがそびえ立っており、ウシデークや綱打ち(綱造り)の作業などは巨木に見守られるようにして、ここで行われている。

さらに、集落北側にはウイグシク(上城)と呼ばれる小高い丘陵があり、集落を見下ろすように北西に向かって立つ神殿前の広場では、毎年旧暦の9月20日にパチカミヂナディ(二十日水撫で)という、集落の神事としては最大の祭りが執り行われている。

出典:「芸能

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